大阪大学は、研究者が特殊なヘッドセットを装着し、バーチャル空間と現実の実験室の間をスムーズに行き来しながら、目の前に5,000万倍の倍率で投影されたシリコン原子を直感的に観察・操作できるMR型実験システムを開発したと6月3日に発表した。

  • バーチャル・リアリティ×走査型プローブ顕微鏡メタバース実験室のフレームワーク
    出典:Diao, Z., Yamashita, H. & Abe, M. (2025). A metaverse laboratory setup for interactive atom visualization and manipulation with scanning probe microscopy. Scientific Reports, 15, 17490. https://doi.org/10.1038/s41598-025-01578-y. Licensed under CC BY 4.0.
    (出所:阪大Webサイト)

同成果は、阪大大学院 基礎工学研究科 システム創成専攻のDIAO ZHUO助教、同科附属極限科学センターの阿部真之教授らの研究チームによるもの。詳細は、英オンライン総合学術誌「Scientific Reports」に掲載された。

走査型プローブ顕微鏡は、ナノスケールから原子レベルまでの表面観察が可能な装置だ。この顕微鏡は、単一原子や個々のクラスター、局所構造の物性を評価(分光測定)や、個々の表面原子の移動・引き抜き(原子操作)を可能にし、他装置では実現できない画期的な実験環境をもたらすことで知られる。

しかし、走査型プローブ顕微鏡での分光測定や原子操作実験には、高度な技術と精密な制御が不可欠だ。極めて微小なスケールでの操作が要求され、環境からの振動や熱的揺らぎの影響も受けやすいことから、極低温や超高真空といった限られた環境での利用が一般的である。加えて、高度な実験技術が求められ、誰もが容易に実験を行える状況ではないことが課題となっていた。

そこで研究チームは今回、バーチャルリアリティ技術と走査型プローブ顕微鏡とを統合するシステムの開発を試みることにした。

このシステムの最大の特徴は、バーチャル空間と現実の実験室をシームレスに行き来できる「MR」(複合現実、あるいは混合現実とも)にある。ヘッドセットを装着するだけで、研究者は原子の観察や操作を直感的に行えるという。

走査型プローブ顕微鏡のDX化により、複雑かつ繊細な顕微鏡操作そのものは自動化され、研究者自身の手の動きだけでの原子操作が実現された。目の前の物体をつかむような自然な感覚で、ナノメートルスケールの極小世界の原子を扱えるのだ。その結果、従来法は困難だった繊細な原子操作が、より直感的かつ効率的に行えるようになった。

研究チームではこのシステムを用いて、室温環境下でシリコン表面から原子1個を狙い通りに取り出すことに成功。これにより、SF作品に登場する、目的の原子や分子をブロックのように自由自在に組み合わせて狙った物質を作り出す「原子・分子アセンブラ」のような高度な原子操作システムの実用化への道が拓かれたとした。

さらに、このシステムは「メタバース実験室」としての機能も備え、世界中の研究者が遠隔地からでも同じ実験に参加することも可能にした。これは、原子レベルの精密研究において、国境や距離の壁を越えた新しい共同研究の形を実現するものだ。

今回の技術は、ナノテクノロジー研究の進展を加速させると共に、科学教育の新たな可能性を広げるものでもあるとした。MRを計測・操作系に取り入れることは、ナノスケール研究を「遠隔・協働・自律」の3軸で加速させる可能性がある。

第一に、装置を仮想空間へDX化することで、世界中の専門家が同時に参加可能となり、装置稼働率の向上と分野横断的な知見の交流が期待される。

第二に、MR環境では操作履歴や実験条件を時系列で可視化・共有しやすいため、データ駆動型AI解析と相性が良いという。探針軌道の最適化や異常検知を学習させれば、自律実験系へ自然に接続でき、材料探索や装置チューニングの高速化も実現できるという。

第三に、視覚・触覚フィードバックを統合した直感的インターフェースは教育効果が高く、熟練者の技能継承を容易にする。新人研究者が早期に高度な操作へ到達すれば、研究コミュニティ全体の競争力が底上げされることが期待できるとした。

このように、MR統合型計測は「地理的制約の解放」、「AIとの協調最適化」、「人材育成の効率化」という三位一体の“成長エンジン”を提供し、ナノ計測・ナノ操作におけるイノベーション創出の加速を牽引することが考えられるとのこと。