大阪大学(阪大)、京都府立医科大(京府医大)、理化学研究所(理研)、科学技術振興機構(JST)の4者は12月12日、従来の「ラマン顕微鏡」において、生体試料内の分子に由来する非常に微弱な「ラマン散乱光」を捉えやすくするため試料に強いレーザー光を照射した結果、試料がダメージを受けたり状態が変化してしまったりする課題に対し、それを生体試料を凍らせることで解決し、生体分子由来の微弱なラマン散乱光を時間をかけて観察するラマン顕微鏡を開発して、従来技術と比べておよそ8倍も明るい細胞観察を実現したことを共同で発表した。

  • 急速凍結固定されたHeLa細胞の高S/N比の広視野ラマン観察像

    急速凍結固定されたHeLa細胞(ヒト子宮がん細胞)の高S/N比の広視野ラマン観察像。観察時間は約10時間。画像中の緑色、赤色、青色はそれぞれシトクロムc、脂質、タンパク質の分布が示されている(出所:共同プレスリリースPDF)

同成果は、阪大大学院 工学研究科の水島健太大学院生、同・藤田克昌教授、同・山中真仁特任准教授(常勤)、阪大 先導的学際研究機構の熊本康昭准教授、阪大 免疫学フロンティア研究センターのNicholas Smith准教授、京府医大の田中秀央特任教授、理研 環境資源科学研究センターの袖岡幹子グループディレクターらの共同研究チームによるもの。詳細は、米国科学振興協会が刊行する「Science」系のオープンアクセスジャーナル「Science Advances」に掲載された。

ラマン散乱光とは、分子に光が入射した際に発生する散乱光の一種で、入射光とラマン散乱光のエネルギー差は光の波長差と対応しており、それが分子の固有振動のエネルギーと一致している点が特徴だ。そのラマン散乱光を観察するのが光学顕微鏡の一種のラマン顕微鏡であり、試料にレーザー光を当て、発生したラマン散乱光のスペクトルをマッピングすることにより、試料中の目的の分子ごとの空間分布を可視化する仕組みだ。

ラマン散乱光は生体分子の構造、種類、周辺環境を反映しているため、ラマン顕微鏡は、生体試料内部に存在する多様な分子に関する情報を得ることができる。そのため、近年は生体試料観察への利用が進んでいるが、ラマン散乱光が非常に微弱な光であるという課題がある。そのため従来技術では、低濃度物質の検出をしようとする場合や、高いS/N比でのラマン観察を行おうとする場合、高強度のレーザー光が必要になることから試料にダメージを与えてしまったり、観察中の試料の状態が変化してしまったりするなど、正確な情報を得にくいことがあったという。そこで研究チームは今回、その問題を解決したラマン顕微鏡の開発を試みたという。

今回の研究では、ラマン顕微鏡の仕組みではなく、試料の扱い方が工夫された。独自の試料チャンバーが開発され、-185℃の液体寒剤に直接接触させることで顕微鏡上の生体試料を急速に凍結。急速凍結後の試料は、液体窒素の循環とヒーターにより精密に温度制御され、凍結状態が維持され続けることでラマン観察を行える顕微鏡が開発されたのである。

  • 今回開発したラマン顕微鏡の試料周辺図

    今回開発したラマン顕微鏡の試料周辺図。(左)細胞を培養したカバーガラスを試料マウント上に設置し、金属板を接触させる。(右)寒剤投入口と金属板の穴を通り寒剤が試料に接触し、試料を急速凍結固定する。金属板内のヒーターと液体窒素循環により試料の温度が制御される(出所:共同プレスリリースPDF)

これにより、試料の物理的、化学的な状態を維持したまま、レーザー光照射による試料ダメージや変化を抑制しつつ、長時間のラマン観察が実現された。ラマン散乱光が微弱であることは上述した通りだが、時間をかけて同散乱光を集めることが可能となったことから、強いレーザー光を使わなくても細胞内分子を従来よりも高感度に検出できるようになったのである。つまり、試料へのダメージや長時間の観察中の状態変化などといった問題がなくなったのである。

次に今回開発された顕微鏡を用いて、急速凍結固定された細胞に対する長時間のラマン観察実験が行われた。その結果、従来法と比較して、約8倍のラマン信号を取得できることが確認されたという。さらに、虚血性ラット心臓組織内の「シトクロムc」(エネルギーの通貨といわれる「アデノシン三リン酸(ATP)」を合成するための電子伝達系に組み込まれている分子の一種)の酸化還元状態を急速凍結固定してラマン観察を実施。すると、未固定の生きた試料では観察できなかった、虚血状態(血管が組織や細胞に血液を十分に供給しない状態を指し、組織や細胞の酸素不足を引き起こすこと)と正常状態の心臓組織内におけるシトクロムcの酸化還元状態の違いを示す顕微鏡画像が初めて取得された。また、細胞観察で認識できる分子種の数が、従来比のおよそ2倍の9種類にまで増やすことにも成功したとする。

  • (左)急速凍結固定されたHeLa細胞の異なる露光時間でのラマン画像。(右)異なる分子振動に帰属されるラマン信号の強度と露光時間との関係

    (左)急速凍結固定されたHeLa細胞の異なる露光時間でのラマン画像。(右)異なる分子振動に帰属されるラマン信号の強度と露光時間との関係。観察温度は-40度(出所:共同プレスリリースPDF)

  • (左)急速凍結固定された正常状態および虚血状態の心臓組織の還元型シトクロムcのラマン画像。(右)各状態の組織から得られたラマンスペクトル

    (左)急速凍結固定された正常状態および虚血状態の心臓組織の還元型シトクロムcのラマン画像。(右)各状態の組織から得られたラマンスペクトル。今回の成果により、虚血によるシトクロムcの酸化還元状態の変化を分光状態だけではなく空間情報としても可視化することに初めて成功した(出所:共同プレスリリースPDF)

今回の研究成果により、従来のラマン顕微鏡では観察が難しいとされてきた、低濃度で生体試料内に存在する薬剤などの分子を、高感度でラマン観察する可能性が開かれたという。さらに、試料内のさまざまな生化学反応を急速に固定できるため、従来のラマン顕微鏡の時間分解能では観察できなかった、生命活動の瞬間における分子の化学状態も観察が可能となった。また、各種細胞関連産業で利用される凍結細胞の非破壊観察や、それによる細胞の評価への応用も期待されるとしている。