物質・材料研究機構(NIMS)とファインセラミックスセンター(JFCC)の両者は11月22日、磁性体内を伝播する磁気の波である「スピン波」とイオン制御技術を組み合わせ、次世代のAIデバイスを開発したことを共同で発表した。
同成果は、NIMS ナノアーキテクトニクス材料研究センター(MANA) ニューロモルフィックデバイスグループの土屋敬志グループリーダー、同・並木航NIMSポスドク研究員(現・MANA研究員)、同・西岡大貴研修生(現・NIMS 若手国際研究センター ICYSリサーチフェロー)、MANA イオニクスデバイスグループの寺部一弥グループリーダー、JFCCの野村優貴主任研究員、同・山本和生グループリーダーらの共同研究チームによるもの。詳細は、多様な分野の基礎から応用までを扱う学際的な学術誌「Advanced Science」に掲載された。
AIによる電力消費やクラウド通信量が指数関数的に増大しているという大きな社会問題に対する解決策として期待されている技術の1つが、「物理リザバーコンピューティング」だ。同技術は、入力された時系列信号を内部の物理現象で非線形に変換して出力する機能を持つ「物理リザバー」を用いて、信号のさまざまな特徴を分類して情報処理を行うというもの。しかし、現状では物理デバイスの計算性能が、従来型コンピュータを用いたソフトウェア型機械学習よりも劣る点が課題であるため、より高い計算性能を持つ物理リザバーの開発が強く求められている。
そこで研究チームは今回、磁性体内を伝播する磁気の波であるスピン波を利用し、干渉させて生じる干渉パターンを計算資源として活用する物理リザバーコンピューティングの新技術の開発を試みたという。
今回の研究では、磁性体に電圧を印加して水素イオンを挿入することでスピン波を変化させ、干渉パターンを多様化させると共に、計算性能の向上が目指された。実験では、スピン波の減衰が小さく、伝播距離が長い磁性体として「イットリウム・鉄・ガーネット」(YIG)が採用され、スピン波を励起するためのアンテナと干渉後の信号を検出するためのアンテナを取り付けたデバイスが作製された。
デバイスには、YIG表面に水素イオン(陽子)伝導性ポリマー電解質である「ナフィオン」が取り付けられ、同イオンを供給できる構造となっている。電極に電圧を印加することで、YIG内に水素イオンが挿入され、同時に電子を注入できる仕組みだ。その電子により、YIG中の四面体サイトに存在する鉄イオンにアップスピンが付加され、結果として有効磁気モーメントが低下。そして、飽和磁化や異方性磁界が減少するため、スピン波の共鳴周波数が上昇する。この効果を電圧の大きさで調節することにより、スピン波の干渉パターンを広範囲に制御することが可能となり、その多様な干渉パターンを計算資源として活用するのである。
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(a)今回の研究で開発されたAIデバイスの模式図。黄緑の波は磁性体(YIG)を水紋のように伝搬するスピン波が表されている。(b)YIGへの水素イオン挿入による磁気特性変化が示されている。(c)電圧で制御されたスピン波の干渉パターンが表されている(出所:NIMSプレスリリースPDF)
なお今回の手法に対するベンチマーク試験として、もともとは血液中の血球生成における遅延フィードバックをモデル化するために提案された遅延微分方程式である「Mackey-Glass方程式予測タスク」が実施された。実験では、同方程式から得られる現在の情報を2つの励起アンテナに入力してスピン波が励起され、対応するスピン波の干渉パターンの時間変化が2つの検出アンテナで検出された。そして得られた干渉パターンと出力重みの線形和を用いて、同方程式に基づき1ステップから10ステップ先の未来状態が予測された。
1ステップ先の未来予測結果では、正解との誤差は6.25×10-5と極めて小さく、99%以上の高精度で予測できたとのこと。また、既存の高性能デバイスとの予測誤差に関する比較が行われたところ、今回のデバイスは従来の最高記録である1.37×10-3より1桁以上精度が向上していたという。既存デバイスと比較して簡素な素子構造および単純なネットワーク構造を保ちながら、飛躍的な高性能化できたため、素子数の低減による高集積化や低消費電力化につながる可能性があるとする。さらに、今回達成された性能は、高精度であるものの非常に多くの積和演算が必要なソフトウェア型機械学習と同等だったため、機械学習の積和演算数を低減することによって消費電力を大幅に低減する道筋が示されたとした。
研究チームはこの成果について、単結晶だけでなく磁性体薄膜でも生じる物理現象を利用し、ソフトウェア型機械学習に匹敵する高性能な情報処理を実現できる今回の手法は、実用化に向けた大きなメリットとする。さらに、Mackey-Glass方程式予測タスクをスピン波で予測できたことから、磁性体の性質を活用した高集積かつ高性能なAIデバイスへの発展が期待されるとしている。