元山梨県福祉保健部参事・堀岡伸彦「少子化問題は日本最大の課題。公民が連携した“山梨方式”で歯止めをかけるべきです」

少子化にどう歯止めをかけるか─。日本全体の社会課題に1つの解決策が生み出された。舞台は山梨県。厚生労働省に入省し、同県への出向時代に県有地を活用した「産後ケアセンター」を開業させたのが堀岡伸彦氏。子どもの数が少なければ収益が上がらないという難問がある中で、同氏の捻り出したアイデアが「県内の27市町村を束ねる」というものだった。どんな経緯を経て、どんな成果が挙がっているか。同氏に直撃した。

結婚政策に行政は関与しづらい?

 ─ 堀岡さんは医師になり、厚生労働省に入省した後、山梨県に出向。今は文部科学省に出向するなど珍しい経歴ですね。中でも山梨県出向時に取り組んだ産後ケア施設は全国から注目されていると聞きます。

 堀岡 かねてより私の問題意識としてあったのは、少子化問題は日本最大の問題であるということでした。どんなに妊娠22週から出生後満7日未満までの期間に医療サービスを提供する周産期医療を頑張ったり、子ども政策を充実させても、産んでもらう子どもの数は直接的には増えません。そうすると、残るは結婚政策以外にありません。

 そもそも結婚している夫婦間の子どもの数はあまり減っていません。むしろ結婚していない人が大幅に増えていることが日本の少子化の本質だと思います。しかしながら、結婚を推進する政策に国や行政が携わるのは本当に難しい。東京都がマッチングアプリを展開しようと試みると聞いていますが、他でもできるかというと難しいでしょう。

 公の立場である国や行政は、結婚そのものを支援するのは難しい側面があります。山梨県のようなところでは特にそうです。そうなると、産んだ方の負担を減らすことしかありません。少しでも子育てをしやすくして子どもを増やすというアプローチしかないのではないでしょうか。

 ─ なぜ若者が結婚しなくなったのか。将来に希望が持てない、経済的な負担が重すぎるといった声もあります。

 堀岡 そうですね。少なくとも、結婚を成立させるために公が関与することは非常に難しいのですが、結婚した人の負担を減らすことはできます。その負担を減らす方法も様々なやり方があります。例えば、保育園は子どもを預けることで親の時間を作っています。またこの場合に重要なのは、夫の育児休暇です。夫の育児の時間を増やすことも少子化に効果があるといったエビデンスが出ています。

 保育園に預けるにしても、夫が育児休暇を取得して子育てするにしても、共通しているのは母親の負担を減らしているということです。韓国でもそうなのですが、母親に子どもの世話を押し付けると子どもが減るというエビデンスがあるのです。

 韓国も少子化は日本より厳しくなっており、行政が児童手当を支給して経済的なバックアップをすることはもちろんあるのでしょうけれども、保育園を作ったり、父親の育児参加を後押ししたりしています。

出産直後の妊産婦をケア

 ─ そういった問題意識を持って山梨県出向時に取り組んだ産後ケア施設とは、どのようなものだったのですか。

 堀岡 私が山梨県の福祉保健部に出向した2013年当時、東京都世田谷区に産後ケアの先進的な施設がありました。私も個人的に1人目の子どもが東京にいるときに生まれ、その施設のことを知っていましたので、妻に泊まってもらったのです。これが非常に良かったのです。

 そもそも産後ケアとは、出産直後の母親をサポートする施設です。出産した母親の多くは産後3~4カ月までの間に不安を抱えがちです。その時期は、出産で消耗した体力が回復しきっていない上に、特に1人目の出産の場合は、子育て自体に不慣れなためです。2人目以降の出産の場合でも、上の子と赤ん坊を同時に育てる負担は大きく、ケアが求められます。

 ─ ニーズは増えている?

 堀岡 妊産婦の入院期間はどんどん短くなっています。以前は身体が辛いということで希望すれば、1週間弱くらい入院することも、ままありましたが、入院期間はどんどん短くなっていき、最近では3~4日、場合によってはもっと短く退院する人も多くなっています。

 その結果、以前よりも妊産婦が出産して、まだ回復しきっておらず、お腹も痛いしという状態で帰宅する状況が生まれてしまうわけです。本当であれば、もう1~2泊したいのに退院しなければならないと。平成の初期であれば、出産後も1週間くらいはゆっくりすることができるのが当たり前でした。

 ところが今はもうそういうご時世ではなくなってしまったのです。医療機関はあくまでも医療を提供するところであるからです。そういった妊産婦の受け皿として生まれたのが世田谷の産後ケアセンターでした。このときの原体験があったのです。

 ─ そのときのポイントは。

 堀岡 山梨県で少子化対策を考える際、なかなか妙案が出てきませんでした。一番多いアイデアが単純にお金を配るという発想です。しかし、お金を配るというのは、大変な財源が必要になってきます。しかも、お金がかかる割には、1人に数千円しか援助できません。

 そうであるならば、少子化対策の一環として産後ケアセンターを立ち上げようと提案しました。ただ、山梨県の産後ケアセンターが「山梨方式」と言われるのには理由があります。実は母子保健は市町村事業に該当するのですが、山梨県の場合は山梨県が主体になったのです。

 これは行政の縦割りの話になりますが、市町村レベルだと、通常の母子保健政策は身近なところで受けることができて良いのですが、産後ケアについては難しい。なぜなら、市町村レベルだと子どもの数が少ないからです。山梨県の人口は約80万人になっており、東京都の一つの区である先ほどの世田谷区(約90万人)よりも少ないのです。

 山梨県でその数ですから、市町村レベルで見たら本当に少ない。逆に言うと、世田谷区くらいの子どもが産まれなければ産後ケア施設の収益は黒字になりません。山梨県内は27の市町村に分かれています。なので、県内の27市町村がバラバラに産後ケア施設を展開するのはなかなか難しいということになります。

 ─ 個別で展開すれば1施設当たりの利用者も少なくなり、収益も悪くなります。

 堀岡 ええ。産後ケアに関しては、市町村の事業と位置づけると効率性が難しく、全国に広がらないのです。それがネックでした。仮に市町村の事業として、例えばホテルに委託し、利用者がいたらホテルに委託すると。ただ、ホテルは民間企業が保有する施設になりますから、それではどうしても収益性に課題が出てきてしまう。

県内の27市町村を束ねて

 ─ では、どのような知恵を絞り出したのですか。

 堀岡 27の市町村を束ねて、県が産後ケア事業を担うという形でスタートさせました。これが13年、横内正明知事(故人)の頃です。当時の山下誠福祉保健部長に相談すると、国から来たばかりの若造の提案を真剣にとらえてくださり、横内知事にあげてくれました。そして、私の問題意識と産後ケア事業への考え方をお伝えすると、知事は私にフリーハンドでやらせてくれました。部長と知事には心から感謝しています。

 知事の了承を得た上で、県内の27市町村全部の市長に会いに行きました。もちろん、中には気難しい首長もいらっしゃいました。しかし、27市町村のどれか1つでも脱落してしまえば、この計画は瓦解します。

 ─ 大変な作業でしたね。

 堀岡 そうですね。いろいろな意見をお持ちの方がいらっしゃったのは事実です。産婦人科医出身の市長の方などからは「本当に意味があるのか」と厳しい意見もいただきました。ただ、どの市町村も少子化には何かしたいとの思いがあり、最終的には賛成していただけました。特に市町村の保健師さんたちが有形無形に味方してくれましたことは忘れられません。

 ─ そこから先はうまく回転していったのですか。

 堀岡 16年1月、笛吹市の県有地に「産前産後ケアセンター」が誕生しました。出産直後の母親をサポートする民設民営の宿泊型施設です。それで県と27市町村からの委託を受け、運営は健康科学大学を運営する学校法人富士修紅学院(山梨県富士河口湖町)にお願いしました。

 同法人の笹本憲男理事長に、私が産後ケアセンターの構想を説明すると、「これは日本にとって、とても重要なので当法人がやりましょう」という言葉をいただきました。まだ、海のものとも山のものとも分からないこの事業に手を挙げてくださったことに心から感謝しています。

 しかも、開業当初は大赤字でした。初年度は年間約200泊しか使われませんでしたからね。ところが昨年は約1200泊でした。県内に生まれる子どもは約4000人ですから、県内の3人に1人が使っていらっしゃるという計算になります。

日本が諸外国のモデルに

 ─ 横内知事や27市町村の首長、笹本理事長といった推進者が手を取り合ったということが大きかったと言えますね。

 堀岡 その通りです。私は県に3年半ほどしか出向していませんでしたが、後任の方々も心の底から県内の産後ケアセンターの普及・啓発に頑張っていただきました。27市町村の保健師さんも「山梨の誇りです」と言って、出産届を取りに来るときや母子手帳を渡すときなどに妊産婦の方々にチラシを渡しながら産後ケアセンターを勧めてくださいました。

 他にも全国に「愛育会」という婦人団体があるのですが、そのうちの山梨支部からは強力な後押しをいただきました。山梨県の愛育会は全国で最も組織率が高く、塩分指導の食事などを啓蒙するなどしていたのですが、この団体からも産後ケアセンターの周知にご協力いただけたのです。

 ─ 関係者の協力があったわけですね。逆に最も苦労した点はどこになりますか。

 堀岡 やはり27市町村を束ねることです。全然関係ない民間企業を27社束ねると考えると、難しさを想像していただけますでしょうか(笑)。27市町村に同じ方向を向いて同じ事業に参加してもらうというのは、なかなか大変でした。

 ─ 市町村ごとに反応で濃淡があるわけですね。

 堀岡 そうですね。ただ、山梨県の良い点は、とりあえず会って話を聞いてくれるのです。当時の私は若造の課長職です。そんな人間が「市長にどうしても会いたい」と言うと、皆さん会ってくださった。このことは本当にありがたく思っています。

 ─ 直接会って、どのような説得をしたのですか。

 堀岡 少子化が非常に深刻な問題になっているということは、どの首長も問題意識として持っていました。何か良い手はないかと悩んでいるわけです。そこで汗をかくのは県です。ですから、今回の産後ケアセンターも県有地を提供し、市町村はそこに乗っかるような形式にしました。できるだけ市町村の負担を減らしたわけです。

 ─ まさに山梨方式と言われる所以ですね。

 堀岡 全国の自治体からの視察が今でも盛んだと聞いています。少子化は先進国全てに共通する課題であり、少子化を克服できている国はありません。スウェーデンなどの北欧諸国は高齢者福祉に注力していますが、人口を維持できるほどの出生率を維持しているわけではありません。

 産後ケア事業などを通じて少子化に歯止めをかけることができれば国力の低下を防ぎ、日本のモデルが同じように少子化の波に直面する諸外国の参考にもなるのではないかと思います。

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