2003年にpaperboy&co.を設立し、2008年に当時最年少でJASDAQへ上場したことで知られる家入一真氏は、その後も連続起業家としてCAMPFIREやBASEなど数多くの企業を立ち上げてきた。さまざまなサービスをつくり、起業してきた同氏だが、その原点は過去の「傷つき」にあるという。

8月22日~23日に開催された「TECH+EXPO 2024 Summer for データ活用」に同氏が登壇。「傷つき」をどのようにビジネスに結び付けてきたか、そしてAI時代のビジネスにおいて人間が考えるべきこととは何かについて語った。

  • 連続起業家 家入一真氏

「傷つき」から生まれた人生のミッション

講演冒頭で家入氏は「居場所をつくり、誰しもが声を上げられる世界をつくるということが、自分の人生をかけて実現していきたいこと」だと話した。この考えに至った背景には、同氏の過酷な人生経験がある。中学生のときにいじめをきっかけに引きこもり、新聞配達をしながら大学入学資格検定(現、高等学校卒業程度認定試験)を取得、東京藝術大学で絵を描くことを目指したが、父親が交通事故で働けなくなり進学をあきらめた。そして就職した後、paperboy&co.を起業。それ以来さまざまな企業を立ち上げてきた。

こうした経験から家入氏は、挑戦するための居場所が必要だと痛感したと話す。それと同時に、インターネットは誰もが自由に声をあげられるところだということにも気付いた。そこで、「インターネットを通じて誰しもが声をあげられる世界」をつくっていくことを目指し、個人の活動を後押しするプラットフォームや居場所になるものをつくってきたそうだ。

AI社会で人間に残された最後の領域は心の課題

AIやロボットが急速に進化している状況の中で、人間が人間たり得るところ、人間にしかできないことというのは「心の領域や課題ではないか」と家入氏は言う。例えば同氏が開発した、ChatGPTでメカニカル仏が悩み事に答えてくれる「HOTOKE AI」も、心の領域のサービスだ。家入氏は開発を始めた頃、AIがカウンセラーの役目を完全に代替できるのはまだ遠い未来のことだと思っていたが、今ではそれもすぐ目の前のことだと感じているそうだ。AIが急速に進化していることもあるが、人間もそれに適応しようと変化していて、AIが前提となる社会になってきているというのがその理由だ。そのなかで、人間に残された最後の領域になるのは心の課題、それも「傷つきなのではないか」と同氏は述べた。

「傷つきは、人間が社会生活を送る中で避けられない経験です。しかしそれをベースにして成長することもあるし、他者への共感を育むことにもつながります。そしてその弱さがその人固有の個性にもなるのです。個人的な傷つきの経験こそが、他の人たちと深くつながる可能性を秘めているのではないでしょうか」(家入氏)

「傷つき」こそが人間らしさ

家入氏は、傷つきには4つの特長があるという。

まず主観性だ。同じ状況や環境でも、個人によって受け取り方は異なる。次に文脈的依存性である。過去の経験や価値観、文化的背景によっても解釈は変わる。そして身体性だ。心理的な痛みが身体に表れることもあるためである。さらに成長の機会になることも特長の1つだ。適切に処理できれば、次に同様の状況があったときに反応できるようになったり、同じ痛みを抱える人に共感できるようになったりする。

傷つきとは、人間にとって過去のものだ。過去に起きたこと、そのときに受けた傷が記憶として残り、それを引きずりながら進んでいく。一方AIは過去をデータとして処理し、削除することもできる。しかし人間は、過去の傷を自分の中で処理し、次につなげていくことができる。それが人間らしさであり、強みにもなるのではないかと同氏は話した。

「傷つき」を原体験として事業を創造

家入氏がさまざまな事業を立ち上げてきたのは、傷つきの経験がある自分だからこそできることがあると思ったためだという。20代前半で最初の事業を立ち上げた後、多様なサービスをつくっていくなかで、なぜこのように全てバラバラなことをしているのかと考え、そこで気付いたことがあったそうだ。それは、傷つきの経験を持つ自分が、同じように辛さを抱える人たちに向け、事業を通じて解決策を提供できないかと考え、サービスをつくってきたということだ。同氏はこうした考えを経て、自分だからこそやる意義のあること、自分がやるべきこと、そして自分がやらなくてもよいことを切り分けられるようになったという。

そんな傷つきの経験を基に事業を創造してきた同氏は、ビジネスを考える際にはまず自分を認識することが重要だと語る。傷ついた経験だけでなく嫉妬心や劣等感などのネガティブな感情も含め、そういうものを持っている自分を認識し、傷つきを掘り下げる。すると、そんな自分だからこそ、今悩みを抱えている人たちが何を欲しているかに気付くことができると続けた。

「そういったニーズや問題意識を明確化して、解決策を考える。それがビジネスにつながっていくと考えています」(家入氏)

AI時代のビジネス戦略

AIが前提となった世界のビジネスで、家入氏が大事にしているのは人間の感情だ。ビジネスとは、チームでプロダクトをつくって顧客から収入を得るほか、投資家などたくさんの人間が関わって成立するものである。そこで人間の感情を無視しても上手くいかないことが多い。AIにできることはAIに任せ、人間にしかできない感情的なつながりや共感を核に据えることが、「事業にとって重要」だと話す。

それを踏まえた上でビジネス戦略として重要になるのは、まず感情的価値を提供することである。少なくとも現時点では、真の意味での共感や感情の価値は人間にしか扱えないことだからだ。そしてパーソナライゼーションも必要だが、AIを活用しつつ人間の洞察や直感を加えることで、より深いレベルのパーソナライゼーションにすることが重要だという。

コミュニティの構築も考えるべきことの1つだ。リモートワークが浸透し、スポットバイト、スポットワークと呼ばれる時間単位での働き方も広まっている昨今では、職場に居場所を求める人も少なくなっている。しかしそれでも、人間はやはり社会的な生き物なので、何らかのコミュニティに属したい気持ちがあるはずなのだ。

「同じ傷つきを持つ人が連携できるコミュニティはこれから重要になるだろうし、事業としても余地がある領域だと思っています」(家入氏)

AIをはじめとするテクノロジーは今後も進化し、それによって社会はアップデートされていくだろう。しかし社会をどうしたいか、世界をどう変えたいかという思いは、自分の経験や傷つきがベースになって生まれてくるものだ。そして「デジタルのテクノロジーもその感情的な部分から生まれてくる」と家入氏は話す。傷つきの経験を持ち、「進学して就職というような一般的なルートにのってこなかった」と言う同氏は、そんな自分でも生きやすい社会にしたいという思いを持っていた。それが起業家への道につながったのだ。

「生きづらさとか傷つき、ネガティブな感情に向き合うことで、自分だからこそできることを模索していく、そういうことがこれからの時代においてより必要とされていくのではないでしょうか」(家入氏)