「春の茶話会レポート」は、Mirai can NOW第6弾 春の茶話会「ねぇ、未来館でお茶しない?」の様子をお届けするブログシリーズです。

「そうそう。旅に出ると、思いもよらないことが起こりますよねー」
「ですねー」
「そういえばわたし、旅先で落としものをしちゃって。大切なものだったので急いで探しにもどったら、とても丁寧に道の片隅に置かれていたんです」
「へー!」
「わあ、それはうれしいですね」
「で、周りに人が見当たらなかったので、半ば神様に届ける思いで『ありがとー!!!!』と天に向かって叫びました。そしたらなんと、拾ってくれた人に届いたんです!『おーい!』と遠くの方から声が聞こえてきて。うれしくって、その人と仲良くなってそのまま一緒に飲みに行っちゃいました」
「わ!それはすごい出会いだ……」
「ミラクルですね」
「あ、そういえば思い出したんですけど……」 

今年3月から4月にかけて開催した特別企画、春の茶話会「ねぇ、未来館でお茶しない?」での一場面です。茶話会では、来館者のみなさんとお茶を囲みながら、風の吹くまま気の向くままのんびりとおしゃべりしました。会場から聞こえてくるのは、たとえば上にあるような、そのときその場だからこそ生まれたみずみずしい言葉たち。みんなでお茶しながら笑いあっているうちにじんわりと元気が湧いてくるような、そんなイベントになりました。

「未来館って科学館でしょ? どうして宇宙でもロボットでもなく、お茶なの?」そう思われた方もいるかと思います。そこで今回は、企画・制作チームを代表し、この一風変わった企画を通じて私たちが取り組んだことをご紹介します。

異なるお茶の味わいのように、いろんな出会いに恵まれたイベントでした。

未来館は、“未来”をつくる実験場です。“未来”が特定の誰かではなく今を生きるわたしたち一人一人にとってのものであるよう、未来館は「すべての人々にひらかれたミュージアム」になることを目指して活動しています。今回特に意識したのが「そもそも科学やテクノロジーに関心がないから(もっと言うと怖いから?)未来館を敬遠している人々」の存在。彼ら抜きに、科学やテクノロジーのこれからについて語り合うことも、その内容も含めた広い意味での“未来”をつくることもできないはずです。彼らと出会うためにどうしたらいいだろう? ――そう考えたのが、この企画のはじまりでした。

彼らとの出会いのために、いったん科学やテクノロジーのことは忘れて、まず未来館に誰もが安心して過ごせる場所をつくることにしました。そうして出来上がったのが、一見休憩所のようなオープンスペース(下の写真)。あえて「ここは○○をするための場所です」といった案内板は置かず、好きに解釈して自由に過ごしてもらえる場所にしました。結果的に、椅子に座っておやつを食べる人やスマホをいじる人、植物を触る人やお茶についての豆知識パネルを眺める人などが混在する、いい意味で名前の付けづらい場所になりました。

会場の様子。リラックスして過ごしてもらえるよう、緑茶色の大きなカーペットを敷き、その上に色ちがいの椅子を並べました。

次のステップは、この場に偶然居合わせた人たちの間に交流を生むこと。でもたいていの人にとって、知らない人に声をかけるのは勇気のいることでしょう。つれない返事がかえってきたら、相手を怒らせてしまったら、どうしよう……。ここで登場するのが、お茶です。ほっこり場を和ませる効果をもつお茶。一緒にお茶することで緊張がゆるみ、初対面の人同士でも言葉を交わすことができるようになるのではないか。そしてそこでやりとりされるのは、名刺交換のように杓子定規なものでなく、ディベートのように論理的なものでもなく、「おいしいね」とか「あったかいね」といった、その瞬間に生まれた無防備で気楽な言葉ではないか。そんなふうにお茶で、ゆるやかな人と人の縁を生み、はじめましての人同士が安心して“居られる”場をつくりたい――。

そんな思いで実施したのが、会期中毎週開催した「みんなで茶話会」です。このイベントの主旨は、「日本茶インストラクターがいれてくれるおいしいお茶を飲みながら、たまたま居合わせた参加者と科学コミュニケーターとでおしゃべりする」というシンプルなものでした。 科学が苦手な人も含めた“みんな”での茶話会なので、これといったテーマを設定せず、10名くらいで車座になってゆっくりお茶をすすりながら、徒然なるままに過ごしました。お茶の話や最近の出来事、幼少期の思い出や人生の悩みなど、回や人によって実にさまざまな話が飛び出します。参加者のみなさんが「○○さんちのお母さん」とか「○○学校の先生」といったふだんの社会的立場から離れてのびのびと過ごされている(遊んでいる?)様子が印象的でした。かくいう「科学コミュニケーターの私」も、いつのまにか「名札を外したただの私」になっていたように思います。

たった30分ほど誰かとお茶しただけなのに、イベント終了後に(人によってはさらに延長して話しこんだ後に)、参加者のみなさんがとびっきりの笑顔で「またね」を言いあっていた姿が目に焼きついています。これはひょっとすると、この場がいろんな人にとっての「誰かに受け入れてもらえた(誰かを受け入れられた)場所」になったことの裏返しかもしれません。ある日の茶話会の最中、ある参加者がふと「食べものの好き嫌いを(親に委ねるのでなく)自分で決めていいんだと思えるようになったのは、実は大人になってからかも」という話をした直後に、驚いた表情で「いま、わたし、今日一番本音でしゃべっちゃったかも!」と嬉しそうにおっしゃいました。こんなふうに、みんなでお茶を囲む場の中から引き出された言葉がいくつもあったと思います。出身も世代も職業も関係なしに「そのままのあなたでいいよ」という場が生んだ、息をする表現者たちと出会いました。

「みんなで茶話会」のワンシーン。彼らはなにを思い、どんな話をしているのでしょう。

会期中、お茶をテーマにすえたトークイベント「研究者と茶話会」も2回開催しました。第1回はお茶の専門家と科学者とともに「ふだんなにげなく飲んでいるお茶のあれこれ」を、第2回は世界の台所探検家と文化人類学者とともに「私たちが生きるうえで“お茶する”時間がどんな意味をもつのか」を探りました(詳細なイベントレポートは、以前の記事をご覧ください。第1回はこちらから。第2回はこちらから)。

お茶は、多くの人が楽しめる門戸の広いテーマです。山茶(やまちゃ)、ティーペアリング、お坊さん、ゲノム、しきたり、ウズベキスタン、符号と象徴などなど、実に幅広いキーワードがとびだすトークイベントになったのも、お茶がさまざまな角度から人間の営みに関わっているからこそ。また、お茶の話は誰とでも気楽にできるのもいいところです。たとえお茶に詳しくなくても、誰もがお茶を飲んだ経験があるので、誰でもなにかしら語ることができます。これにより、登壇者の話を聞くだけでなく、おいしいお茶をいれるコツや、おばあちゃんの家で飲むお茶の特別さなど、参加者が自分自身の関心事を持ち寄って楽しむイベントになりました。

第1回トークイベント終了後、立ち話で盛り上がる参加者と登壇者。和やかな時間が流れる、素敵なナチュラル茶話会でした。

心に残っている、ある参加者の言葉を紹介します。
「祖母がお茶の先生だったんですが、祖母から昔もらったお茶の本を押入れから引っ張り出して、読みながら今日ここに来ました。実は私、今日はじめて未来館に一人で来たんです。子どもが小さかったころは週末に家族で来ることもあったのですが、最近はめっきりご無沙汰で。今日このイベントに参加するために久しぶりに来て、亡くなった祖母のことや子どもが小さかったころのことを思い出して、なんだか自分の人生が過去から現在につながったような一日になりました。科学については疎いのでなかなか未来館を訪れる機会がなかったんですが、お茶がテーマだから来る勇気をもてました。来てよかった。ぜひまたこういった機会をつくってください」

「来てよかった」―― 彼女の一言が、私たちの偶然の出会いを肯定してくれました。「(科学に関心のない人を含む)多様な人々が安心してともに“居られる”場づくり」を目指した今回の取り組みですが、その一方で実践を通じて私が身をもって感じたのが、“他者とともに居る”というのはスリリングで覚悟のいる行為だということです。なぜなら、自分とは異なる他者と本気で向き合おうとするとき、歩み寄る過程で必然的に自らを問い直すことになるからです。未来館で科学コミュニケーターとして働いている私自身は、イベントの場で出会った皆さんと向き合う過程で、未来とは、科学技術とは、未来館とは、科学コミュニケーターとは、そしてここに今いる私とはなんなのかを考えつづけさせられ(考える機会をいただき)ました。そしてそれによって、昨日までの自分ではいられなくなったように思います。どうしようもなく、変わってしまう。たまたま出会った他者が、自分のなかに入ってくる。それはとても怖いことでもあります。

ただ忘れてはいけないのが、今回の企画では自分と他者との間にお茶が置かれたということ。和みの効果をもつお茶のおかげで、出会い頭に異なる価値観をぶつけあい傷つけあったりするのでなく、他愛もない言葉を交わしながら、ゆっくりじんわりと他者を受け入れることができる。たとえその出会いの末に特別ななにかが待っていなかったとしても、ただお茶して誰かとおしゃべりすることで、心が和む。続きの人生を生きる元気が出てくる。お茶はそんな、ちょっといいものなのだと思います。

第2回トークイベント登壇者の磯野真穂さん(文化人類学者)はおっしゃいました。「お茶することで、私たちは“休憩の時空間”に入る」と。お茶は、いわば人生の休憩時間をわたしたちにくれるのかもしれません。子育てや勉強などに追われている“いつもの人生”を一時休止し、お茶を片手にそのとき心に浮かんだあれこれを雑談のように交換することは、他者とともに“いま”を味わい直す作業といえるのではないでしょうか。今回の茶話会でもそうでしたが、気のゆるんだやりとりの中で、キラリと光る言葉が生まれたり、飾らない正直な自分が出てきたり、過去の思い出がよみがえったりと、ときおり「はっとさせられる瞬間」が不意に訪れます。そんな瞬間が、“いつもの人生”に小さな変化をもたらしたり、そしてその変化がじんわりと、思ってもみなかったようなかたちで“未来”を照らすことがあると思います。そういった偶然の出会いの数々を引き受けていくことが、目の前で息をするその人とともに「ほかでもないわたし(たち)の“未来“」をつくる作業なのかもしれません。

以上、書き手の私が一緒にお茶したみなさんの手を借りながら考えたことです。そんな私がイメージしている“未来”と、読み手のあなたの思い描く“未来”がきっと違うからこそ、それでもわかりあえないからこそ、わたしたちは誰かと出会い、変化し続けることができる。”未来“を固定せず、自分たちの手で書き換え続けることができる。それは果たして、辛いことでしょうか?あるいは、喜ばしいことでしょうか?

「ねぇ、お茶しませんか?」

第2回トークイベント後の集合写真。あの日出会った登壇者のお二人や参加者のみなさんお一人お一人のことを忘れません。


Author
執筆: 大久保 明(日本科学未来館 科学コミュニケーター)
【担当業務】
アクティビティの企画全般に携わるほか、多様な来館者に開かれたミュージアムの実現を目指して、インクルージョン&ダイバーシティをテーマとしたイベントやワークショップを企画・実施する。国際学会などで日々の活動で得られた知見の発信も行う。

【プロフィル】
もともとヨーロッパで細胞や遺伝子の研究をしていました。様々な人々が行き交う異国での経験を通じて「“わたし”はいったい何者なのか(“わたし”にとって科学とは何なのか)」と向き合うことになり、科学コミュニケーションの世界へ。地域の子どもに海外の要人、学生にろう者に研究者…。未来館でいろんな他者と出会い、驚き、ますます“わたし”が分からなくなる愉快な日々を過ごしています。

【分野・キーワード】
インクルージョン&ダイバーシティ、アクセシビリティ、生命科学