高砂熱学工業は3月18日、月面用水電解装置フライトモデル(FM)の開発を完了するとともに、月面輸送サービスを手掛けるispaceへと引き渡したことを発表した。

これに際して高砂熱学は記者説明会を開催し、水電解装置の完成報告およびミッションの説明を実施。またispace 代表取締役CEO&ファウンダーの袴田武史氏、宇宙航空研究開発機構(JAXA) 名誉教授の稲谷芳文氏、栗田工業 執行役員 イノベーション本部長の鈴木裕之氏を招いたトークセッションでは、2024年冬の打ち上げを予定する「HAKUTO-R ミッション2」の展望や、宇宙業界の近況について語られた。

  • 月面水電解装置の開発完了報告会の様子

    月面水電解装置の開発完了報告会の様子。登壇したJAXAの稲谷芳文名誉教授、ispaceの袴田武史CEO&ファウンダー、高砂熱学の小島和人代表取締役社長、高砂熱学 研究開発本部 カーボンニュートラル事業開発部 水素技術開発室の加藤敦史担当部長、栗田工業 執行役員の鈴木裕之イノベーション本部長(左から順)

「SLIM」の着陸成功で現実味を増す月面開発

日本の月面への挑戦が、本格化している。JAXAは先日、無人探査機「SLIM」の月面着陸に成功し、地上との通信を確立。着陸時の姿勢トラブルはあったものの、月面で撮影された画像が地球へと送られるなど、大きな成果を挙げた。

月面着陸の先に期待されるのは、月面での長期滞在だ。地球の衛星である月には、大量の水(H2O)が氷の状態で存在するとみられている。そして、その豊富な水資源を水素と酸素に電気分解できれば、前者はロケットや各種機械の燃料として、後者は生物が呼吸するために利用できる。つまり水資源を分解することで、人間の月面長期滞在が可能になるのである。

こうした背景から、宇宙空間における水電解技術の開発を進めているのが、“空気調和設備”を中心として事業を展開してきた高砂熱学だ。

水資源の活用で宇宙進出を目指す高砂熱学

1923年に創業した高砂熱学は、ターボ冷凍機や産業用クリーンルームを初めて実現するなど、産業や社会の基盤を支える建物の空調設備を中心に事業を展開。エンジニアリング会社として、さまざまな技術開発を進めている。

その事業活動の中で同社が約20年前から着目しているのが、水素製造技術だ。2020年には地上用の固体高分子型水電解装置を市場へと投入しており、現在もエンジニアリング力を活かし、再生可能エネルギー由来電力を用いたグリーン水素利用システムの社会実装に取り組んでいるという。

また高砂熱学では時を同じくして、これまで挑戦してこなかった新たな領域への技術適用を目指してきた。その1つとして注目されたのが宇宙であり、2019年にはispaceが主導する民間月面探査プログラム「HAKUTO-R」のコーポレートパートナー契約を締結し、ispaceと協業。2024年の冬に打ち上げが予定される同プログラムのミッション2のランダー(月着陸船)に、高砂熱学の月面水電解装置が搭載されることが決定したとする。

そして今般、同装置のFMが完成。月面着陸後の水素・酸素生成に挑戦するため、同FMはispaceへと引き渡され、現在はランダーへの搭載に向けて作業が行われている最中だという。

  • 月面用水電解装置のエンジニアリングモデル

    高砂熱学が完成を発表した月面用水電解装置のエンジニアリングモデル

低重力空間でも動作する水電解装置の難しさとは?

2019年から約4年をかけて開発された月面用水電解装置は、水を分解して水素と酸素を生成する電解セル、水と生成した酸素をためるタンク、生成した水素をためるタンク、装置全体を制御する電気ユニットで構成され、それらはさまざまな強固なパーツにより支えられている。

  • 月面用水電解装置の構成内容

    月面用水電解装置の構成内容(出所:高砂熱学)

なお、今回のミッションで使用する水については、地上よりタンクに充填した形で持参するとのことで、栗田工業が提供する水電解用の純水が用いられるという。

  • 栗田工業が開発した純水システムと純水のボトル

    栗田工業が月面を想定して開発した純水システムと純水のボトル

同装置の特徴としては、地球の約6分の1という低重力の月面でも安定的に作動する流体制御技術をはじめ、ロケット打ち上げ時などの運用に耐える耐震性、ランダーへの搭載要件を満たす小型・軽量化、さらに真空化でも動作させるための熱制御などが挙げられる。

今回の水電解装置開発プロジェクトで技術担当を務める高砂熱学 研究開発本部の加藤敦史氏は、月面で水電解を行うことの難しさとして、出荷から稼働開始までの期間の長さ、運用期間の短さ、未知の稼働環境を挙げた。

  • 高砂熱学の加藤敦史氏

    月面用水電解装置について技術担当として説明した高砂熱学の加藤敦史氏

水電解装置を月面まで運ぶには、ランダーへの搭載および各種環境試験、ロケットでの打ち上げ、ロケットからのランダーの分離など多くの工程を経る必要があり、出荷から月面到着までの期間はおよそ1年~1年半になる。また宇宙空間を航行する間は無重力となるため、装置内の水があらゆる部分へと移動しかねないという懸念があるという。

一方でランダーが月面に着陸して以降は、ランダーに太陽が当たるおよそ2週間の“昼”の間に運用を行う必要がある。これは、水電解装置を地上から遠隔で操作するための通信をランダー経由で行うためで、実際にはランダー自体の確認などにも時間を要するため、水電解装置の運用可能期間はさらに短くなることが予想される。また当然ながら、地上と月面とでは通信にも長い時間を要するため、装置から送信されたデータをもとにコマンドを入力するには長い時間がかかる。つまり、限られた時間の中で的確に水電解を行う必要があるのだ。

加えて先述した通り、月面の重力は地球の約6分の1であり、地上では重力を利用した機構となっている水電解装置を、低重力下でも安定動作するよう改良を加えているとのこと。だが加藤氏によると、「6分の1とはいえ重力はあるので、無重力とは異なりわずかな重力も利用する仕組みになっている」と話した。

HAKUTO-R ミッション2で目指す高砂熱学の目標とは

高砂熱学の水電解装置が搭載されるのは、ispaceにとって月面到達への2度目の挑戦となるHAKUTO-R ミッション2。SLIMの月面着陸に先駆け、民間として世界初の月面着陸成功が目指された2023年の初挑戦では、ソフトウェア側のエラーによる高度データの誤差のため、着陸まであとわずかに迫ったところで失敗。しかしispaceの袴田武史氏は「着陸寸前までの非常に有用なデータが取得できている」とし、その知見を活用した今回のチャレンジに自信をのぞかせる。

  • ispaceの袴田武史氏

    2023年の月面着陸挑戦を振り返るispaceの袴田武史氏

なお、高砂熱学としてのミッションは“月面において水素と酸素を安定的に「つくる」技術を実証すること”であるといい、具体的には以下の3項目実証を目指すとする。

高砂熱学が実証を目指す3つのミッション

  • 月面で水素と酸素をつくる
  • つくった水素・酸素を昇圧する
  • 運転・停止を繰り返し行う

このうちミニマムミッションには、わずかでも月面で水素・酸素をつくることを設定。フルミッションでは、水電解装置の数分間の運転、および運転・停止を繰り返し行い機能を発揮することを目指し、地上での運用と同程度の水素・酸素の圧縮をエクストラミッションに掲げている。

スピーディな開発で月面での経済インフラ構築へ

会見に併せて行われたトークセッションには、JAXAの稲谷芳文名誉教授も登壇した。稲谷名誉教授は、民間による宇宙開発の強みについて“スピード感”を挙げ、「国による宇宙開発ではできなかったことが民間企業によってできるようになっている」と昨今の宇宙市場を分析する。また今回のプロジェクトの成功を願っているとした上で「その次のことも考えていく必要がある」とし、「上手くいってから次のことを考えるのでは、国がやっている宇宙開発と同じスピードになってしまうため、民間企業ならではの役割を果たして成果をどんどん出していってほしい」と語った。

また、高砂熱学の小島和人代表取締役社長は、月面での水資源を実現した先には、月面経済圏による水資源利用エコシステムを構築することの重要性を挙げ、今回の技術実証がそうした流れの“1歩目”であることを強調。これを受け袴田氏は、「月面での経済インフラを構築するためには、宇宙企業だけでなく地上でほかのビジネスを展開する老舗企業とも協力していくことが必要」だと話す。

また小島氏は、5年前の2019年に出会ったという袴田氏との会話を振り返りながら「地上での縁から、ワクワクするような宇宙へのスタートを今日切ることができた。これからも5年後、10年後を見据えながら走り続けていかなくてはいけない」と、期待と責任感に包まれたコメントを残した。

  • 高砂熱学の小島和人代表取締役社長

    月面での水電解技術実証に向けて期待を語る高砂熱学の小島和人代表取締役社長