【著者に聞く】『ChatGPTの全貌 何がすごくて、何が危険なのか?』中央大学国際情報学部教授、政策文化総合研究所所長・岡嶋裕史

AIと友達になるのは良いが、主人にしてはいけない

「ChatGPT」に代表される生成AI(人工知能)が何かと話題になっている。

 今のAIは特定の機能を持ったエキスパートシステムであり、ChatGPTは言語が操れる特定機能AIである。もっとも、言葉というのは人間の行動の広範な部分を占めているので、こんなことができるようになったのかと、ややもすると、人間がAIに幻想を抱いてしまうようになる。

 ところが、実態は確率計算でもっともらしく見えるような言葉を並べているだけなので、トンチンカンな言葉が出てきたり、でっちあげのような話が出てきてしまう。

 大学生のレポートのように、難しい言葉を並べるともっともらしく聞こえるので、結構高得点をとれるようなものが書けたりするのだが、子供向けの知能検査だと全然点が取れなかったりもする。その意味で、AIに過度な期待を抱いてはいけないと思うのだ。

 ただ、企業がAIに向き合おうとした時に、あれだけインパクトのあるものを無視するのは現実的ではない。AIはいろいろなデータを学習しているので、モノを考える生き物である人間にアイデアを提供するツールとして活用していくべきだ。

 生成AIの怖いところは、大したことを言っているわけではないのに活字にした途端、真実に見えるということ。だからこそ、怖い存在であり、人間の倫理観や使い方が問われてくる。

 これからAIがさらに進歩していけば、人間は大事な意思決定をする時に、その判断をAIに任せたくなる時が来るだろう。しかし、人間の根源的な部分である意思決定をAIに任せるのはまだ不安がある。AIと友達になるのは良いが、決して主人にしてはいけない。

 仮に判断を間違ったり、嫌な思いをしたとしても、大事なことを自分の意思で決め、自分の責任で実行するということは、人間に生まれてきたからこそできる楽しみである。全てでなくてもいいから、わたしは人間の尊厳にかかわる部分を味わってほしいし、手放さないでほしいと考えている。

 AIに全てを委譲してしまうよりは人間の意思、仮にそれが間違いだったり、失敗につながったとしても、自分はこうしたいから、こうやって動いていくんだというところを、うまく折り合いが付けられるような社会になるといいなと思う。

 全てを確率計算や効率化だけで考えるとつまらない。AIに健康に気を付けろと言われて、健康的なものを食べるように心掛けてはいるけど、時にはジャンクフードを食べたい時もある。それが生身の人間だと思うし、AIにどう向き合うかというのは、生身の人間としてのあり方や尊厳が問われていることと同じなのではないだろうか。

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