河北医療財団理事長・河北博文「これからの日本には生活を支える医療、病気との共生という考え方が必要になる」

「これからの時代は病気との共生も必要になってくる」─。自然は敵対すべき存在ではなく、自然との共生が言われるように「例えば、がんを全て切り取るのではなく共生していく。自分が亡くなる時にがんも消えてなくなるという医療をつくるべき」と河北氏。生きるとは何か、働くとは何かという根本問題の中で、医療は社会の仕組みづくりと大いに関わってくる。社会運営に必要な基軸とは何なのか。

社会の変化と「憲法」との関係

 ─ 前回、国として、そのあり方を打ち出すことが重要だという指摘をされました。戦後78年が経ち、日本としてどういう発信をすべきか。

 河北 国家は地球国家のようなもので、1つの国家ではないと思います。各々の個別国家から世界国家観を持つ必要が大切になりました。1929年の世界大恐慌の後、ナショナリズムが勃興、1944年の「ブレトン・ウッズ体制」に至るまではブロック経済の時代で、それを戦争が終わらせた。

 それが今、米国を中心として集まる国、ロシア、あるいは中国に寄っていく国といった形でブロック化してきています。まさに1930年代の日本が経験したことです。本当は、こうした状況がよくないのだということを、日本の総理などは発信すべきだと思います。

 ─ 8月15日の終戦記念日には戦争や国のことを考えて終わるのではなく、日々国のあり方を考え続けることが大事ですね。

 河北 そう思います。日本国憲法は1946年11月に公布され、施行されたのは1947年5月です。この際、憲法に合わせて様々な法律を作り直しています。この時、吉田茂首相が、旧憲法下の最後の首相として、天皇陛下から指名されました。今は国会の議決ですが、当時は天皇の指名です。

 この時、天皇陛下が吉田首相を呼び指名したわけですが、天皇陛下は「新しい憲法の下で自分はどうあるべきか」とご下問されたのですが、吉田首相は首相でありながら、すぐには答えられなかった。

 ─ 新憲法では「象徴」とされましたが、吉田首相はその場では答えられなかったと。

 河北 はい。昭和天皇は聡明だったと思うんです。明治憲法下では天皇は全ての統帥権を持っていましたから、敗戦後には戦争責任を取るかどうかという状態になりました。政治に翻弄される立場だということを、最も強く感じておられたのは昭和天皇だっただろうと思います。

 天皇陛下を「象徴」としようという考え方は明治からありました。その1つが福澤諭吉が書いた『帝室論』です。この中では象徴という言葉は出てきませんが「皇室は政治の枠外にあるべきことを説く。立場に関係なく全国民は同等に皇民であるとし、皇室は特定の政党に関与すべきではないことを主張する」と天皇の立場を定義しています。

 ─ 天皇を政治に巻き込まないという考え方ですね。

 河北 そうです。なぜ、こうしたことを福澤が書いたか。彼は米国に留学した際、アレクシス・ド・トクヴィルが書いた『アメリカのデモクラシー』を読み、民主主義を勉強したのです。

 トクヴィルはフランス人ですが、9カ月間、米国を旅して、米国がなぜデモクラシーをつくってきたかについて研究しましたが、デモクラシーは産業革命に端を発しています。

 蒸気機関から始まった産業革命で庶民の生活は豊かになりました。豊かになると物事を考える時間が増えます。物事を考え始めると、社会に関していろいろ意見が出てくる。

 ─ その後、米国の独立などにつながっていきます

 河北 はい。社会が豊かになり、1776年に米国の独立宣言、1789年から始まったフランス革命につながったわけですが、その過程で民主主義が育ってきました。それを書いたのがトクヴィルであり、その本を読んで、日本もこういう社会になって欲しいと書いたのが『帝室論』なんです。

 この『帝室論』を読んでいたのが、後に日本医師会会長を務めた武見太郎です。武見太郎から、この本の内容を吉田茂が聞き、新しい憲法につながっていくわけです。

 憲法という文章が大切なのではなく、憲法が描く社会のあり方が大切なんです。文章そのものを重視するのではなく、憲法がどんな社会を想定して、その社会をつくり、維持、発展させるための文章でなくてはならないわけです。

 ─ あるべき姿を考えての憲法だと。

 河北 例えば福澤諭吉が明治時代に考えた日本社会、敗戦後に我々が考えた社会、そして我々がこれから考えていく社会など、それぞれ違うと思うんです。その意味では、描く社会が変わっていくのであれば、憲法は改正すべきだということです。

幅を持つためには基軸が必要

 ─ 若者の自殺が増えるなど、近年「心」の問題が言われます。諸外国には宗教という軸がありますが、日本はどう考えるべきだと思いますか。

 河北 私は宗教観がないのが自分の1つの課題だと思っています。欧米の多くの国はキリスト教という軸があり、その中でもカトリックとプロテスタントとで、また違ってくる。彼らの考え方と、日本人のように「八百万の神」で進んできた国とでは、全く違うと思います。

 ─ 日本は仏教もキリスト教も受け入れてきていますね。学校でも宗教教育を軸に立派な教育をしているところは多くあります。

 河北 日本社会は、あまりにも宗教色を薄めてしまっていると思います。本来は人間の心の柱をつくるという意味で、とても大切なものだと思います。

 一方で、日本は戦後、サイエンスとテクノロジーで国をつくってきました。そこに合う言葉は「right」(正しい)と「wrong」(間違っている)で、0か1かの話です。良い悪いは「good」、「bad」ではないんです。rightとwrongは正解である、誤っているということですが、goodとbadは好ましいか好ましくないという意味で曖昧なんです。

 私はサイエンス、テクノロジーは正しいと思って生きてきましたが、振り返ると極めて数学的な頭だったと思います。ところが、留学していた米国から帰国して考えたのはgoodとbadのことです。好ましいか、好ましくないかということはバランスで、幅が動くんです。

 ─ 許容度も大事だと思い至ったということですね。

 河北 ええ。ものすごく右、ものすごく左はありえない。ということは、右でも左でも、どこで止めるか、幅を持たせているわけです。ただし、幅を持つためには基軸がなくてはいけません。

 ─ 河北さんの中での基軸は何ですか。

 河北 私は3つ決めています。1番目にフェアであるか、2番目にリーズナブルであるか、3番目にシンプルであるかです。正解か誤りかではなく、常にそういう幅を持って物事を考える。おそらく、宗教観というのはgoodとbadに近いのだろうと思うんです。

 フェアは「公正」であり「公平」ではありません。リーズナブルは理に叶っている、あるいは多くの人が賛同できるものですが、同質性とは違います。そしてシンプルというのはわかりやすさです。

 ─ フェア、リーズナブル、シンプル、この3つの基軸はどの国でも通じるものではないでしょうか。

 河北 私はそう思っています。

 ─ 一方で、今のロシアや中国のように専制主義の国が出ているという問題もあります。

 河北 我々はロシアや中国のような専制主義ではなく、デモクラシー、できるかぎりオープンに様々なことを議論する体制を維持すべきだと思うんです。

 先程お話した「曖昧」や「幅がある」ということと同じで、完全に勝つということはあり得ません。違う意見も取り入れていくことが必要ですから。このことは寛容、譲るという精神につながっていくと思います。

「病気との共生」も必要になる時代

 ─ 河北さんはこれまで「家庭医」の重要性を説いてこられましたが、今後の日本の医療に必要なことは何だと考えますか。

 河北 コロナ禍で顕在化したのは、医療のあり方の問題です。私は昔から考えてきたことですが、誰もみんな意見を言いません。なぜなら、今のままでみんな食べていけるからです。

 しかし私は「プライマリ・ケア」、「スマート医療」、「医師国家試験」、「家庭医」など様々な改革を訴えてきました。

 プライマリ・ケアの日本語訳はおそらく「生活医療」です。これは生活を支える医療であって、疾病と対峙する医療ではありません。日本は疾病に対する医療はあるところまで来ていると思いますから、今後は生活を支える医療に転換していくことが大切です。

 よく「自然との共生」が言われますが、自然は敵対すべき存在ではありません。それを同じように、これからの時代は病気との共生も必要になってきます。例えば、がんを全て切り取るのではなく、共生していく。自分が亡くなる時にがんも消えていくという医療を、これからつくっていかなければいけないと思っています。

 ─ 医療の立ち位置がこれまでとは違ってきますね。

 河北 はい。先日、ゴルフで一緒になった人から聞いた話です。友人に医師がいるそうですが、その方からiPS細胞を使って若くいられるという、新たな治療法を試させて欲しいと言われたそうです。そういう医療が必要かどうかといえば、私は必要ないと思っています。

 ─ その理由は?

 河北 医療の役割として、ある期間健康に生きることを支えることが重要です。生きるということは生活です。それを不自然に若さを保つとか、長生きをさせるといった医療はやってはいけないと思うんです。

 なぜなら、新しい命が生まれなくなるからです。種は循環しなければいけません。循環しないような領域に、医療は手を出してはいけないと思うんです。そうした考え方に基づいた地域医療を、我々の財団はやっていきたいと思います。

小児科で重視する「心のケア」

 ─ 現在、自らの病院における課題をどう感じていますか。

 河北 私には後を頼みたい息子がおり、河北総合病院で共に働いていますが、なかなか意見を同じに出来ないのが前回もお話した小児科医療です。当院には小児科医が10名近くいますが、我々くらいの規模の小児科であれば2、3名で行うのが通常です。

 ─ なぜ、10名近くの人数を確保しているんですか。

 河北 それは他の小児科医がやらないことをやっているからです。それが「心のケア」です。

 これは金銭的利益につながるものではありません。保険点数が増すような話ではありませんし、時間もかかります。

 かつ、当院には「心のケアセンター」というケア部門があり、公認心理師/臨床心理士が10名ほどいますが、これも利益にはつながっていません。患者さんからの相談には診療報酬はつかないからです。

 基本は患者さんの自費なのですが、自費で支払えるような状況にない家庭のお子さんも多く、無料で診させてもらうことも多いんです。そして非常に時間がかかる診療になります。

 さらに、当院の公認心理師/臨床心理士にはいくつかの仕事がありますが、そのうちの1つが職員の心のケアです。特に患者さんに接する職員は心理的負担のかかる仕事で疲弊してしまうことがありますから、この職員の心のケアを、かなり丁寧にやっているんです。また、患者さんとそのご家族の心のケアについては無料でやっています。

 こういう医療が行えるのも、他の診療科があるからです。ただ、経営という観点で息子は怒るわけです。その気持ちはわかります。

 ─ それでも河北さんが続ける理由は?

 河北 95年前、私の祖父が病院をつくった時、内科と小児科でスタートしたんです。

 当時は脱水を伴う小児の感染症は致死率が80%で、来る子供、来る子供、みんな死んでいったそうです。祖父が招いた中島義四郎先生という医師は、こうした状況を受けて、まだ抗生物質ができていない時代に「持続点滴療法」という治療法を導入しました。

 病気を治すのは人間の体の免疫の力です。栄養状態がよくないと免疫力が落ちるので、点滴で補給したところ、致死率が20%に下がったのです。この功績で、中島医師は国際小児科学会で特別表彰を受けました。1984年ですから50年後のことです。

 こうした医療の原点を忘れず、これからも取り組んでいきたいと思います。