「強い『個』の育成」を進める 三井物産の人的資本戦略

挑戦を続けられる環境が必要!

「自分にも後輩がつくようになり、更なるリーダーシップを発揮するために、新しいポジションで、今まで以上に覚悟と責任感を持って仕事をしたいと思った。管理職になったことで、経営者目線も意識し、より広い視野で仕事に取り組めるようになったと思う」

 こう語るのは、三井物産リテールトレーディング、輸入物流チームリーダーの林美穂氏。

 林氏は30代で、入社より鉄鋼製品本部、人事総務部、海外研修員、流通事業本部と様々な部署を経験。こうした経験を活かして、更なるキャリアアップを図ろうと考えていた林氏が活用したのが、三井物産の『キャリアチャレンジ制度』。2年前、入社年次や年齢に関係なく、能力や意欲のある社員の成長を促したいという目的で創設された制度だ。

AGC・島村琢哉会長 「ポジションによって待遇、報酬を変える『日本型ジョブ型制度』も一つの道」

 通常、課長や部長などの責任あるポジションにつくには、誰しも様々な経験が必要で、一定の年数を要するもの。しかし、同制度は本人に意欲があれば、希望するポジションに挑戦できる。同制度の参加者の平均年齢は31.5歳。〝M2(室長クラス)〟というポジションから〝M1(部長クラス)〟への挑戦など、いろいろな段階のチャレンジがあるが、若手が〝M3(チームリーダー的な位置づけ)〟と呼ばれる管理職へ挑戦する社員が多いという。

 同制度を利用し、日本のみならず、米国・欧州・中東・南米など、世界中の関係会社で社長を含む重要なポジションに若手社員がチャレンジしており、中には入社5年目の29歳で、三井物産最年少で関係会社の社長になった社員もいる。

「複雑化する世の中で、最初から正解を導き出すことが難しくなっている。それでも当社は挑戦を続けられる環境が必要だと考えていて、時には上手くいかないこともあるが、失敗から学ぶことで自らを鍛え、次のチャレンジにつなげられることを重視している。そのような会社の環境や制度を整えるのは会社の人材マネジメントにおいて大切なテーマ」(三井物産専務執行役員人事総務部長の平林義規氏)

 三井物産がこうした若手登用制度を導入したのは、近年、商社のビジネスが大きく変化してきたことが背景にある。

 特に資源ビジネスのように商社が手掛ける個々の案件規模が巨大化してくると、どうしても事業の判断をするのは部長、本部長クラスになり、若手は断片的な仕事しか担当できなくなる。ここに挑戦意欲の旺盛な若手から不満が出たとしてもおかしくはない。会社側はそうした齟齬が生まれないよう、バランスを考えて、若い人が失敗を恐れずにチャレンジする風土をつくっていく必要がある。

 平林氏も「もっと優秀で多様なタレントが、グローバルな土俵に上がって活躍し、切磋琢磨してもらわないといけないという強い危機感を持っている。日本国内では良い採用をさせていただいているが、本当にグローバルでさらに付加価値の高い仕事をしていくと言った場合にはまだ十分ではない」と指摘。

 若者にどう活躍の場を与えるかという課題認識だ。

創業理念や経営戦略と連動した人材戦略を

 近年、企業のパーパス(存在意義)が問われるようになった。企業は何のために存在し、事業を展開するのか。そして、人は何のために働くのか─―。

【著者に聞く】『部下がイキイキと働く組織の作り方』メンタルヘルステクノロジーズ 社長 ・刀禰 真之介

 旧三井物産初代社長・益田孝の「すべては人から始まる」という言葉を原点とし、〝人〟を重視した人材戦略を展開してきた三井物産。1876年に創立された旧三井物産は1947年に解散しており、現在の三井物産と法人格は異なる(法的には全く別個の企業体)が、創立時の精神は今も引き継がれている。

 現在、同社が人材戦略の中核に据えるのが『強い「個」の育成』。世界中でビジネスを手掛ける商社だけに、入社5年目時点に41%、10年目時点で78%が海外を経験している。

 できるだけ若いうちに海外経験を積むため、同社では独自の『海外研修員・修業生制度』を設置。語学習得だけでなく、その国の文化への理解を高めることや人的ネットワークの構築を目的とし、英語圏以外を主とする国へ若手社員を派遣。戦後すぐの1952年から始まった海外派遣制度は累計2793名の社員が同制度を活用している。

「当社は創業者・益田孝の時代から、人について相当フォーカスしてきた会社。人の育て方や人の活躍の場の提供の仕方をきちんと説明できれば、差別化の要因になるだろうと。三井の社員が現地で頑張って働いているのは、こういうところに源泉があるのだということをご理解いただければ」(平林氏)

 今春から、全ての上場企業が人的資本の情報開示を義務づけられるようになった。機関投資家が企業に対して、女性管理職比率や男性の育児休業取得率、男女の賃金の差異など、財務指標以外の数値、いわゆる、人的資本の数値の開示を強く求めるようになったからである。

 人的資本とは、人材をコストではなく、競争優位や企業価値創造の源泉である資本とし、投資すべき対象ととらえる考え方。こうした流れを踏まえ、三井物産は9月に『人的資本レポート2023』を初めて発行した。

 平林氏は「日本にとって、2023年は人的資本開示元年と言っていい。当社が創業以来、『人』こそが持続的な価値向上の源泉と考え、人材主義や人材投資を重視してきたことをしっかり示す。そして、人的資本に関するデータを可能な限り連結ベースで示すと共に、人材戦略や施策が当社の価値創造につながる構図を示すことで、ステークホルダーの皆さんにご理解を深めていただきたい」と語る。

「人の三井」と評される三井物産は、いかに人的資本経営を実効性のある取り組みへつなげていくのか。多様な人材が各々の潜在力を発揮するための職場づくりへ、同社の挑戦は続く。

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