ブラックホール、超新星残骸、銀河団――。そんな謎だらけの天体をX線で詳しく観測する使命を背負って、X線天文衛星「ひとみ」が打ち上げられたのは、いまから約7年前の2016年2月17日のことだった。
しかし、わずか1か月後に衛星に問題が発生し、そのまま復旧することなく、4月には運用を断念することになった。
志半ばで悲劇に見舞われた「ひとみ」だったが、その性能はすさまじく、運用を終えるまでに行われたわずかな時間の試験観測でも、論文誌『ネイチャー』に掲載されるほどの科学成果を生み出した。
「『ひとみ』の使命を、そしてX線天文学の火を絶やしてはならない」――。世界中の研究者の決意、期待をすべて注ぎ込み、待望のX線天文衛星が復活した。その名は「X線分光撮像衛星(XRISM、クリズム)」である。
XRISMが目指すもの
XRISMは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が中心となり、米国航空宇宙局(NASA)や欧州宇宙機関(ESA)、国内外の大学・研究機関と共同で開発した宇宙望遠鏡で、「X線」を使って宇宙を観測することを目的としている。
レントゲンでもおなじみのX線は、高エネルギー光の一種で、激しい衝突、大爆発、1000万度の高温、高速回転、強い磁場など、物質が極限状態にあるところから発生する。宇宙というと、冷たく静穏な世界に見えるものの、じつはあちこちで天体の爆発や衝突、突発現象が起こるなど激動に満ちており、X線で観測することで可視光(肉眼)で見るよりも違った景色を、またより多くの情報を集めることができ、そうした現象について詳しく理解することができる。
ただ、宇宙からのX線は地球の大気によって遮られてしまい、地上には届かないため、観測するためには宇宙に望遠鏡を打ち上げる必要がある。そのため、X線天文学はロケットや衛星といった宇宙開発の歴史とともに発展してきた、まだ60年にも満たない新しい学問である。
日本は1979年に打ち上げたX線天文衛星「はくちょう」に始まり、これまでに計6機のX線天文衛星を打ち上げている。X線天文学の黎明期からこの分野に取り組んできた日本は、世界をリードするほど数多くの成果を挙げ、「日本のお家芸」とも称されている。
しかし、2016年に打ち上げた「ひとみ」は、トラブルによってわずか約2か月で運用を断念することになった。世界中からの大きな期待を背負っていただけに、関係者の落胆も、そして科学的成果の機会損失も大きなものとなった。
それでも関係者はめげなかった。2017年度には「ひとみ」の使命を受け継ぐ新たなX線天文衛星の検討が始まり、2018年度には正式にプロジェクトとしてスタートした。そして完成したのがXRISMである。
XRISMが目指すもの
XRISMは、宇宙の高温、高エネルギーのガス「プラズマ」のX線を詳しく観測できるようにつくられている。そこには、それを生み出した現象についての詳細な情報が含まれており、高温プラズマの速度や化学組成を調べることにより、星や銀河、銀河の集団「銀河団」がつくる大規模構造の成り立ちを、これまでにない詳しさで明らかにすることを目指している。
XRIMSの研究テーマとして、主に次の4つが挙げられている。
宇宙の構造形成と銀河団の進化
天の川のような銀河の集まりである銀河団は、「ダークマター(暗黒物質)」がつくり出す重力場と、高温プラズマの圧力との絶妙なバランスによって成り立っていると考えられている。ただ、高温プラズマはやがて冷えて圧力が下がり、そしてダークマターの重力によって潰されてしまう。それにかかる時間は10億年程度と見積もられているが、実際には銀河団は100億年規模で安定しており、崩壊の兆しはみられない。
そこで、銀河の中心に必ずある巨大質量ブラックホールからのジェット(ブラックホールのすぐそばにある物質の一部が、宇宙空間に超高速で噴出するように飛んでいく現象)が、プラズマに乱流をつくりだし、プラズマを暖めることで、暗黒物質による崩壊を防いでいるのではないかと考えられている。
ところが、「ひとみ」がそのわずかな運用期間の中で「ペルセウス座銀河団」の中を観測した結果、プラズマの動きは予想よりも非常に静か、つまりジェットの乱流で暖められているようには見えないことが判明した。いったいなにが、ダークマターの重力に対抗して、銀河団の構造を保っているのか、そのエネルギー源はわからないままとなっている。
そこでXRISMは、さまざまな銀河団を観測して、それぞれどのような形でエネルギーが輸送されているのかを明らかにしようとしている。
宇宙の物質循環の歴史
高温プラズマが運ぶのはエネルギーだけではない。物質もまた、恒星の中で生まれたあと、その多くは恒星風や超新星爆発といった現象によって高温プラズマになって、星間空間へと広がっていく。そして、新たな恒星や惑星の材料として再利用されている。
さらに、そうした物質のうち重元素は、銀河風や巨大質量ブラックホールのジェットによって、100万光年もの距離を飛んで銀河間空間へと移動していく。
つまりエネルギーだけでなく物質も輸送され、宇宙で循環しているのである。
XRISMはそうして運ばれる物質の中の、一つひとつの元素の動きを捉えることができる性能をもっている。そこで、さまざまな天体を見て、それぞれの場面でどのように物質が移動しているのか、どのように星間空間や銀河間空間へ移動しているのかを観測する。
極限状態の物理現象を見る
ブラックホールや中性子星、恒星が死を迎えたあとに残る白色矮星といった天体は、その周囲に強い重力場に引き寄せられ渦巻くプラズマの構造「降着円盤」をともなっていることがある。このプラズマは強いX線を出すため、これまでもX線天文学において熱心に研究が進められてきた。
とくに、1993年に打ち上げられた日本のX線天文衛星「あすか」は、光速近くの速度で回転する降着円盤からの鉄元素からの輝線スペクトルを観測することに成功し、さらにそのスペクトルには、ブラックホールが起こす重力赤方偏移による歪みがみられた。
ただ、これまでの観測では、赤方偏移した成分と、していない成分の区別がはっきりできなかった。
しかしXRISMは、ブラックホールの近くの赤方偏移した成分と、遠方からの輝線をはっきりと区別することができるだけの性能をもつ。これにより、降着円盤におけるプラズマの密度や温度がどうなっているのかという構造や、それらが時間的にどのように状態遷移をしているのかを調べることができ、一般相対論が支配する重力場における時空構造を観測することにも役立つと期待されている。
画期的な装置が拓く新しい観測手法と宇宙物理
XRISMに搭載されている観測機器のひとつ「Resolve」は、X線マイクロカロリメーターと呼ばれる画期的な装置で、科学者が長年、この装置で宇宙を見ることを待ち望んできたものでもある。
この装置を使うことで、いまはまだ科学者が誰も思いつかないような観測手法や宇宙物理が見つかるのではないかと期待されている。
とくに昨今、ALMAや「すばる」望遠鏡、TMTなど、地上の望遠鏡もますます発展を遂げているほか、「ジェームズ・ウェッッブ宇宙望遠鏡」のように強力な新型宇宙望遠鏡も打ち上げられ、さらにニュートリノや重力波を使って宇宙を観測するまったく新しい望遠鏡も登場している。
こうした、さまざまな観測手法を組み合わせて宇宙を観測することを「マルチメッセンジャー天文学」と呼び、XRSIMもまたその一翼を担い、宇宙の新たな描像を切り開いていくことが期待されている。
さらに2030年代には、ESA、NASA、そしてJAXAが共同で「アテナ(Athena)」という大型X線天文台を打ち上げることも計画しており、XRSIMはその水先案内人として、データ収集や技術的な土台、運用・観測手法の技術向上などに役立つとも期待されている。