東レ・大矢光雄新社長の決意「成長領域開拓へ、研究・技術に加え、営業にも『横串』を刺していきたい」

「航路を間違えないように舵を取り、荒波に向かっていく」─こう話すのは東レ新社長の大矢光雄氏。2023年6月、東レでは13年ぶりに社長が交代する。その大矢氏は「繊維営業一筋」だが、今まさに会社に必要なのが「営業力の強化」だと強調する。部門間で横串を刺し、持ち前の素材の技術力との相乗効果を高めていく考え。大矢氏が考える経営の形とは─。

全社一丸となって難局を乗り切る

 ─ コロナ禍、ロシア・ウクライナ戦争、そして欧米の金融危機と非常に先行き不透明な中での社長就任ですが、どういう思いを持っていますか。

 大矢 厳しい経済環境の中での船出です。船長がしっかりしないと荒波に呑まれますから、緊張の中でのスタートとなります。具体的には、企業理念実践のため、2050年に実現する「東レグループ サステナビリティ・ビジョン」を策定しました。前中経でも確実に課題は進捗しましたが、収益面では苦戦しました。今年から新たな中期経営課題がスタートします。きちんと航路を間違えないように私が舵を取り、荒波に向かっていく。そして全社一丸で難局を乗り切っていきたいと思います。

 ─ 大矢さんは繊維営業の出身で、東レに必要な力は営業力、マーケティング力だという話をしていますね。

 大矢 前の中経である「AP―G 2022」では反省点があります。戦略的に拡大する成長領域での売り上げ収益については目標に対して、ある程度クリアしたのですが、事業利益の部分が大きく未達になったのです。

 要因としては、原燃料価格の高騰分の価格転嫁ができなかったこと、もう1つは設備投資の刈り取りの時期でしたが、マーケットの変動を受けて、数量を上げることができなかったことが大きかったですね。これらは反省点です。

 この2つの要因とも、営業戦線の売り抜き、マーケティングの方法など、いま一度反省の上に立ってきちんとやっていけば、確実に収益もついてくると考えています。

 ─ 反省を次に生かしていくということですね。この数年、市場環境は大きく変わりました。

 大矢 ええ。例えば自動車です。内燃機関から電気自動車(EV)へのシフトによって、我々が提供する部材が高機能化していく。樹脂でいえば、さらに難燃性を高めたものになると。

 また、我々は素材メーカーとしてティア1(一次請け)向けのダイレクトの営業をきちんとやっています。ただ、自動車メーカーの系列のサプライチェーンが、かなりシフトするなどマーケットに変化が起きています。

 ただ、我々はどうしても縦割りで仕事をしており、これは深掘りにはいいのですが、マーケットの変化対応へのスピード感が若干弱かったという反省点があるんです。

 その意味で、グローバルで横断的に対応できる組織、対応力が求められている。そこで昨年6月に「マーケティング部門」を新設しました。その中に組織横断で対応すべき成長領域を念頭に「ネクストモビリティ室」も立ち上げました。

原点に返って戦略的な値付けを

 ─ 東レは技術に強みのある企業で、部門横断的な開発に特徴がありますね。それを営業でも進めていくと。

 大矢 ええ。技術面では「技術センター」という組織があり、部門横断的に素材を創出できるように横串を刺しています。それに対して営業側が、その体制と連携してできていないことが課題だと考えてきました。

 そこに先程お話した新組織を立ち上げて、マーケットとサプライチェーンの変動に対して、我々の商材をタイムリーに拡大販売できる体制を整えてきました。さらに昨今のサステナビリティの流れの中で、環境関連製品に対するマーケットからの要請が強いんです。

 技術的には繊維、フィルム、樹脂などをリサイクルするイノベーション技術を持っていますが最終的には、バイオ関係の商材をいかに循環させるかということが重要になります。また、事業化していくためには、リサイクルの静脈ルートを構築していけるかどうかが問われます。これは営業の仕事だと思うんです。

 そこで新設したマーケティング部門の中に「環境ソリューション室」を新設し、成長領域に対して横串を通して、事業として成り立たせるための取り組みを進めています。

 ─ 近年は世界的なインフレの流れを受けて、製品価格をいかに上げていくかが問われています。どう対応していますか。

 大矢 価格の部分は非常に重要です。いま一度原点に返って、我々の商材がお客様にとってどういう価値があるのかという戦略的なプライシングに取り組み始めています。これによって研究開発、生産エンジニアリング力に加えて、営業のグローバルなオペレーション力をさらに強化したいと考えています。

 当社は1955年に香港に商事会社を設立し、この時からすでに縫製オペレーションをスタートさせました。1960年代にはアジアの拠点づくりを進め、その後の中国、米国、欧州、さらにはインドにまで連綿とグローバル展開が続いています。その意味で、グローバルなオペレーションが他のメーカーと比較しても充実している。これは我々の財産です。

 今後はそれをさらに効率化し、DXを含めて見える化していく。さらにお客様にとっても「WIN」であることが前提ですが、バリューチェーンの延伸を踏まえて我々の商材を高次の領域にまで持っていくことで、我々が得ることができる利益を大きくしていきたいと思います。

 ─ 東レでは、繊維事業を「3次元経営」と表現して取り組んできましたが、今後どのように発展させますか。

 大矢 素材、商品、グローバルサプライチェーンという3つの軸を連携しながら、事業拡大を進めてきました。今後は先程申し上げた成長領域を拡大することで、体積を大きくしていきたいと思います。

消費をリードするZ世代が大事にする「物語」

 ─ 先程のリサイクルの観点ですが、東レでは「&+®(アンドプラス)」というブランドを持っていますね。

 大矢 「アンドプラス」は循環型社会実現のための1つの方策として、当初はペットボトルを繊維としてリサイクルするブランドとしてスタートしましたが、最近リブランディングを行いました。

 回収原料の種類を拡大するなどして、より消費者にとってメリットのある商品にして、マーケットに返していく事業にしていくことにしたのです。

 例えば今回、ナイロン製の漁網を回収して、それを再び漁網にしたり、別の製品にするという取り組みを打ち出しました。回収した商品をアップサイクルで消費者に届けることで、当社の事業に貢献するものとしてリブランディングしたのです。

 当社はこれまでもリサイクルに取り組んできましたが、回収などにはコストがかかります。それに対して、いかにお客様に買っていただくかという事業性を加味しなければいけません。

 1つは「Z世代」(1990年代後半から2010年代に生まれた世代)は環境にお金を払う意識があると言われます。リサイクル商品であれば、多少価格が高くても購入されるという行動が現実に起きているんです。

 そこで大事になるのが商品の信頼性です。それを確実に担保できるのは「トレーサビリティ」(追跡可能な状態)だということで取り組んでいます。

 さらにはリサイクル製品の質を向上させる取り組みも続けています。当社のイノベーション技術や他社との連携で、汎用品ではなく特品として生まれ変わらせる。これによって循環型社会の実現に貢献していきます。

 ─ Z世代は日本人の消費行動にどう影響を与えると考えていますか。

 大矢 Z世代が重視するのは「物語」です。当社は東京マラソンを協賛していますが、当日にランナーに提供された給水のペットボトルをスタッフの皆さんに回収していただき、我々が繊維にリサイクルして、24年の大会のボランティアウェアとして生まれ変わらせます。そうした物語をわかって買っていただくことが大事だと思うんです。

 しかも、そうした企画をしているマーケティングのメンバーはZ世代です。ですから、こうした取り組みには我々はあまり口を出さないんです(笑)。

 他にも、Toray Membrane USA社(TMUS)の今の社長はベトナム出身ですが、彼はベトナム戦争による混乱を受けて海外に移住した人々の一人だったんです。

 彼は苦労をしてアメリカに渡って、大学で学んでエンジニアになったという人です。ベトナムでは子供の頃、川の水を汲んで歩いて家に運んでいたそうですが、東レに勤めて、当社の膜を使って汚れた水を飲み水にする仕事をしている。当社では、その実話に基づく短編映画も製作しました。

 ─ モノづくりだけでなくコトづくりも進めているということですね。改めて、東レはどんな会社だと説明しますか。

 大矢 先端材料を創出する会社です。企業理念にあるように、創業以来新しい価値を創造して社会に貢献してきました。

「ヒートテック」誕生の原点となった発想

 ─ ところで大矢さんは1980年の入社ですが、大学を卒業して東レを志望した動機を聞かせてくれませんか。

 大矢 グローバルに活動している企業に入りたいという思いを持っており、メーカーか商社を志望していました。東レと商社に受かり、様々な要素を考えた中で東レに入社しました。

 ただ、後から振り返ると東レへの入社は知らずしらずのうちに、自分の選択肢に入っていたのだと思うんです。

 それは何かというと、私は千葉県の九十九里の大網白里出身で、元々本家が機屋さんだったんです。今ではありませんが、昔は地元で「上総木綿」という木綿製造を手掛けていました。

 7年ほど前、繊維事業本部長に就いた時に、大叔父に呼ばれて、本家の歴史について改めて教えてもらいました。本家には今も古い機械が残っています。

 ─ 繊維営業の中で、思い出に残っている出来事は?

 大矢 私はナイロンの糸売りに携わっていましたが、担当者時代は女性用ストッキングの担当でした。

 担当者時代の一番の思い出といえば、入社8年目くらいの出来事です。機能性の高い医療用ストッキングの繊維をファッション用高級ストッキングに活用して販売したところ、立ち仕事の多い女性の足がむくまないということで大ヒットしたんです。

 他には、1990年代後半に中国が台東したことで、2002年に当社の繊維事業は単体で赤字に陥りました。国内の事業規模を縮小し、海外に展開することになったのですが、この時に若手を中心に、マーケットから発想して素材の用途創造をしようということになったんです。

 その時のアイデアの1つが「合成繊維で肌着をつくろう」というものでした。実は天然繊維の中で最もマーケットが大きいのは、メンズの肌着です。その世界を、我々の合繊もマーケットにしていこうと。これも先程のZ世代と同じで、当時の若手の発想だったんです。私は長繊維部長として、いろいろオーガナイズしましたが、これが後に、ユニクロさんとの共同開発による「ヒートテック」につながっていくんです。これは私としてもエポックな出来事でした。

 ─ ヒートテックの成功は東レにとっても大きな自信になりましたね。

 大矢 1つの商材の成功例として大きい。今は、保温肌着として一般名称化しましたからね。

 ─ 今、社内に対してはどんな言葉を投げかけていますか。

 大矢 東レは自由闊達な会社ですから、社員にはチャレンジして欲しいと常に言っています。チャレンジして、時に失敗することも大事だと思うんです。

 もう1つは、全ての仕事に対して、自分の全人格をぶつけて行動して欲しいということです。表面的に行動していると、相手に見抜かれますから。

 ─ それを実感した出来事はありましたか。

 大矢 08年にインドネシアの現地法人で営業担当副社長として赴任しました。

 特に苦労したのは債権回収でした。この時、インドネシアのお客様のところに1カ月くらい通ったのですが、なかなか回収できない。こういう時、理路整然と説明しても負けると思い、最後には日本語で、大きな声で「払って下さい!」と言ったところ、払ってくれたんです。

 この言葉だけで払ってくれたというより、その前のプロセスの積み重ねがあり、その上で思いをぶつけたからこそだったのだと実感しています。

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