東京大学(東大)は5月29日、量子制御の基本モデルとして知られる、量子二準位系における障壁の制御速度と量子トンネル確率を結びつける「ランダウ・ツェナー(LZ)モデル」に、幾何学的な“ねじれ”効果を取り入れた新しい「ねじれランダウ・ツェナー(TLZ)モデル」を実証することに成功したことを発表した。
また、精密にプログラムしたマイクロ波パルスによってダイヤモンド中の窒素空孔(NV)中心の電子スピンを制御することでTLZモデルを固体中で実現し、平均95.5%という高確率で量子トンネル効果を実現できると証明したことも併せて発表した。
同成果は、東大大学院 理学系研究科 知の物理学研究センターの小林研介教授、同・理学系研究科 物理学専攻の佐々木健人助教、同・中村祐貴大学院生、東大 物性研究所の岡隆史教授、物質・材料研究機構の寺地徳之グループリーダーらの共同研究チームによるもの。詳細は、米国物理学会が刊行する原子・分子・光学・量子などを扱う学術誌「Physical Review A」に掲載された。
マクロの世界では、たとえばボールを壁に向かって投げても、通り抜けてしまうようなことは起きない。しかし量子力学の世界では、物体は一定の確率で障壁を通り抜けることが可能で、それは「量子トンネル効果」と呼ばれる。この障壁の高さを時間的に変化させた時に、量子トンネル効果の確率がどのようになるのかという問題を扱うために提案されたのがLZモデルだ。
同モデルでは、もともとの障壁の高さが大きければ大きいほど、障壁を変化させる速度がゆっくりであればあるほど、物体(量子状態)の量子トンネル確率が指数関数的に小さくなる。つまり、量子状態を思い通りに制御したい場合、意図しない状態へ量子トンネルしないように、障壁の高さ(駆動場)をゆっくりと変化させることが必要となるという。これは「断熱制御」と呼ばれ、現在の量子コンピュータでも必須となる考え方だ。
そして、LZモデルを拡張することによって、量子トンネル確率を幾何学的に調整できることを示したのがTLZモデルである。さらに最近になって、量子物質の性質を制御する手法として同モデルが理論的に再検討され、ねじれ効果、つまり駆動場を時間に対して放物線的に変化させる幾何学的効果を取り入れた改良モデルが提案された。
この新しいTLZモデルでは、幾何学的効果のため、あたかも障壁の高さが変化したような状況が起こる。その結果、量子トンネル確率が駆動場の向きに依存することが予言された。さらには、駆動場の速度を調整することによって、量子トンネル確率が100%という完全トンネルを実現できることも予言されたのである。
そこで研究チームは今回、ダイヤモンド中の単一のNV中心の電子スピンを量子二準位系として利用し、この幾何学的効果の実証に成功したとしている。
研究チームは、マイクロ波パルスを調整することによって駆動場における幾何学的効果を制御し、量子トンネル確率を精密に測定。その結果、予言されていた駆動場の向きに依存する量子トンネル確率を実験によって検出することができたとする。制御する方向によって量子トンネル確率の振る舞い方が異なることは、これまでのLZモデルでは生じえない新しい現象だとする。
また、駆動場の速度やねじれによって量子トンネル確率を自在に制御できることも明らかにされた。特に、さまざまな駆動場において完全トンネルを詳しく調べ、平均95.5%という高い確率で量子トンネル効果が実現された。
通常、量子的な状態は確率的な振る舞いをするため、思い通りに制御することは困難だが、工夫次第で100%に近い確率で状態を制御できるという事実は重要だという。さらに今回の実験を通して、理論で調べられていた範囲よりもずっと広い条件で、幾何学的効果が大きな役割を果たすことも確認された。
研究チームは今回の研究成果について、さまざまなエネルギースケールの量子系で普遍的に生じるダイナミクスの理解やその制御方法を提示し、量子コンピュータ、固体中のキャリア制御、核磁気共鳴など、量子制御分野の今後の研究に幅広く貢献する可能性があるとしている。