読者の皆様は、仕事やプライベートで使うマウスやキーボードにこだわりはあるだろうか。
見た目や値段などのこだわりもあるだろうが、キーボードの打鍵感やマウスのクリック感といった“感触”にこだわりがあるという方も多いと思う。
実は、マウスのクリック感に重要な役割を果たしているのは、普段は目にすることがない部品、マウスの中に組み込まれている「マイクロスイッチ」だ。
マウスをクリックすると、「カチッ」という音がするが、これはマイクロスイッチの働きによるものだ。
マウスのクリックボタンの下にはマイクロスイッチが配置されている。クリックすると同時にマイクロスイッチ上部の突起が下に押され、スイッチ内部のバネがてこの原理で動き、接点(金属)同士がつく。接点がついたり、離れたりすることで通電のオン・オフを行い、PCがクリック動作として認識するのだ。
40年近くにわたりマウス用マイクロスイッチを製造しているオムロンでは、「人が心地いいと思う感触を定量化し、技術的に再現する方法」を用い、気持ち良いクリック感を実現しているという。
今回、オムロン デバイス&モジュールソリューションズカンパニー事業統轄本部 アプリ商品事業部 主査の仲真美子氏にお話を伺う機会を頂いた。
普段は目に触れない小さなマイクロスイッチに込められた、オムロンの「感触を製品に落とし込む技術」とは……?
人が良いと感じる感触を設計に落とし込む
オムロンのマウス向けマイクロスイッチは、40年以上の歴史がある。
ヘルスケアのイメージが強いオムロンだが、売り上げ構成の約6割をロボットなどの制御機器事業が占め、次いでヘルスケア、3番目に今回紹介するマイクロスイッチなどを取り扱う電子部品事業が位置する。
同社は、創業時からさまざまな用途に用いられるマイクロスイッチを製造しており、ドアの開閉など物の位置検出などに使用されていたマイクロスイッチ「D2F」をあるメーカーがマウスに使いはじめたのが、マウス向けに製造するきっかけなのだという。
D2Fをマウス向けにさらに高耐久なものに設計し、マウス向けマイクロスイッチ「D2FC」として1999年から販売を開始。ユーザーから操作感触が高く評価され、いまでは好感触・高耐久性・応答性が厳しく求められるゲーミングマウス向けの出荷でグローバルトップシェアを誇っている。
長い歴史を誇るマウス用マイクロスイッチだが、当初は“人が良いと感じる感触”を現場社員が感覚に頼って製造してきた、いわゆる職人技のような部分が大きかったという。
オムロンの仲氏は「感覚に頼ったものだと、継続して同じクオリティには作れません。そこで、オムロンでは、感触を数値化し、設計としてコントロールして、製造にも反映することで、 “心地良い感触”を作って、世の中に届けることにこだわっています」という。
では、“感触の数値化”はどのように行っているのだろうか。
仲氏「たくさんのユーザーにスイッチをカチカチしてもらって、アンケートを取りました。深い、浅いや重い、軽いといった物理的なことや、心地よい、重厚感があるといった感覚的なことまでをアンケートで取得し、どういった分布傾向があるかというところから、人が感覚的にもつ感触に関するワードと、スイッチの物理特性を結びつける作業を行い、世の中に心地良いとされる感触の物理数値を導き出し、シミュレーションを使って数値に合わせる設計をしました。感触の分析技術に加え、それを設計値に反映し、製造現場でコントロールするという技術が使われているのです。」
感触をスイッチの物理特性に結び付ける作業には、例えば、重い、軽いといった感覚はスイッチを押す際の指へかかっている力を測ったり、スイッチの中に入っているバネの振動を分析し、シャープさ(キレ)などの感覚に結びつけて行き、バネの振動の制御といった設計に落とし込んでいったという。
安定した品質を維持する設計と全数検査で品質を担保
製品の提供という観点では、設計に落とし込んだ良い感触を、いかに再現性良く安定した品質で供給するかも求められる。
オムロンでは、どのような工夫をしているのだろうか。
仲氏「最終製品として良い感触を安定して生産できるよう設計することが1番重要です。
材料もすべて一定ではないため、その差が最終製品に影響を与えないような設計にし、生産部門でも管理項目を決め、日々点検しながら、数値に基づいた調整をして、商品として品質が一定になるようにしています。
また、これも大変重要なことですが、完成したスイッチの全数検査を行っています。生産ラインの最後が検査ラインになっており、すべての製品で必要な検査を行って、出荷しています。」
品質という点で、オムロンがこだわっているのが耐久性だ。マウスやゲーミングマウスは、操作回数が多いため、耐久性が商品の強みとなる。D2FCにおいては、最大6000万回の操作回数を担保している(D2FCにはシリーズがあり、耐久回数にバリエーションがある。その中での最大耐久回数が6000万回となっている)。
仲氏「耐久試験は数か月かけ、何千万回という単位で行っています。耐久試験は全数検査ができないので、耐久性のカギを握る設計値を明らかにし、設計値管理を生産工程に落とし込むことで高品質のものを安定してお届けするようにしています。」
“感触”でリアルとバーチャルの橋渡しに
良い感触を再現する技術や、高い品質を担保して製造する技術など、さまざまなオムロンの技術が用いられているマウス向けスイッチ。今後はどのような展開を考えているのだろうか。仲氏に今後の展望を伺った。
仲氏「ゲーミングスイッチとしては品質・感触を高く評価いただきトップシェアとなり、業界のスタンダードとなっていますが、ユーザーによって感触の好みが違うということがわかっています。それを好みによってカスタムできるのが理想だなと思っています。なので、ある程度マイクロスイッチにもバリエーションを取り揃えて、各エンドユーザーさんがチョイスできるようになったらいいなと思っています。
また、この(人が良いと思う感触を再現する)技術そのものはeスポーツだけでなく、人と機械のインタフェースには必ず必要な技術だと考えているので、これを起点に感触が必要となるインプット・アウトプットデバイスを生み出し、ほかの領域にも広げていけたらと考えています。
リアルとバーチャルの橋渡しという観点でも、五感の1つである“触覚”は大きなものだと思います。バーチャルリアリティの中でも感触に関する技術は注目されていると思うので、そういったものにも活かしていけたらと思っています。」
今回、オムロンの“人が良いと感じる感触を設計に落とし込み、製品として製造する技術”について話を伺った。
感触に関する技術で言えば、触覚を再現するハプティクス技術がある。ハプティクス技術は、最初、ゲームといったエンタメの世界で用いられることも多かったが、近年では製造業で、作業者であるロボットの感覚を操作者である人に伝えるための技術として研究されるなど、人と機械の連携のための技術として用いられることも多い。
仲氏がおっしゃっていたように、リアルとバーチャルの橋渡しには、感触が欠かせないようなのだ。
オムロンが持つ感触に関わる技術が、機械と人をつないでいくさまざまな場面で使われる未来もそう遠くないと感じた。