量子科学技術研究開発機構(量研機構)は3月28日、うつ病の治療標的となり得る、ポジティブな記憶の思い出しやすさに関わる脳のネットワークがあることを見出したと発表した。

同成果は、量研 量子生命・医学部門 量子医科学研究所 脳機能イメージング研究部(主は量子生命科学研究所量子認知脳科学グループ)の山田真希子グループリーダー、同・伊里綾子客員研究員らの研究チームによるもの。詳細は、行動神経科学に関する分野全般を扱う学術誌「Behavioral Brain Research」に掲載された。

近年、抑うつ症状の改善のために、嬉しかったこと、楽しかったことなど、ポジティブな記憶の想起はストレスの低減、精神的健康の増進、うつ病患者における抑うつ気分の改善につながる可能性が、主に海外を中心とした認知行動療法や心理学研究によって示されるようになっているという。

ポジティブ記憶の想起に向けて開発が期待されているのが、さまざまな場面で活躍している標的となる自分の脳活動を自ら制御するニューロフィードバック訓練法だが、実現に至っていないのは、標的となる脳部位が明確になっていないためだという。ポジティブ記憶の想起しやすさには個人差があるため、ポジティブ記憶を想起しやすい人・しにくい人の脳活動の違いを明らかにすることで、今後、その脳部位を標的としたニューロフィードバック訓練を開発することができるようになるとされている。

そこで研究チームは今回、何もせずに安静にしている状態の脳の血流を測定する安静時fMRIと、感情(ポジティブ・ネガティブ・ニュートラル)を喚起する画像の記憶テストを用いて、ポジティブ記憶の想起の個人差に関連する脳機能ネットワークを明らかにすることを目的とした実験を行ったという。

実験には、健常成人25名が参加。記憶テストでは、米・フロリダ大学で認知テスト用に提供されている画像データベースから、ポジティブ・ネガティブ・ニュートラルの各感情を喚起する画像として評定されているものを、感情ごとに34枚ずつ、計102枚が用意され、「画像の撮影場所についての判断」という名目のもと、半分の51枚を見てもらい、その20分後に全102枚からランダムに画像を表示する偶発的記憶テストを実施して、ポジティブ画像をどの程度記憶しているかが測定された。

  • 記憶テストのデザイン

    (上)表示された画像の一例(P.J. Lang, International affective picture system (IAPS) : Digitized photographs, instruction manual and affective ratings, Technical Report (2005).より使用された)。(中・下)記憶テストのデザイン (出所:量研Webサイト)

記憶テストの成績はHit率(記銘課題で呈示された画像に対し「あった」と判断できた割合)とFalse alarm率(記銘課題で呈示されなかった画像に対し「あった」と判断した割合)を用いて描いた「ROC曲線」の下部の面積(0~1の値を取る)で表現することができ、その結果から、ポジティブ記憶の成績は個人差が大きいことが確認されたとする。

  • 記憶テストの解析方法

    解析方法。(A)安静時fMRIの計測データから、各領域間における脳活動の同期の程度が算出される。(B)記憶テストの成績が算出される。(C)ポジティブ情動記憶の成績に関連する脳機能ネットワークが抽出される (出所:量研Webサイト)

また、安静時fMRIの計測から、脳領域間の脳活動がどの程度同期(相関)しているかが計算され、領域間の相関係数が大きいと、領域間の機能的結合が強いことが示されたほか、ポジティブ記憶の成績と関連する機能的結合を抽出する解析から、ポジティブ情動記憶の成績が良い人ほど、機能的結合が強い脳領域のクラスター(脳機能ネットワーク)が検出され、その際の年齢・性別・ネガティブ情動記憶の成績・ニュートラル記憶の成績といったポジティブ情動記憶以外の要因を排除して解析を行ったところ、ポジティブ記憶成績が良い人ほど、「前頭側頭領域」(弁蓋部、側頭平面、ヘッシェル回など)の機能的なつながりが強いことが確認されたとする。

今回の調査からポジティブ記憶の個人差との関連が明らかになったのは左前頭側頭領域で、同領域はこれまでの脳科学研究から言語機能と関連することが示されてきたという。特に言語的・概念的なポジティブ情報は記憶に残りやすいことが、これまでの記憶研究から示唆されていることも踏まえると、左前頭側頭領域が担う言語機能はポジティブ記憶の想起に重要な役割を果たしている可能性が考えられると研究チームでは説明する。

  • ポジティブ画像の記憶成績の個人差と関連する脳機能ネットワーク

    ポジティブ画像の記憶成績の個人差と関連する脳機能ネットワーク。左図の各点は個人の成績が示されている (出所:量研Webサイト)

また研究チームは現在、ニューロフィードバックの訓練法や訓練の効果を高める方法についても研究を進めていることから、それらの研究成果と今回の研究成果を組み合わせて、ポジティブ記憶の想起しやすさに関わる脳機能ネットワーク結合を強化するニューロフィードバック治療を開発することにより、ストレス耐性向上や、うつ病治療に応用できると期待されるとしており、今後は、ポジティブ記憶の想起しやすさと脳内分子の関連についても明らかにすることで、心身の健康に重要な役割を果たすポジティブ情動の脳内メカニズムの理解がさらに進むことが期待されるとしている。