物質・材料研究機構(NIMS)は2月10日、「低濃度トレハロース水溶液ガラス」を用いることで、広い温度・圧力領域での低密度状態と高密度状態間の転移の観測を可能にし、低密度と高密度の液体状態の存在の実証とそれらの間の転移の直接観測に成功し、その結果から水には低温で異なる2つの液体状態が存在することの実験的証拠と発表した。

同成果は、NIMS 先端材料解析研究拠点の鈴木芳治主幹研究員によるもの。詳細は、米科学雑誌「米科学アカデミー紀要(PNAS)」に掲載された。

身近な物質である水だが、科学的にまだ理解されていないことが多い。例えば最近の過冷却水やガラス状態の水の研究から、水には低温に密度の異なる2つの水が存在すること(水の「ポリアモルフィズム」)が指摘されており、それが水の不思議な振る舞いと関係していると考えられているころから、水のポリアモルフィズムを実験的に検証し、その特異性を科学的に理解することは、水に関わるあらゆる分野で重要な意味を持つとされている。

水の過冷却温度領域には、密度の異なる2つのガラス状態が存在しており、「低密度アモルファス氷」(LDA)と「高密度アモルファス氷」(HDA)と呼ばれているが、最近の研究から、これらは液体状態に関係した“ガラス状態の水”であることが判明。LDAは低圧側に、HDAは高圧側にそれぞれ存在し、LDAとHDAは互いに見かけ上不連続な転移(ポリアモルフィック転移)をし、LDAとHDAは独立した相であることが示唆されている。

しかし、LDA-HDA転移は非平衡状態下で起こるため、その不連続性の真偽は今も議論されているという。LDAとHDAは異なるガラス転移温度を持ち、温度を上げるとそれぞれ異なる液体、低密度水(LDL)と高密度水(HDL)、になることも実験的に示されている。

理論や計算機実験では、LDA-HDA転移と同様にLDL-HDL間で不連続な「液体-液体転移」(LLT)が起こることが期待されている。しかし、実際の実験では、純水はすぐに結晶化するために液体状態を保持した実験は難しく、LDL-HDL間の液体-液体転移を直接観測することは困難であったという。特にLDLは結晶化し易く、これまでにLDLからHDLへの液体-液体転移は観測されていないため、2つの水や液体-液体転移の存在の証明が水の大きな研究テーマになっていたという。

  • トレハロース水溶液

    水とガラス状態の水の状態図。1GPa=約1万気圧。1気圧はほぼ温度軸上。Tmは融解温度。THは均質核形成温度。Txはガラスの結晶化温度。赤色矢印は液体-液体転移(LLT)、緑色矢印はガラス転移 (出所:NIMSプレスリリースPDF)

そこで鈴木主幹研究員は今回、水溶液を利用して水の結晶化を避けることで、水の可逆な液体-液体転移の直接観測に取り組むことにしたという。

具体的には、低濃度トレハロース水溶液ガラスを用いて、圧力変化によるトレハロース水溶液ガラスの体積変化の測定から、液体-液体転移を含むポリアモルフィック転移とガラス転移の関係が求められた。その結果、トレハロース水溶液の低密度液体状態と高密度液体状態がそれぞれ存在する温度-圧力領域が決定され、絶対温度140K(約-133℃)以上で観測される可逆なポリアモルフィック転移が、液体-液体転移であることが判明したという。

  • トレハロース水溶液

    低濃度水溶液のガラス化。画像は0.023モル分率の高密度トレハロース水溶液ガラス (出所:NIMSプレスリリースPDF)

また、X線回折測定とラマン散乱測定から、高密度水溶液ガラスと低密度水溶液ガラスにおける溶媒(水)の状態は、それぞれ純水のHDAとLDAに関係しており、減圧過程と加圧過程で観測される大きな体積変化は、純水のLDA-HDA転移に関係したポリアモルフィック転移に相当すること、ならびにトレハロース水溶液のポリアモルフィック転移は温度に依存すること、159K(約-114℃)から温度を下げると、減圧時のポリアモルフィック転移圧力のPHtoLは低圧側に、加圧時のポリアモルフィック転移圧力のPLtoHは高圧側にシフトすることが確認されたとする。

さらに、PLtoHの温度依存性は140K(約-133℃)付近で折れ曲がりがあり、140K以下では圧力変化に対してポリアモルフィック転移の遅延があることが示され、この加圧時のポリアモルフィック転移の遅延の原因が、高密度状態の試料がガラス状態へ変化したことであることも突き止めたという。

  • トレハロース水溶液

    (左)トレハロース水溶液(0.020モル分率)の159Kでの圧力誘起液体-液体転移。(右)トレハロース水溶液0.020モル分率)の圧力-温度相図 (出所:NIMSプレスリリースPDF)

加えて、低密度トレハロース水溶液ガラスの1気圧のガラス転移温度が123~135K(約-150~-138℃)であることも判明した。過去の研究報告などから、140K(約-133℃)以上の低圧領域にある低密度トレハロース水溶液は高粘性の液体であることが判断できることから、160K(約-113℃)付近まで低密度状態の液体が結晶化せずに安定して存在していることが示されたともする。

これらの測定結果から、この液体-液体転移は圧力ヒステリシスを持ち、温度の上昇とともに狭くなるということは、エーレンフェストによる1次相転移の特徴であり、観測された液体-液体転移が不連続な相転移であることを強く示唆するものであると研究チームでは説明するほか、低密度状態と高密度状態の相境界の位置の濃度依存性から計算された純水の境界線の位置と理論から予想される純水のLDAとHDAの境界線の位置について一致が示されたことは、低濃度トレハロース水溶液の液体-液体転移は、バルクの水の液体-液体転移と関係していることが示されているとする。

なお、研究チームでは、これらの結果は、水に2つの液体状態が存在することが示されているとするほか、2つの液体の相境界の終端に液液臨界点(LLCP)が存在する可能性も示唆されており、LLCPの存在が証明されれば、LLCP近傍に発生する2つの水の揺らぎが、低温・1気圧の水の奇妙な振る舞いに関係しているかもしれないとしており、今後、この関係を明らかにすることを目指すとしているほか、2つの水と物質の関係の理解を進め、水のポリアモルフィズムの水溶液系への応用、たとえば細胞や食品の凍結保存技術や凍結試料の解凍技術への応用などを目指すとしている。