東北大学は2月1日、宇宙の微小重力環境ならびに地上での疑似微小重力環境で生育した個体では、神経伝達物質の1つであるドーパミン量が低下することで運動能力の減弱、さらには骨量や筋量の減弱することを確認したと発表した。

同成果は、東北大大学院 生命科学研究科の東谷篤志教授を中心に、宇宙航空研究開発機構(JAXA)、米国航空宇宙局(NASA)、フランス国立宇宙研究センター(CNES)、欧州宇宙機関(ESA)、英国宇宙局(UKSA)の研究者などが参加した国際共同研究チームによるもの。詳細は、物理・地球科学・生命科学・健康科学などの幅広い分野を扱うオープンアクセスジャーナル「iScience」に掲載された。

国際宇宙ステーション(ISS)では、微小重力環境のため、肩こりや腰痛がなくなるという宇宙飛行士もいるが、実のところ、地球の重力の下で誕生し、進化してきた地球の生命体にとって、そうした重力がないという環境は異質であり、骨や筋肉が急速に萎縮してしまうことが知られており、その対応として、ISSで暮らす宇宙飛行士たちは身体に負荷をかける運動を日々こなしている。

こうした微小重力環境の身体への影響を探ることを目的に、モデル生物の線虫「C. エレガンス」を用いて、国際共同による宇宙実験をこれまで実施してきたのが、東谷教授らの研究チーム。線虫は1000個の細胞からなり、成虫でも長さ約1mm、重さも1μg程度の小さな生物で、宇宙の無重力下で幼虫から成虫に成長した個体での筋肉タンパク質やミトコンドリア代謝酵素の低下と運動能力の減弱がISSに長期滞在する宇宙飛行士と同様に見出されていたが、無重力下での何が影響して線虫の運動能力を減弱させたのか、またその回復方法があるのかといった点については、良く分かっていなかったという。

そこで研究チームは今回、これまでに複数回行った線虫の宇宙実験の成果をもう一度精査することで、原因についての解明に挑んだという。その結果、神経伝達物質の1つであるドーパミンを分解する酵素「COMT-4遺伝子」の発現が無重力で低下することを発見したという。

また、COMT-4遺伝子の発現はドーパミンが多い時に誘導されることから、宇宙無重力で育った成虫ではドーパミン量が低下する可能性があるという仮説が立てられ、宇宙微小重力環境下で成長した線虫の内生ドーパミン量を測定したところ、微小重力環境下ではドーパミン量が低下することを確認したとする。

ドーパミンは、ヒトにおいて運動調節、学習、意欲、快の感情などに関わるほか、線虫においては餌の有無に伴う運動調節や匂い学習に関与することが知られていることから、微小重力環境下で育った線虫の筋力ならびに運動性の低下は、ドーパミンの低下に起因する運動意欲の低下にある可能性が示唆されたとする。

さらに、地上3Dクリノスタットを用いた疑似微小重力環境下で育てられた線虫においても、宇宙微小重力環境と同様にCOMT-4の発現低下、ドーパミン内生量の低下、運動性の減弱が確認されたほか、3Dクリノスタットでの培養時にドーパミンを投与することで運動能力の減弱が回復すること、抑制型の「D2様ドーパミン受容体遺伝子dop-3」を欠損させた線虫では、疑似微小重力環境下における運動能力の減弱が生じないことも確認したという。

  • 微小重力環境下での物理的刺激の低下リスク

    3Dクリノスタットによる疑似偽証重力環境下で生育された線虫。矢印の明るい部分は、運動に伴う筋肉収縮でCa2+が増えている部分。(左)コントロール培養。(右)ビーズを加えた培養。線虫の泳ぐ運動が増し、Ca2+の発火が強くなること、さらにビーズとの接触刺激により筋肉収縮の発火がさらに高まっている (出所:東北大プレスリリースPDF)

研究チームでは、無重力環境下での成長においては、ドーパミン量が低下することで抑制型ドーパミン受容体が優位な状況となり運動を控えるモードに入り、最終的な筋力低下、ミトコンドリア活性の低下が生じたものと考察されるという。

これらの結果を踏まえ、何故、微小重力環境下での成育ではドーパミン量が低下するのか、慢性的な浮遊状態に伴って物理的な接触刺激の低下に起因するのかを調べることを目的に、培養バックに小さなプラスチックビーズ(水と同じ比重1g/cc)を加えて、3Dクリノスタット培養時における接触刺激を増加させる実験を実施。その結果、ビーズを加えて接触刺激を増やすことで、線虫のドーパミン量の低下が回復したほか、運動性の減弱が回復することが判明したという。また、ビーズに接触するたびに、線虫の体壁筋Ca2+レベルが上昇し、接触刺激が感覚神経を経て運動神経から筋収縮シグナルが入力されることも確認されたという。

これまでも、ロシアのバイオサテライトによるマウスの長期宇宙飼育において、脳線条体におけるドーパミン合成(TH)や分解(COMT)、活性型のドーパミン受容体(DOP1)などの遺伝子発現が低下する類似の現象が報告されていたが、今回の結果を考慮すると、無重力環境において長期飼育されたマウスにおいても慢性的な浮遊状態によって、四肢と床面との接触刺激が低下し、物理的な接触刺激の低下に起因した可能性が強く示唆されたと研究チームでは説明しており、今後、マウスの四肢に軽い接触刺激などを与えることで、微小重力環境下においても運動能力が維持されるかどうかを調べる次期宇宙実験の実施が待たれるとしている。

また、事故や病気などにより身体を動かし難くなった患者に対する軽い刺激(マッサージなど)により筋力がある程度維持できる効果も、同じく感覚神経の活性化からドーパミン量が定常に維持され、末梢の骨格筋の収縮刺激などを促し衰えを抑制することにつながっている可能性が考えられるともしており、今回のような宇宙実験の成果が宇宙飛行士の健康維持のみならず、高齢化社会を迎えた日本における健康寿命の増進などに役立つことが期待されるともしている。

  • 微小重力環境下での物理的刺激の低下リスク

    宇宙の微小重力環境下での物理的刺激の低下リスク (出所:東北大プレスリリースPDF)