デジタル・フリーダムとは?

「デジタル・フリーダム」という言葉をご存じでしょうか。「デジタル」という言葉の語源には興味深い側面があります。本来の意味は、「ディジット(=指)」で数えられる1~10の数字のことでしたが、今ではコンピュータ用語になっています。

「フリーダム(=自由)」は多くの感情と解釈を持つ言葉です。この言葉は使い古されており、実用的な意味はほぼ失われています。私たちは自由を認識することはなく、失われて初めてその大切さを痛感し、その意味を問います。

コミュニケーション、通貨、写真など、あらゆる要素がアナログからデジタルに移行する中、デジタルの世界での人々の権利の行使が進んでいないのはなぜでしょうか。

オフラインからオンラインに移行しても、権利そのものは失われません。とはいえ、現実世界の法律をインターネットに「コピー&ペースト」すれば良い、ということでもありません。デジタルの世界はあらゆる国境を越え、目覚ましいスピードで拡大しているため、迅速な対応が求められています。そして、証明可能なアイデンティティと、説明責任や透明性とプライバシーの両立を可能にしなければいけません。

セキュリティの分野でも、オンラインでの犯罪や脅威に対応すべく、デジタル化が進んでいます。犯罪に対処する際、「オンライン vs. 現実世界」という対立構造に惑わされてはなりません。近年のランサムウェア攻撃は、病院などの重要インフラを標的としており、サイバー犯罪が人命を奪う可能性もあり得るのです。利用されているツールが拳銃であれキーボードであれ、犯罪であることには変わりません。サイバー犯罪はもちろん犯罪であり、デジタル・フリーダムは自由の範疇なのです。

デジタル世界における権利と安全の保護は社会課題

デジタル・フリーダムに関する議論では多くの場合、「言論の自由」の重要性も挙げられます。これは、理論的・学問的な議論で解決できる問題ではありません。Twitterへの投稿で刑務所に入れられるような世界では、言論の自由はとりわけ深刻な問題です。オープンな社会やインターネットを悪用し、デマ情報を拡散、混乱を起こしたり、人々に被害を与える事件を起こしたりする犯罪者もいます。私たちの権利と安全の保護は、21世紀を代表する大きな社会的課題と言えます。

すべての人にデジタル・フリーダムを与えるには、インターネットと情報への平等なアクセス、監視国家の是非と、巨大テクノロジー企業のデジタルの世界での役割を議論することが必要だと、私は考えています。

自由な世界と不自由な世界での人権問題への対応に関して、主に米国の巨大テクノロジー企業に長きにわたってダブル・スタンダード(二重規範)が存在することは、私が以前から指摘している個人的な見解です。その問題がいかに深刻化しているかは、過去1年を振り返っただけでも分かります。

サウジアラビア人ジャーナリストのジャマル・カショギ氏の殺害グループの一員と思われる人物が最近逮捕されたことや、ベラルーシのルカシェンコ大統領が移民を人間兵器として使用していることから、独裁者がいかに悲惨な方法で人々の自由を制限しているかを痛感します。これらの独裁国家は、欧米などのデジタル企業の同意を得て、オンラインの自由を制限することもできてしまっています。

昨年9月のロシア下院議会選挙では、ロシア当局の圧力により、GoogleとAppleが反体制派のアレクセイ・ナワリヌイ氏の収監を黙認しました。AppleとTeslaも昨夏、中国共産党の要請により、意図的にデータ保護体制を弱め、中国人ユーザーデータを国内に保存し始めました。

このほかイスラエルでは、複数のテクノロジー企業が、カショギ氏の婚約者だったハティージェ・センジス氏などの人権活動家への諜報活動を支援していたことが判明しました。また、トルコ政府は、政治的な敵対勢力の資料の検閲目的で、SNS企業に対してより強い圧力をかけています。

これらのテクノロジー企業は、独裁国家と公然の同盟を結ぶこととなるのでしょうか。

テクノロジー企業に求められる役割とは?

SNS企業の中には、数少ないものの、明るい兆しも見られます。YouTubeは最近、ドイツ版サイトにてロシアのプロパガンダ・チャンネルを消去し、ベラルーシの尋問動画も削除しました。しかし、これらのツールは民主主義国家で開発・管理されているにもかかわらず、敵対勢力への対抗手段として権威主義国家が頻繁に使っているのが現状です。

自由な世界に暮らしている人は、これらの問題はさほど深刻ではないと思うかもしれません。しかし、歴史が物語る通り、不自由な世界で培われた慣習はずっとその場にとどまっていません。現代の独裁国家のプロパガンダ手法はすでに、巨大テクノロジー企業の力もあり、世界中の民主政治国家に浸透しつつあります。

強大な権限を持つ巨大テクノロジー企業の役割には、説明責任と透明性が求められます。

不自由な国家では、監視権限、検閲、政府の要求によりアプリや動画が削除されるなど、危険な前兆が多く見られます。米国のような国家では、一般消費者と企業や団体がいまだ巨大テクノロジー企業に影響力を持っていますが、その影響力を行使しない場合は、悪意ある人たちによって自由を剥奪されてしまう可能性があります。

本当に影響力を持っているのは誰なのでしょう?できることは何なのか、そしてあなたには何ができるのでしょうか?私たちに必要なのは、オンラインとオフラインの両方ですべての人々の安全を確保するための戦略です。これこそが、アバストの2022年の活動目標です。

著者プロフィール

ガルリ・カスパロフ

1985年に史上最年少の22歳で世界チャンピオンとなり、15年間もそのタイトルを保持した。1997年にスーパーコンピュータDeep Blueに敗れたことでも知られている。2016年よりアバストのセキュリティアンバサダーとして、AIやSNS、テクノロジーと民主主義などのトピックに関して、独自の観点で定期的に執筆している。