東京慈恵会医科大学(慈恵医大)は、原因のわからない、身体のさまざまな場所に広がる長期的な痛みである「慢性疼痛」の原因の1つが、ストレスや不安、恐怖などに関連した脳部位「扁桃体」の活動にあることを動物実験で突き止めたと発表した。

同成果は、慈恵医大 痛み脳科学センター センター長の加藤総夫教授、慈恵医大の杉本真理子大学院生(現・帝京大学 医学部附属病院 麻酔科所属)、慈恵医大 痛み脳科学センターの高橋由香里助教(神経科学研究部兼任)、同・杉村弥恵助教(神経科学研究部兼任)、慈恵医大 神経科学研究部 ポストドクトラルフェローの徳永亮太博士、同・矢島愛美研究生(現・鶴見大学 歯学部歯科 麻酔学講座所属)らの研究チームによるもの。詳細は、国際疼痛学会の学術誌「Pain」に掲載された。

2018年、WHOは「国際疾病分類第11版」を発表し、その中で「慢性疼痛」という疾患を新たに定義。その定義によれば、慢性疼痛とは「3か月以上続く、または再発する痛みの訴え」とされている。慢性疼痛に苦しんでいる人は多く、日本も含め、先進国の成人の約20%が慢性疼痛を抱えているという。

国際疾病分類第11版には、原因の明らかではない痛みである「一次慢性疼痛」という疾患分類が記載されるようになった。外傷や神経の損傷といった明らかな原因が見当たらないにもかかわらず、慢性的に続く痛みのことである。このように記載されたということが意味するのは、それだけ世界中に原因不明の痛みに苦しんでいる人が多いということであり、そうした痛みがあることを専門家が公式に認めたということでもある。

また、国際疼痛学会International Association for the Study of Pain(IASP)は、2019年に、新たな「痛みの定義」を発表。その定義の中で痛みは「実際の組織損傷もしくは組織損傷が起こりうる状態に付随する、あるいはそれに似た、感覚かつ情動の不快な体験」(日本疼痛学会訳)とされている。この定義にあるように、痛みは、必ずしも組織損傷がなくても生じることは以前よりよく知られていた。

また、外傷や機能障害などの原因があっても、その痛みの訴えが、痛みのきっかけとなった原因とは関係なく、強まったり弱まったりすることも同様によく知られている。こうした因子の1つが、「心理・社会」的な要因、つまりストレスや不安、恐怖、あるいはその人が置かれた社会環境が挙げられている。

最近、耳にすることが増えてきた「線維筋痛(症)」は、「一次慢性疼痛」の代表的な疾患・症候・病態の1つだ。ストレスなどによって、症状が悪化する痛みの一種である。

しかし、なぜストレスが痛みの症状を悪化させるのか、その生物学的な機構は明確にはなっていない。つまり、こうした患者の痛みについては、原因の診断やそれに特化した治療が進んでいないということだ。そのため、治療はもちろん原因を診断することすら非常に難しく、患者の70%が現在受けている治療に満足していない、という調査結果もあるほどだという。

そうした中、脳において、痛覚に大きく関わることが知られているのが、扁桃体だ。扁桃体は大脳皮質の奥に左右一対ある神経細胞の集合体だ。身体中のさまざまな部位からの痛覚信号が、神経連絡を介して集まる部位である。扁桃体に障害を負った患者の研究から、恐怖の表情を理解できない、異常に近寄ってきた他者への警戒心がない、などの症状を示すことが明らかになっている。

また扁桃体に障害のある実験動物を用いた研究では、自分の身体に与えられた痛みとその状況や環境を関連付けて記憶して適切に応答する能力を失ってしまうことがわかっている。このように扁桃体には、自分の身体や生存にとって不利な状況を分析して、それに対して適切に応答することを可能にする「防御的な生存」に関与している神経回路が備わっていると考えられている。

さらに扁桃体は、ストレスや警戒に関係しているホルモンや神経伝達物質に対する受容体が多いことも特徴だ。これらのことから扁桃体は、痛みやストレスによって生じる苦しさや不快感、切なさなどに関係していると考えられている。

これまでの慢性疼痛患者の脳活動を調べた研究から、患者の扁桃体の活動が痛みのない人よりも高まっていることや、扁桃体と脳のほかの部位とのつながりが密接になっていることなどが報告されている。さらに、加藤教授の研究チームでは、首から下の組織損傷の情報である「侵害受容情報」を伝える脊髄や、首から上・頭部の侵害受容情報を伝える三叉神経からの信号を受ける脳内の「腕傍核」から「扁桃体」への情報の流れ(シナプス伝達)が、慢性痛のモデル動物では高まっているという事実をこれまでの研究によって発表済みだ。

そこで研究グループは今回の研究において、片頭痛や歯痛、群発性頭痛、三叉神経痛などに共通する痛みのメカニズムを調べるために、顔面口唇部に炎症のあるモデル・ラットを作製し、その行動の観察が実施された。

するとこのモデルは、炎症がある顔から遠く離れた後ろ足の裏側に触られると、人で痛みがある時によく似た、すばやく足を引っ込める行動を示したという。このように、痛みを生じない程度に軽く触れただけで痛みや、痛みのような反応が引き起こされる症状は、「触覚性痛覚過敏」と呼ばれ、しばしば損傷や炎症に伴って起こることがわかっている。

しかし、研究チームが今回用いた顔面口唇部に炎症のあるモデル動物の足底や脚には、一切の病変はない。このような足底の痛覚過敏が、顔面口唇部に炎症が起きてから、2週間近く持続することも見出されたという。炎症のある部位(顔)から離れた部位(足)に生じ、また、炎症は顔面の右側にしかないにもかかわらず両足で同じように過敏が生じることから、この現象は「異所性痛覚過敏」および「広汎性痛覚過敏」の症状であると考えられるとした。

研究チームは、このような顔面口唇部に炎症を持つ動物では、扁桃体、特に、右側の「扁桃体中心核」と呼ばれる部位の活動が高まっていることをこれまでの研究で明らかにしている。顔面の右側に炎症があっても左側に炎症があっても右側の扁桃体が強く活性化するという。こうした観察結果から研究チームが立てた仮説が、異所性/広汎性痛覚過敏の原因が、右側の扁桃体中心核の活動亢進にあるのではないかというものだった。

そこで研究チームは今回、独自に開発した遺伝子組換えラット「VGAT-cre」を用いて、扁桃体中心核のニューロンを抑制。この異所性/広汎性痛覚過敏にどのような影響があるかの分析を行った。

そのために、扁桃体中心核のニューロンに「人工受容体」を発現させる手法である「DREADD(ドレッド)法」が用いられた。これは人工的な物質によってのみ活性化する人工的に設計された受容体だ。「化学遺伝学」あるいは「薬理遺伝学」と呼ばれる、新しい、薬物副作用のない治療法の1つとして注目されている技術だ。

この方法を用いて、顔面口唇部に炎症を持つラットの右脳の扁桃体中心核の興奮を選択的に抑えたところ、下肢に見られた異所性/広汎性痛覚過敏が両足ともに緩和することが観察されたのである。

また、加藤教授の研究チームによるこれまでの研究で、神経ホルモン「カルシトニン遺伝子関連ペプチド(CGRP:calcitonin gene-related peptide)」を持っていない動物では、炎症によって生じる痛覚過敏や扁桃体中心核の興奮が生じない、という事実をすでに報告済みだ。

研究チームはこの事実に注目し、顔面口唇部に炎症を持つラットの右脳の扁桃体中心核にCGRP受容体の遮断薬を投与。すると予想されたとおりに、下肢に見られた異所性/広汎性痛覚過敏が、両足ともに抑えられることが確認された。このことから、「顔面口唇部の炎症によって生じる右扁桃体中心核の活性化が、異所性/広汎性痛覚過敏を引き起こす」と結論づけられたのである。

  • 慢性疼痛

    口唇部の炎症が遠く離れた下肢に痛覚過敏を引き起こすメカニズムと扁桃体中心核の役割の模式図。口唇部の炎症は右扁桃体中心核の選択的活性化を引き起こすと共に、両側下肢に痛覚過敏を引き起こす。この痛覚過敏は右扁桃体を抑制することによって軽減する。一方、炎症や神経損傷を持たない動物でも、右扁桃体中心核を人工的に興奮させると、両側下肢の痛覚過敏が生じる (出所:東京慈恵会医科大プレスリリースPDF)

そこで研究チームは、それならば「炎症や傷害のない動物」の右脳の扁桃体中心核のニューロンを興奮させると、それだけで痛覚過敏が生じるのではないか、と考察。その仮説を検証するため、DREADD法を用いて、右脳の扁桃体中心核のニューロンを人工的に興奮させると、痛みの感受性がどのように変化するかの実験を実施した。

すると、右脳の扁桃体中心核の興奮を高めている間だけ、左右両足に痛覚過敏が生じることが判明したのである。この変化は、人工的な興奮を繰り返すたびに生じましたという。また、左の扁桃体中心核ニューロンの興奮では生じないことも確認された。

以上のことから、研究チームは「右扁桃体中心核のニューロンの活動が、身体の広い範囲の痛みの感度を調整している」と結論づけるに至ったのである。これらの結果は、傷害や炎症に加え、ストレスや不安などの扁桃体中心核の活動を変化させる身体や心の状態が、身体の広い範囲に「痛み」を生じさせたり、強く感じさせたり、また弱めたりする可能性を示唆しているとした。

扁桃体は、ストレス・不安・恐怖などの心理状態によって引き起こされるさまざまな身体の応答に関与している。扁桃体中心核の活動が全身の痛覚過敏を引き起こすことを示した今回の発見は、心理的・社会的な要因が引き金となって身体のさまざまな部位に痛みが生じるメカニズムを明らかにしたものと考えられるという。

このメカニズムが明らかになったことで、既存の鎮痛薬での治療が難しいとされてきた、線維筋痛(症)、舌痛症、非特異的腰痛などの、痛みの原因を明らかにできない慢性の痛み、あるいは、脳内のメカニズムが不明であることから「心因性」「原因がわからない」などと診断されて、的確な診療が難しかった慢性の痛みに対する診断と治療法の開発に新たな道を開くものとして期待されるとしている。