東京大学(東大)は3月12日、昆虫をはじめとする陸生節足動物(いわゆる「虫」)に対する否定的な認識(虫嫌い)が世界的に見られる原因を、進化心理学的観点から検証した結果、病原体の感染を避けようとする過去の進化的圧力によって形成された心理的メカニズムがあり、それが都市化によって強化されていることが示唆されたと発表した。

同成果は、東大大学院 農学生命科学研究科 附属生態調和農学機構の深野祐也助教、同・農学生命科学研究科 生圏システム学専攻の曽我昌史准教授らの研究チームによるもの。詳細は、「Science of the Total Environment」に掲載された。

ゴキブリが苦手な人は少なくないだろう。まして、素手でつかめる人ともなると、間違いなく少数派のはずだ。何もゴキブリに限った話ではないが、現在、虫嫌いは世界中で広く見られる現象だという。世界的な虫嫌いは、昆虫の生物多様性保全が進まない一因と考えられており、また強い虫嫌いは日常生活にも影響が出るため、実は大きな課題となっているという。

しかし、なぜ虫嫌いがこんなに世界的に一般的なのか、その理由はわかっていない。大部分の虫が人間にとって害がないことを考えると、これは不思議な現象だと深野助教らはいう。

そこで今回の研究では、虫嫌いの多くが嫌悪という感情であるという知見と、都市部の住民ほど虫への負の感情が大きいという知見が注目された。その上で、進化心理学的な理論に基づいて、「都市化」が虫への嫌悪の強さと幅を増大させる経路が2つあると仮説を立てたという。

1つ目の経路は、嫌悪という感情が、病原体回避行動を生み出すための心理的適応であるという「嫌悪感の病原体回避理論」に基づいたものだ。この理論では、嫌悪の強さは、対象の感染症のリスクに応じて変化すると予想されるという。

深野助教らは、都市化によって野外の虫が減る一方で、居住環境(室内)で虫を見る機会が増えると考察。そして、食事や睡眠・休息を行う居住環境に侵入してきた生物は感染症リスクが高いため、侵入してきた生物を、野外にいる生物よりも嫌悪する傾向があるだろうと予想したのである。つまり、都市化によって、野外よりも室内で虫を見る機会が増え、その結果、虫に対する嫌悪感が高まるという経路だ。

2つ目の経路は、エラーマネジメント理論に基づいたものである。この理論では、偽陽性(本当は危険ではないのに危険と判断してしまう)と偽陰性(本当は危険なのに危険でないと判断してしまう)のコストが、進化の歴史の中で非対称的であった場合、コストのかからない誤りをする方に判断が偏る傾向が進化すると予測されている。

病原体に対する反応を考えた場合、偽陽性のコスト(=感染症のリスクはないのに対象を避けてしまう)よりも、偽陰性のコスト(=感染症のリスクが高いのに対象を避けずに感染してしまう)の方が圧倒的に高いので、少しでも感染症のリスクがあるものを避ける傾向があると考えられるのである。

そして不確実性が大きければ大きいほど、この偏りが大きくなるだろうと予想されるという。自然が失われがちな都市部の住民では、自然に対する知識が失われ、虫の種類を区別できなくなっている可能性もある。この状況では、エラーマネジメント理論によって、本来ならば避ける必要のない多くの虫まで嫌悪を感じている可能性がある。これが、都市化によって嫌悪を誘発する虫の種類が多くなると、深野助教ら考えた理由だ。

これら2つの経路を検証するため、日本全国1万3000人を対象としたオンライン実験とアンケート調査が実施された。そして回答者の現在・幼少期の居住地の都市化度、昆虫の目撃場所(屋外・室内)、昆虫に関する知識、および回答者の嫌悪感との関連性が定量化された。

  • 虫の識別能力

    今回の研究の概略図。都市化によって、虫嫌いが増える経路が2つあると仮定された (出所:東大Webサイト)

まず経路1を検証するための統計解析をした結果、都市に耐性のある生物(ゴキブリ、ハエ、クモなど)ほど、室内で見られがちなことが明らかとなった。そして、同じ虫の画像であっても、室内を背景にした画像を提示された回答者の方が、屋外を背景にした画像を提示された回答者よりも、強い嫌悪感を持つことが判明。これらは、都市化によって、野外よりも室内で虫を見る機会が増え、その結果虫に対する嫌悪感が高まる経路1を支持する結果だ。

  • 虫の識別能力

    (左)オンライン実験で、回答者に提示された虫の画像(屋外背景・室内背景)。(右)その結果のグラフ。回答者の半分に屋外背景の虫が、残り半分に室内背景の虫の画像が割り当てられた。同じ虫であっても、室内背景の虫の方が高い嫌悪スコアとなった。室内背景でも唯一増加していない種は、カブトムシだ (出所:東大Webサイト)

次に経路2の検証がなされた。幼少期と現在の居住地の都市化度は、現在の自然経験の頻度と虫の識別能力と明確に関連していることが明らかとなった。つまり、都市化度が高い地域の住民ほど自然経験の頻度が低く、虫の種名を識別できていなかったのである。

  • 虫の識別能力

    (左)幼少期と現在の居住地が虫の識別能力に与える影響。(右)回答者の虫の識別能力と各虫に感じる嫌悪の関係。右のグラフでは、代表例として最も嫌悪スコアが高かったゴキブリと、最も低かったテントウムシのデータが示されている (出所:東大Webサイト)

さらに、回答者の虫の識別能力が、嫌悪を感じる虫の種数に与える影響の検証も実施。その結果、強い関連が判明。つまり、虫の識別能力が高い人は、ゴキブリなどの嫌悪を感じる虫と、テントウムシなどの感じない虫がはっきり分かれていた。それに対し、虫の識別能力が低い人は、テントウムシにも高い嫌悪感を持つ傾向を持つことが確認されたのだという。これは、都市化によって虫の識別能力が低下することで、多くの虫をまとめて嫌悪するようになるという、経路2を支持する結果だとする。

これらの結果から、虫嫌いの背景には、病原体の感染を避けようとする過去の進化的圧力によって形成された心理的メカニズムがあり、それが都市化によって強化されていることが示唆された研究チームでは説明とする。

世界的に都市化が進行しており、また都市部に人が集中する傾向が強まっている。それによって虫嫌いが増加することが、世界的な昆虫の減少と関連している可能性があると考えられるという。ただし今回の研究結果から、以下の2点によって虫嫌いを緩和できる可能性も示されたともしている。

  1. 野外もしくは野外を感じさせる条件で虫を見ること
  2. 虫の知識を増やし、種類を区別できるようになること

今後、これらの可能性を実験的に検証する必要があるという。

またこの研究は、人間と生物多様性の関係を理解し、より良い関係を構築する上で、進化の観点が有効であることを示したと深野助教らは述べている。