九州大学(九大)は2月15日、新たに開発した有機発光材料において、スピン反転を伴う「励起一重項状態」と「励起三重項状態」間の可逆的かつ高速な「項間交差」により、両励起状態間の熱平衡が近似的に成立することを見出したと発表した。

同成果は、九大 稲盛フロンティア研究センターの安田琢麿教授、同・相澤直矢特任助教(現・理化学研究所研究員)らの研究チームによるもの。詳細は、米国科学振興協会が出版する「Science Advances」にオンライン掲載された。

熱平衡は熱力学の基本概念で、熱接触している温度差のあるふたつの系において、経時的に巨視的な変化がなくなった状態のことをいう。つまり、暖房の効いた暖かい部屋と、効いてない寒い廊下をつなぐドアを開け、部屋と廊下が同じ温度になるような、熱のやり取りがなくなった状態のことである。

この熱平衡の状態にさえなっていれば、いかに複雑な分子系であっても、その振る舞いを熱力学の法則から予測することが可能となるという。例えば、次世代の有機EL材料として期待されている「熱活性化遅延蛍光(TADF)」材料であっても可能だ。TADF材料においては、励起一重項状態と励起三重項状態間の熱平衡を仮定すれば、その発光寿命を単純な数理モデルで表すことができるとする。

なお励起一重項状態の、励起とは、電子が光を吸収して不安定な軌道に遷移した状態のことをいう。また一重項状態とは、物質における全電子のスピンの向きが交互に反平行(反対向き)となっており、お互いに打ち消し合ってスピン角運動量が0の状態のことだ。この励起一重項状態からは、蛍光を発して基底状態に遷移することが可能である。

そして三重項状態とは、すべての電子のスピンが同じ方向を向いている状態のことをいう。中でも励起三重項状態は、基底状態が一重項状態にある有機分子のひとつの電子が、スピンの向きを反転させてより不安定な軌道に入った状態のことをいう。

このような、異なるスピン多重度間での理想的な熱平衡状態を実現するには、数理モデル上では表すことができるとはいえ、現実には困難が伴う。励起一重項状態から基底状態への蛍光を発しての放射失活により、比較的短い時間しか存在しない有機発光材料の励起状態においてはなおさらだ。

そうした中、研究チームによって今回開発されたTADF材料は、1秒間に1億回以上の世界最速かつ可逆的な項間交差(異なるスピン多重度の電子状態間の無放射遷移)を可能とする。そして、励起一重項状態と励起三重項励起状態間の熱平衡モデルに従って、発光することが明らかとなった。有機ELデバイスの高輝度・高効率化のためには、励起三重項状態を励起一重項状態に高速変換して発光させることが必要であり、それを実現した形だ。

常温における発光寿命は、TADF材料として極めて短い750ナノ秒に到達し、熱平衡モデルの予測値と良い一致を示したという。この短い発光寿命に由来して、今回の材料を用いた有機ELデバイスは、1万cd/平方m以上の高輝度においても20%以上の高い外部EL量子効率を達成。TADF材料の本質的課題であった高輝度時の効率低下を抑制することに成功したのである。

研究チームは、高速スピン変換が可能な有機発光材料を探索する過程において、今回の両励起状態間の熱平衡という現象を発見したのだという。今後、同様の挙動を示す分子群が発光材料開発の中心となることを期待するとしている。

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    今回の研究で開発された発光材料と励起状態間の熱平衡モデル(S1:最低励起一重項、T1:最低励起三重項、S0:基底状態、KISC:項間交差速度定数、KRISC:逆項間交差速度定数、Kr:放射速度定数、KDF:TADF速度定数、ΔEST:S1とT1のエネルギー差、KB:ボルツマン定数、T:温度) (出所:九州大学Webサイト、プレスリリースPDF)