東京大学と大阪大学は11月10日、有機分子の特定の位置に銅の針を近づけることによって化学反応を引き起こし、ナノ炭素材料の一種である「ナノグラフェン」を生成することに成功したと共同で発表した。

同成果は、東大大学院 新領域創成科学研究科の塩足亮隼助教、同・杉本宜昭准教授、阪学大学院工学研究科の濱田幾太郎准教授、同・濱本雄治助教、同・森川良忠教授、京都大学 エネルギー理工学研究所の中江隆博助教(研究当時、現所属:株式会社KRI)、同・坂口浩司教授、愛媛大学 大学院理工学研究科の宇野英満教授、同・奥島鉄雄准教授、愛媛大 学術支援センターの森重樹特任講師らの共同研究チームによるもの。詳細は、米科学誌「Nano Letters」に掲載された。

正六角形に配列した炭素原子をメイン骨格とするナノスケールの炭素材料である「ナノグラフェン」は、太陽電池、燃料電池、有機ELなどの材料として着目されており、実用化が進んでいる。

ナノグラフェンの合成手法のひとつに、水素原子を多く含んだ有機分子から、特定箇所の水素原子を取り去る「ボトムアップ法」がある。しかし同手法は、原料となる有機分子を比較的容易に入手できる一方、特定位置の水素原子を選択的に取り去る反応の制御が難しいことが課題だ。

その理由は、分子内の水素原子は、炭素原子と電子を分け合う化学結合の一種である共有結合で強く結びついているためだ。それを切断するには多くのエネルギーが必要で、たとえばメタンの炭素原子と水素原子の場合、431kJ/molのエネルギーが必要となる。

この課題を克服してナノグラフェンを合成する手法には、フラスコ内で強い酸化剤を用いる溶液反応のほかに、金属表面上で分子を加熱して反応を起こす「表面合成法」が有効であることが知られている。表面合成法における銅のような金属は、炭素原子と水素原子の共有結合を切るための障壁(活性化エネルギー)を減らす触媒として機能していることが考えられるという。

しかし、具体的にどのような過程を経て金属表面上でナノグラフェンの生成が進行しているのか、これまでわかっていなかった。表面を加熱しているときに分子がどのような構造になっているのか、そして金属がどのように反応に関与しているのかを実験的に調べることが困難だったからだ。そこで共同研究チームは今回、金属がナノグラフェン合成において果たす役割を理解するための研究を実施することにしたという。

まず、分子の形状などによる違いの有無を検証するため、異なるナノグラフェンを産み出す2種類の反応が着目された。また有機分子の測定は、-270℃という絶対零度に近い極低温で実施された。

  • ナノグラフェン

    画像1:(左)触媒の有無による化学反応中のエネルギー変化の違いの模式図。赤丸と青丸から構成される分子が、加熱によって分解される反応が示されている。この化学反応を起こすためには、活性化エネルギーを超える熱エネルギーが必要となる。ただし触媒を用いることで、その活性化エネルギーを下げることができ、反応がより容易に進行する。(右)今回の研究で着目された2種類の化学反応式。有機分子を銅の表面上で加熱すると、銅の触媒作用によって一部の水素原子が解離して、それぞれの反応で異なった形状のナノグラフェンが得られるというものだ (出所:東大Webサイト)

高性能な原子間力顕微鏡によるイメージングで、有機分子に水素原子が含まれていることが解明された。この分子が目的のナノグラフェンになるためには、この水素原子を取り去る必要があるが、この反応を起こすためには表面を150℃以上に加熱する必要があることが確認された。

そこで共同研究チームが思いついたのが、原子間力顕微鏡の観察で用いる針を用いて、測定を行ったままの低温、つまり分子にほとんど熱エネルギーを与えられない条件下において、水素を取り去る反応を起こすことを試みることだという。加熱するのではなく、反対の低温環境のままで試みることを考えたのは、針の先端は銅になっており、表面合成法と同様に触媒としての効果を発揮することが予期されたからだ。

  • ナノグラフェン

    画像2:銅の針によって有機分子から水素原子を取り去った実験結果。(a)ターゲット分子に銅の針を近づける過程の模式図。分子から突き出た水素原子は、水色で強調されている。(b)画像1右の反応Aの過程で得られる有機分子の原子間力顕微鏡像。明るい2か所(像中の赤点線の丸)が、突き出た水素原子の位置に対応している。そのうちの左側に銅の針が接近させられた結果、左側の水素原子が抜けた。(c)左側の水素原子が抜けて変化した像。(d)さらに残った右側の水素原子に接近させられた銅の針によって、右の水素原子も抜けた像に変化した。画像1右の反応Bによって、加熱で得られるはずのナノグラフェンが針を接近させただけで得られたことが、この像から証明された (出所:東大Webサイト)

実際に突き出た水素原子に針を接近させたところ、その水素原子が針に移動し、分子の組成が変化することが確認された。さらにもうひとつの突き出た水素原子にも針を接近させたところ、その水素も分子から引き抜かれ、最終的に目的のナノグラフェンを得ることに成功したという。

続いて、なぜ針の接近によってナノグラフェンを生成する反応が起こったかについて、理論研究からのアプローチがなされた。そしてわかったことは、近づいてきた針の銅原子と水素原子との間に引き合う相互作用が生じ、元の炭素原子と水素原子との共有結合が切断されるということだった。さらに、分子の突き出た水素原子に針が近づいていくほど、水素原子を分子から取り去るために必要な活性化エネルギーが減少することも確認された。

  • ナノグラフェン

    画像3。銅の針による水素原子の除去についての理論計算によるシミュレーション結果。(左)画像1右の反応Bの過程で得られる有機分子に銅の針を接近させた際の、水素原子が引き抜かれる様子のイメージ。移動する水素はわかりやすいように水色で強調されている。(右)銅の針で反応Bの過程で得られる有機分子から水素を引き抜くために必要な活性化エネルギーが、針の位置によってどのように変化するかが表されたグラフ。分子の突き出た水素原子に探針が近づけば近づくほど活性化エネルギーが減少し、最終的には低温でも反応が自発的に進行することが示されている (出所:東大Webサイト)

なお、-270℃での実験において針の接近による化学反応が起きたのは、この活性化エネルギーが0であることが考えられるとした。熱エネルギーを一切必要とせずに、水素原子が針に移動したことを意味するという。

共同研究チームは、今回の研究成果に基づいてナノグラフェンの元となる有機分子や金属触媒をデザインすることにより、ナノ炭素材料をより効率よく合成できるようになることが期待されるとしている。

今後、針の素材を変えたり別の刺激を与えたりするなど、このような精密な原子操作技術を発展させることで、究極のボトムアップ合成法の確立が期待されるという。個々の原子を自在に動かして、これまで合成不可能だった分子や機能的なナノ物質を組み立てるという、まるでSFのような技術が見えてきた形だ。