大阪大学(阪大)、物質・材料研究機構(NIMS)、日本臓器製薬の3者は10月22日、末梢神経に直接巻いて神経の再生を促す「薬剤含有ナノファイバーシート」の商用規模での製造に成功し、ヒトを対象とした治験を11月から開始することを共同で発表した。

同成果は、阪大大学院医学系研究科運動器スポーツ医科学共同研究講座の田中啓之特任教授、NIMS機能性材料研究拠点スマートポリマーグループの荏原充宏グループリーダー、そして日本臓器製薬の研究者らの共同研究チームによるものだ。

「手根管症候群」と呼ばれる、しびれや痛みを主な症状とする末梢神経障害の治療は、現在は薬物療法や患部の固定などの保存的な治療法が中心で、それらによる改善が見られない場合に手術が選択される。

神経細胞は再生しないイメージがあるが、末梢神経は再生能力を有しており、手術をすることでその多くは症状が改善するが、術後に長期間の投薬やリハビリが必要となったり、また手術そのものがダメージとなって知覚異常や筋力低下が残るなどのリスクもある。その一因として、術前からの末梢神経の障害や、手術時に露出させた神経の周辺組織への炎症細胞の侵入によって形成された「瘢痕」(はんこん)が、神経再生の妨げとなと考察されている。

これまで、末梢神経障害に対する医療機器として、人工神経と呼ばれる神経再生誘導材が開発済みだ。ただし、これらは損傷部が完全に切断された「不連続性神経損傷」に対してのみ使用されるため、多くの患者に適用することはできていない(年間手術件数数百件程度)。

また、これらの医療機器は損傷部を橋渡しするだけで、神経の再生を促進する効果を有してはいない。また質感が硬く取り扱いが不便で、末梢神経に適用するにあたっては最適とはいえないことも課題だ。このように、末梢神経障害には既存の治療法では解決できない課題があり、新たな治療法の開発が望まれている。

今回開発された「薬剤含有ナノファイバーシート」は、ポリ(ε-カプロラクトン)(PCL)をエレクトロスピニング(電界紡糸)技術で超極細繊維の不織布様にしたもので、神経再生効果を持つ薬剤を含有している。同シートには、体液は通すが、神経の瘢痕化の原因となるマクロファージなどの炎症性細胞は通さないという特長がある。手術時に、同シートで神経を被覆することで、術後の炎症反応から神経を保護し瘢痕形成を抑制することが可能だ。

また、PCLの分子構造を精密に制御することで素材そのものの硬さを調節。なおかつ、ナノファイバーからなる薄膜状に加工することで柔軟性が高くしなやかな触り心地を実現したという。これにより神経への刺激を最小限に抑えることができ、必要なサイズに切って神経に貼ったり巻き付けたりと、加工性にも優れるとした。

さらに、薬剤はシート表面ではなく、超極細繊維の1本1本に均一に含有されているため、拡散によって長期間にわたり薬剤を一定速度で放出できる仕組みだ。またPCL自身の加水分解によって1年以上かけてゆっくりと生分解されるように設計されており、術後の抜去も不要となっている。

さらに、同シートを用いた動物実験も実施済みだ。坐骨神経損傷モデルラットに適用したところ、術後6週間で神経の軸索が再生。運動機能と感覚機能が回復したことが確認された。

同シートの実用化に向けては、日本臓器製薬が2020年3月24日付で大阪府より第一種医療機器製造販売業の業許可を取得して製造販売体制を整備。同シートの安全性を確認するため、ヒトを対象とした初の探索的治験を実施することにしたという。

今回の治験は、阪大を初めとする多施設共同で、手根管開放術および神経縫合術を要する患者を対象とする。予定被験者は33例、新型コロナウイルス感染症対策を万全にした上で、2020年11月から2022年6月まで実施される予定だ。

手根管症候群の患者は国内に年間で数十万人いるとされる。今回開発されたシートが実用化されれば、手根管開放術、神経縫合術、神経剥離術、神経移行術、神経交差縫合術、神経再生誘導術、神経移植術に使用が可能だ。「末梢神経の外科的手術が必要な患者」を対象とした、年間約5万件の手術に適用できるという。

また、シートによる神経保護に加え、薬剤を「局所に」「持続的に」供給するという、これまでにない治療法が特徴だ。これにより、術後の知覚異常や筋力低下、また再手術リスクおよび術後通院回数を減少させることができるという。患者の早期社会復帰など、QOLや日常生活動作(ADL)の向上が期待されるとした。

  • 今回開発された神経再生効果を持つ薬剤を含有させたナノファイバーシート

    今回開発された神経再生効果を持つ薬剤を含有させたナノファイバーシート。末梢神経の患部に巻くようにして使用する (出所:阪大Webサイト)