東京大学生産技術研究所の石井和之 教授の研究グループは、化学や薬学などの研究開発機器としてよく利用されている「ロータリーエバポレーター」を用いて鏡像異性体(光学異性体)のキラル分子を合成することに成功した。

キラル分子とは、化学式では同じように表記されながら、右手と左手のように分子の立体構造的には違う鏡像異性体(一般的には光学異性体と呼ばれてきた)である。「今回の研究成果は、生物の身体をつくるアミノ酸はL体のみ、糖はD体のみであるという不思議な生命発生の秘密を解明する手がかりとなる可能性がある」と、石井教授は説明する。生命の起源の謎を解明する起点になる可能性があるという点でも奥深い研究成果になっている。

従来、キラル分子の研究では、キラル触媒と呼ばれる高価な触媒を利用して合成する手法が一般的だったが、石井教授の研究グループは、モノマー(monomer=単量体)を実験装置のロータリーエバポレーターの中に入れて回転させて、溶媒を飛ばすという簡単な操作によって、キラル分子のL体、あるいはD体をつくることに成功したもの。

  • 東京大学生産技術研究所

    東京大学 生産技術研究所 物質・環境系部門の石井和之 教授

光機能性分子のフタロシアニン キラル会合体を合成

具体的には、フタロシアニン キラル会合体をロータリーエバポレーターの回転運動によって合成することに成功した。このフタロシアニンは、光記録媒体や光電荷発生材料として実用されており、太陽電池、光がん治療などの高度な応用も期待されている光機能性分子である。会合体とは、分子が集まっているものを指す用語である。

化学や薬学などの研究開発機器として一般的に利用されているロータリーエバポレーター内でキラル会合体(右巻きあるいは左巻きらせん)が作製できるという研究成果は、先行研究としても報告されていたが、それらの研究は再現性の点でやや課題があった。

今回の研究では、対象分子として構造が分かりやすいフタロシアニンを選択。ロータリーエバポレーター内で回転運動を与えて溶媒を飛ばして濃縮させ、単分子が重なっている薄膜をつくるだけで、キラル会合体(分子集合体)ができることを確認した。

「薄膜化することによって、キラルな分子を固定化し、ロータリーエバポレーターによるマクロな回転運動と、その回転方向とナノスケールのキラル分子の"ねじれ"の関係性を高い再現性で実証した」と、石井教授は説明する。また、フタロシアニン分子に関しては「100発100中でできるレシピを見つけた」と、技術の完成度を強調する。

この研究成果は、従来の高価なキラルな触媒を用いずに、簡単な機械的動作によってキラル分子を合成する手法に発展する可能性があり、医薬品や機能性材料の開発に道を開いた点に大きな意義がある。

同時に、アミノ酸はL体のみ、糖はD体のみであるという生命のホモキラリティー起源を探る手がかりとなる可能性がある点にも関心が高まっている。生命の神秘を解明しようとする試みは科学の可能性を新たに切り開きそうである。

  • ロータリーエバポレーター

    化学や薬学などの研究開発でよく用いられるポピュラーな実験装置「ロータリーエバポレーター」。溶媒に入れた溶質を蒸発させて蒸留する化学実験装置で、フラスコを回転させて使う

ロータリーエバポレーターが回転する様子

なお、今回の研究成果は、ドイツ化学会誌「Angewandte Chemie International Edition」(オンライン版:2019年10月31日)に「Chiral Supramolecular Nanoarchitectures from Macroscopic Mechanical Rotations: Effects on Enantioselective Aggregation Behavior of Phthalocyanines」という論文タイトルで公開されている。

また、キラル分子に関する最先端の研究成果は、独立行政法人 日本学術振興会の科学研究費助成事業「新学術領域研究(研究領域提案型)」(平成29年度から同33年度まで)の『ソフトクリスタル:高秩序で柔軟な応答系の学理と光機能』(領域番号:2903)の公開シンポジウムなどで公開されており、今後も継続して公開されていく予定。同領域は、代表を北海道大学 大学院理学研究院の加藤昌子 教授が務め、事務局を石井教授が務めている。