鉄は、私たちの暮らしにとっても、地球の歴史にとっても、そして現在、未来の地球環境にとっても重要な物質だ。鉄の使用は人類の文明をおおきく変え、いまも鉄でできた品は身の回りに数知れない。私たちがいま鉄鉱石として掘り出して使っている鉄は、もとはといえば、地球に植物が出現して吐き出した酸素が海中の鉄分と結びついて沈殿したものだ。

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    図 人為起源の鉄エーロゾルが海に溶け込み、気候変動に影響を与えるようすを示す概念図。(東京大学のホームページより)

そして鉄は、植物の成長に欠かせない栄養素でもある。海の表面近くを漂う植物プランクトンは、大気から溶け込んだ二酸化炭素をもとに光合成で栄養分を作りだし、それを食べる動物プランクトン、それを食べる小さな魚……という食物連鎖で、地球の生き物を支えている。しかし、海中の鉄分が慢性的に不足している海域は世界のあちこちにある。海に鉄分を散布して、植物プランクトンを活性化させようとする研究例もある。鉄で植物プランクトンの活動が活発になれば、海の生産性が高まり、大気の二酸化炭素をよく多く消費して、地球温暖化の抑制に関係してくるかもしれない。

この海の鉄分は、どのようにして供給されるのか。じつは、この基本的な事柄がよくわかっていない。大気中を漂うエーロゾル(エアロゾル)とよばれる微粒子として海にやってくる鉄分には、砂などが巻き上げられて飛んでくる自然起源のものと、陸上で石炭や石油などを燃やした際などに発生する人為起源のものがある。海に来る鉄分は、どんな由来のものが多いのか。そもそも、どうやって発生源を区別できるのか。

東京大学博士課程の栗栖美菜子(くりす みなこ)さん、高橋嘉夫(たかはし よしお)教授らの研究グループが注目するのは、エーロゾルに含まれる鉄の同位体比だ。鉄には、ほんのわずかだけ重さが違う4種類がある。これらを鉄の同位体という。その9割が「鉄56」という種類で、6%ほどが、それよりすこし軽い「鉄54」だ。栗栖さんらは、エーロゾルの鉄に含まれる鉄56と鉄54の割合、すなわち同位体比を細かく調べた。

栗栖さんらは2016年9月、千葉市役所の屋上でエーロゾルを採取した。ここの南西約4キロメートルには製鉄所がある。製鉄所では鉄を1000~2000度くらいに加熱する。鉄は約1540度で溶けるので、砂粒のような自然起源のエーロゾルとは違う「鉄」が、きっと飛んでくるはずだ。

採取した際の風向きも考慮して分析してみると、粒径が1000分の1ミリメートル程度以下の細かいエーロゾルに含まれている鉄には、軽い鉄54の割合が高いことがわかった。電子顕微鏡でエーロゾルの形を調べたところ、小さな玉が集まって塊になっていた。これは、高温のためいったん気化してガスになった鉄が冷えてできた物質だと、栗栖さんらはみている。一方で、大きめのエーロゾルでは、鉄56と鉄54の割合は、地表から巻き上げられる自然起源の砂などと変わりなかった。つまり、鉄の同位体比を調べることで、それが自然起源のエーロゾルなのか、高温にさらされた際にできた鉄を含む人為起源のエーロゾルなのかが区別できるということだ。

鉄のエーロゾルの量と過去の気候変動には、密接な関係がある。現在は、私たちの文明を支える鉄が多量に生産、消費されており、しかも人為起源の鉄エーロゾルは、自然起源の鉄より海に溶け込みやすいとみられている。現在の地球温暖化は、私たちが石炭や石油を燃やしてたくさんの二酸化炭素を排出していることがその原因だ。その石炭や石油は、燃やすと人為的な鉄のエーロゾルも生み出す。その鉄が、二酸化炭素や生き物の体などの形で地球をめぐる「炭素」に影響を与える。鉄は、地球環境のバランスを左右する重要な脇役なのだ。

栗栖さんらの今回の研究は、製鉄所由来のエーロゾルに注目し、それを自然起源のエーロゾルと区別する「ものさし」を作ったことになる。海上でエーロゾルを採取してこの「ものさし」をあてれば、それが自然起源なのかどうかを判定できる。こうした「ものさし」づくりは、「〇×を発見!」のような派手さがないので科学ニュースになりにくいが、じつは、その分野の研究に対する波及効果は大きい。栗栖さんらは、自動車が走るトンネルのエーロゾルなどを対象に、さまざまな人為起源の鉄エーロゾルについて研究を進めているという。もうけ話につながるイノベーションや大発見だけが科学・技術ではない。こうした研究にも、しっかりと目を向けていきたい。

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