QBハウスが陥ったジレンマと新しい挑戦

持続的なイノベーションを続ける優良企業は、その業界内で破壊的なイノベーションを起こすベンチャー企業を軽視する。問題に気づくのは優良企業としての地位がすでに失われた時である。

このようにして大企業がベンチャー企業に滅ばされるプロセスを描いてベストセラーとなった『イノベーションのジレンマ』だが、当然のことながら破壊的なベンチャー企業も同様のジレンマに陥る可能性がある。

ヘアカットのみを提供する日本初のヘアカット専門店「QBハウス」として1996年に創業し、「10分1000カット」で理美容業界に変革を起こしたキュービーネットもそうした企業の1つだ。1号店のオープンから20周年を迎え、店舗数は2018年現在、国内552店舗、国内来店客数1790万人を数える。2018年3月には東証一部に上場も果たした同社だが、今から10年前は存亡の危機に瀕する状態だった。

当時の状況について、事業推進室マネージャー平山貴之氏は「お客さまが当社に抱くイメージは『1000円だからしょうがない』でした。現場の社員は仕事に誇りを持てず、離職率は50%にまで上昇。本社と現場の間に隔たりが生まれ、当事者意識や相互関係は希薄になっていました」と振り返る。

  • キュービーネット 事業推進室 マネージャー 平山貴之氏

今から10年前というと、カリスマ美容師ブームが去ったことで業界離れが起こり、資格取得者が減少傾向になった時期に重なる。理美容業界には「長時間拘束」「低賃金」「ノルマ」「人間関係が悪い」「成長できない」といったネガティブなイメージがつきまとっていた。競合も数多く現れ、「安くて早い」という顧客のニーズを満たすための改善だけでは、太刀打ちできなくなっていた。

業界の構造的な問題もあった。理美容師から異業種への転職が増えたが、新人育成がままならなかった。理美容業界では、「見て盗め」「先輩の背中を見て育て」という上から目線の職人気質が幅を利かせていたためだ。女性に至っては結婚や出産で引退すると、ほとんど復帰できなかった。「技術があっても高年齢の女性には指名客がつかない」が業界の常識だったからだ。

もっとも、キュービーネットは新たに登場したベンチャーに破壊されることはなかった。ジレンマに気づき、自分自身をいったん破壊し、一から作り直すほどの「変革」に取り組んだからだ。

「社長を筆頭に『このままで先がない』という先見の明を持った社員がたくさんいました。もちろん改革に反対する者も数多くいて、どうしても意見があわずにその大半が会社を去りました。皆が辛い思いをしましたが、それでも改革は止めませんでした」(平山氏)

キュービーネットはどのようにして自らが破壊者となり、イノベーションを引き起こしたのか。

躍進を支えたテクノロジーとツール

テクノロジーやツールの活用という側面でQBハウスを見ると、興味深い事例がたくさん出てくる。代名詞とも言える「エアウォッシャー」は、シャンプーの代わりにカット後の毛クズを吸い取るものだ。これにより、散髪時間を大幅に短縮し、シャンプー代や水代を削減する。

必要な道具や設備を一箇所にまとめて配置した「システムユニット」も特徴的だ。顧客の上着をかけるクローゼットまで備えており、スタッフが接客や会計も含めて移動にともなう作業を効率化できる。また、同社には「カット理論」と呼ばれる短時間でカットするための独自のカット手法があるが、これも作業の効率化に大きく寄与している。

もっとも、こうした事例は、日々のPDCAサイクルの中で行われてきた持続的な改善活動の結果でもある。イノベーターとして市場を席巻していた当初はこうした取り組みが功を奏したが、10年経ち、競争相手が増えてくると差別化も難しくなる。そもそも、こうした改善の行き着く先には、業界の文化や慣習まで含めて課題を解消できうる姿はない。

そこで取り組んだのが、同社のこれまでの経験や実績をひっくり返すほどの破壊的な取り組みだ。2009年に代表取締役社長に就任した北野泰男氏は「ビジネスモデルだけでなく、組織改革、人材教育でもブルーオーションを目指す」と宣言し、企業理念に新たに4行を書き加えた。

それまでの企業理念は「我々はお客さまに『ありがとう』と言われる均一で安心感のあるお手軽なサービスを提供し、世界一多くのお客さまから必要とされるヘアカットチェーンを目指します」だった。ここに新たに加わった文章は「共に働く仲間とは、時間の価値を高め合う存在です。お客様、仲間に信頼される、尊敬される人間へと成長し、最高の笑顔(感謝)で世界を和ますことのできる組織へと日々進化していきます。皆で選ぶ、お客様、仲間からより強く選ばれるために言葉・態度・表情・思考」となる。

平山氏によると、この文章に込められた社長の想いは「社員を幸せにできなければ会社の存在意義はない」というものだという。

顧客ニーズをいかに満たすかだけでなく、顧客や仲間とともにどう自身を進化させるかという新たな軸が加わったことになる。これは、持続と破壊の両方にチャレンジするという取り組みとも言える。

新しいビジネスを支えるための「3本の柱」

テクノロジーやツールの観点から、具体的な展開例を紹介しよう。まずは、2015年から提供を開始したスマートフォンアプリ「カットカルテ」がある。QBハウスの特徴の1つはカット理論に基づく短時間カットだが、中には顧客のオーダーとの齟齬もあったという。

カットカルテは、スマホアプリ上でカットしてもらいたいイメージを事前に伝えることで、カット内容を確認することができる。これにより、短時間カットという特徴を生かしながら、顧客のオーダーとの齟齬を減らすわけだ。

また、スタッフ向けに提供している静脈認証を使った勤怠管理もユニークだ。出勤退勤時に静脈認証を行うとタイムカードとして自動的に作業時間が打刻される。スピーディーな勤務を支えるとともに、1分単位の勤怠管理(1分単位で残業代も支給)を実現し、スタッフの多様な働き方を支えている。また、店舗システムのバージョンアップを行い、券売機を総入れ替えし、自動集計などを可能にした。

もっとも、こうしたツールやテクノロジーの導入自体が直接的なイノベーションをもたらすわけではない。破壊的なテクノロジーを活用するよりもむしろ重視したのは、人や文化、組織といった面での地道な改革だ。具体的な計画と戦略は、大きく3つの柱から構成されている。

1つ目の柱は、サービスの質の向上だ。接客やおもてなしなどのサービスを数字化するため、第三者による顧客満足度調査をスタートさせ、顧客の声を直接実務へ反映させるためのPDCAの仕組みを構築した。

具体的には、覆面調査の実施や、スマホアプリから顧客の意見を募る「ファンケート」機能の開発、月1回の外部講師指導のもとの議論とワークショップなどだ。2011年後から開始したこれらの取り組みは少しずつ成果を生むようになった。2015年にはJCSI(日本版顧客満足度指数)で「顧客満足」「知覚価値」「ロイヤリティ」の3部門で1位を獲得した。

「2017年6月期には年間来店客数が2000万人を突破しました。直近3年の既存店昨対比は3~4%向上しています。サービスの質を認めていただき、コアファン層を獲得した結果だととらえています」(平山氏)