――ヒーロー物というと基本的に休日の朝や夕方に放送される印象が強いですが、「深夜アニメ」として放送されることはあまり多くないヒーローという主題を深夜にもってきた狙いは?
当初は、放送時間が深夜であるとは決まっていなくて、夕方になる可能性もあるとうかがっていて、開始直前頃に深夜枠での放送が決定しました。なので、僕としては全世代が楽しんでもらえるものを作っていくという意識で書いていました。
ただ、放送枠に関係なく、自分の作品は老若男女に愛されるものにしたいと考えているので、(ターゲットを)狭めてしまわないように書いていきました。
――劇中でヒーローは街にはびこる事件を解決することでポイントを稼ぎ成績を競い、市民はその様子を「観戦」するという大前提があります。「悪をやっつける」というヒーロー物の前提に加え、「ヒーローショー」の要素を劇中に取り入れた理由は?
実は、タイバニの話をいただいたのと同タイミングで、5人組の戦隊もので、彼らの日常を描く小説の構想を温めていたんです。赤レンジャーとピンクが付き合っていて、ブルーはピンクの元彼で、黄レンジャーの母親の具合が悪くて介護の合間に出動していく……みたいな内容でした。
そんな折に監督やプロデューサーとお会いしてお話をうかがって、ちょうど僕が書こうとしていた小説の構想を生かせる内容だと感じました。そして、この小説の構想の根幹となっていた「ヒーローが本当に生きていたとしたら、どんな問題や悩みを抱えているんだろう」というテーマを膨らませていく中で、ヒーロー同士がお互いに競わされていることなど、その他の詳細な設定を広げていきました。
HERO TVに関してはその中で生まれた設定ですね。、ヒーローの戦いがTVで中継されている光景から始まる、TV版1話の冒頭の入り方をは、この設定を表現するうえで、どう1話を始めるべきか考えた時にすっと浮かんできたアイデアです。HERO TVを見ているシュテルンビルト市民の視点と、視聴者の視点が同じになって物語が始まるというのがすごく大事で、共有している感覚にわくわくしてもらえるのではと思ったんです。
――また、ヒーロー物の主役は肉体や精神的に強靱な正義漢が務めることが多いですが、虎徹は正義感は強いものの迂闊なところがあり、物語の後半から能力が減退し、新劇場版では引退すら示唆されています。一方、バーナビーは成績優秀ですがビジネスライクな冷めた態度で、両親の仇を取る過程でかなり精神的に不安定になっている場面もありました。ヒーロー=「強い」という明確な構図をあえて避けたのはなぜでしょうか?
んー、完全な人間はいない、と僕は思っているんです。たとえ周囲からは完全に見える人がいたとしても、家に帰ったら人知れず泣いていることもあるかもしれません。この物語を通じて、強い人の強い部分も、弱い部分も両方見せたかったんです。
――『The Rising』では虎徹やバーナビーのみならず、その他のヒーローたちのクローズアップされていなかった"弱み"や"葛藤"も見えるような展開になっていると思うのですが、特に描いている中で印象的だったのは?
やはり、○○○○○○○○○○(ヒーロー名)ですね。ただ、ただ、このヒーローが全ヒーローの代表としてフィーチャーされているだけで、「今の自分でいいのか?」という普遍的な問いは、この作品の中で大切にした要素のひとつです。
そして、他のヒーローたちもさまざまな問題を抱えています。ヒーローという、人より強くて恵まれているかのように見える存在でも悩みを抱えているということが、観ている人を勇気づけられるといいなと思ったといいますか。
――特定のキャラクターによらず、全体的な視点から組み立てているということでしょうか?
そうかもしれないですね。タイバニはふたりの物語であると同時に群像劇だと捉えているので、どうやったら皆を立てられるかなと考えた時に、こういった構造を作っていけば、皆の見せたい部分が見せられるかもしれないと思い、書き進めました。