分子科学研究所(IMS)は6月7日、炭素の同素体の1つであるおわん型の「バッキーボウル」に"手"である「置換基」をつけたところ、置換基の方向が従来にはなかったおわんの内側を向いているものを発見、さらに内側に向く理由もスーパーコンピュータを用いた計算シミュレーションによって解明したと発表した。
成果は、IMSの東林修平助教、同・櫻井英博准教授らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、独科学誌「Angewandte Chemie International Edition(応用化学誌国際版)」オンライン版に近日中に掲載の予定だ。
炭素の同素体として知られる、サッカーボール型の「フラーレン」、その部分構造に相当するおわん形のバッキーボウル(フラーレンの別名であるバッキーボール(buckyball)にちなんでbuckybowlと命名された)、チューブ型のカーボンナノチューブ(CNT)は、平面型のグラフェンなどと異なり、湾曲した構造を持つ(画像1)。
曲面では内と外ができるために違いが生じ、さらに結果としてその違いが明確な物理現象として現れることがある。しかし、このような違いが現れる理由の1つである「立体電子効果」によって生じる現象は、前述した分子ではこれまで見つかっていなかった。なお立体電子効果とは、分子がある特定の立体的な形や配置をした時にのみ、分子の持つ分子軌道間で働く相互作用のことをいう。この効果が働くと安定化されるために、その形を取りやすくなり、分子の形や反応性に大きな影響をもたらす。
一方、おわん分子は、おわんに置換基をつけた場合に、置換基がおわんの内か外を向いた2つの形が存在する(画像2)。このようなおわん分子では、「立体障害」効果によって置換基がおわんの外に向いた形が知られていた。この立体障害とは、分子と分子、または分子内で2つの部位がぶつかることで生じる反発作用(斥力)のことだ。分子としては、この効果が生じてしまう構造を取りづらくなるため、これまではバッキーボウルで置換基が内向きの形は観測されたことがなく、さらには内に向ける方法もわかっていなかった。
画像2。置換基がおわん分子の内と外のそれぞれに向いた形。今回、はじめて内向きの形が発見された |
研究チームは台湾のWuグループとの共同研究で遷移金属触媒を用いた新しい化学的変換法を開発し、さまざまな種類の置換基をおわんにつけることに成功。おわん分子についた置換基が内と外のどちらを向いているかが調べられたところ、通常の外向きだけでなく、内向きのものもあることが発見されたというわけだ。
内向きとなる理由は立体障害効果では説明できないことから、インドのSastryグループとのスーパーコンピュータを用いた計算シミュレーションによる共同研究を実施。詳細な解析が行われた結果、湾曲したおわんの内側と外側の違いから生じる立体電子効果が置換基に伝わって内側に向くことが明らかになった(画像3)。
おわん分子は柔らかい構造をしているので、平面型を経由しておわんの内側と外側が反転する独特の性質を持つ。このおわんの反転という性質により、置換基をつけたおわん分子では置換基が内側に向いた形と外側に向いた形の間で変換することが可能だ(画像4)。
画像3。立体障害効果ではおわんと置換基の間に働く斥力で外向きとなっていた。今回発の立体電子効果は間に働く引力で内向きが有利 |
画像4。おわんの内と外が反転すると、置換基の向きが内向きと外向きの間で変化する。おわんの反転を制御できれば分子機械にできる |
今回の研究によって、置換基の向きを外だけでなく内に向けることも可能であることが解明されたことで、この動きを人為的に制御できる可能性が拓けたという。光などに反応する置換基をおわん分子につけておわんの内と外を反転させる動きを制御できれば、次世代のナノテクノロジーの1つである「分子機械」として応用できることが期待されるとしている。