"出戻り"現象が日常茶飯事の半導体業界

最近話題になったのが半導体製造装置の世界最大手Applied Materials(AMAT)によるKokusai Electricの買収発表である。22億ドルにのぼる現金での買収計画というから桁外れに大きな買収である。

製造プロセスの多くのステップで使用される装置を総合的にカバーするAMATは成膜技術に力のあるKokusaiを取り込むことによって業界への影響力をさらに強化する。独禁当局の承認待ちであるが、中国の動きが気になる。

そのようなことを考えていたら早速知人から"出戻っちゃいました"というメールをもらった。彼はAMATから転職して私が勤務していたあるウェハ会社で一緒だったが、その後Kokusaiに転職した。それがAMATに舞い戻ることになるという事だ。この種の話は私の周りでは「よくある話」である。私自身はその経験はないが、他にもこういう例は非常に多い。特に外資系の場合が多いように思うが、グローバル・レベルでの業界再編が加速する半導体業界では日系も外資系もない。

以前は日系ブランドが外資に吸収されるケースが多かったが、最近のルネサス エレクトロニクスとIDTのように外資を日系が吸収するケースも増えてきている。どちらにしても、国の文化、企業文化を超えての吸収・合併には多くのチャレンジが存在する。2つの独立した伝統ある企業同士が一緒になり相乗効果を上げながら新たな企業価値を創造することは非常に難しい。お互いの文化、立場、価値などについて十分な認識をし、それを尊重することが肝要である。

業界再編の波に乗らないと取り残される企業側の事情はよく分かるが、それにより強制的に転職させられてしまう従業員側の事情も重大な問題である。

AMDで見た買収・合併・転職

他のシリコンバレーのブランドのご多分に漏れず、AMDもいくつかの企業買収や、幹部の転職などを経験してきた。

失敗したものもあったが、成功したものはよく憶えている。やはり劇的だったのは1996年のNexGenの買収である。これによってK5の失敗で瀕死の状態であったAMDはNexGenが密かに開発していた次世代CPUコアに改良を加えた製品をK6プロセッサーとして発表し、見事にカムバックを果たした。

参考:巨人Intelに挑め! - 自作PCユーザーを歓喜させたK6シリーズ 第3回 初代K6ついに登場

ところがNexGenのCEOであったAtiq Razaは次期AMDのCEOとして期待されていたが、K6の成功でAMDの株価が上昇するとあっさり売り抜けてAMDを去ってしまった。その後AMDはAtiqが率いるAlchemy(MIPSコアの省電力SoC)を買収したが、こちらは買収後まもなく手放してしまった。

転職組としてかつてのAMDに大きく貢献したのは何といってもDEC(Digital Equipment Corp)からAMDに転職したDirk Meyerであろう。DirkはDECで業界初のフル64ビットCPUであるAlpha21064/21264の共同開発者として知られていたが、AMDに転職後はK7、K8とヒット製品を次々に繰り出し、最後はCEOまで上り詰めた。

  • AMD

    2006年のAMDとATIの合併は大きなニュースとなった (著者所蔵イメージ)

AMDの企業買収で一番成功したのは2006年のカナダATI Technologies社の買収であろう。この買収の結果ATIの会社としてのブランドはなくなったが、製品ブランドのRadeonは残し、従来のAMDの強みであったCPUの設計技術にATIのグラフィックス技術を取り込み、お互いの強味を融合することによって現在のAMDの高い企業価値(CPUとGPUを同じシリコンに集積するヘテロジーニアスなコンピューティング)を創造した。

AMDがATIを買収した当時私は両社のチームの合併の仕事に携わっていたが、AMD・ATIの両チームは「OGT(One Great Team)」の号令の下に見事に新たな企業価値を創造した。これが現在のAMDの強さを支えていることは明らかである。企業合併の成功例として見習う点は大いにあるだろう。やはり、強制的に転職させられてしまったATI側の従業員へのリスペクトは大きな要因だったのではないか?

AMD転職組での成功例では現在のAMDのCEOを務めるLisa Suについて書かないわけにはいかない。LisaはTI、IBM、Freescaleでの経験を経てAMDに転職し、2014年にCEOに就任した。それからのLisaの功績については現在のAMDの勢いをみればだれの目にも明らかである。今年で50歳になるLisaは創立50周年のAMDを立派に率いて各方面から大いなる尊敬を集めている。

AMDの強みは外部からの技術、才能、アイディアを自社に積極的に取り込み、しかしながらAMDとしての強烈な企業カルチャーを維持している点である。そこには常に「従業員のポテンシャルの総体=企業価値」という、創業者サンダースの企業哲学があると思う。

引き抜きが横行するシリコンバレーの現在

現在シリコンバレーでは競争の激化と、それに伴う業界再編が継続され各勢力の規模が大きくなるにつれて、大物の引き抜きが横行している。

ごく最近話題になった話はArmの10年来のリード・アーキテクトの一人であったMike FilippoがAppleに移籍したことである。自らのLinkedInの情報から漏れ伝わった話らしいが、Arm側もこれをコンファームしている。Appleといえば5G用のモデムチップの件でQualcommと訴訟を繰り返し最後のどんでん返しで和解したことが話題になったばかりである(ちなみにこの訴訟は、ごく最近カリフォルニア地裁がQualcommの主張を退けるというねじれた状態になっている)。

一方でQualcommとよりを戻したように見えるAppleであるが、高速モデムの自社開発はまだあきらめてはいない。AppleはiPhoneのメインCPUはすでに自社開発をしているが、そのコアであるArm自体のアーキテクトの転職は注目される。このレベルの転職でここ最近話題になったのはAMDのGPU事業部のトップだったRaja KoduriとCPUの設計部門の重要人物であったJim KellerのIntelへの転職である。

RajaといえばAMD Radeon製品群の顔であったし、現在、AMDが売っているRadeon RX Vegaの開発を率いた人物である。一方のJimはCPUのチーフエンジニアでDirkとともにDECでAlphaの設計にかかわり、AMDへの転職後K7、K8、そして最近のAMDを牽引するRyzenの設計にも深くかかわっていた人物である。この2人のAMDからIntelへの転職が将来的にどんな力学の変化を生み出すのかは未知数である。

転職で時々厄介となる問題に企業秘密の流出の問題がある。前職で得た技術資料、内部資料などを持ち出すことなどの明らかな違法行為は論外として、その人の頭の中にある新たなビジネスモデルのアイディア、新技術の大まかな方向性、特許の原型となるもの、なども転職先で使用し実現させるとなると、企業秘密の漏洩とみなされることがある。

変化の激しいこの業界では「昨日の敵は今日の友」でもあり「敵の敵は味方」になる可能性は十分にある。転職の極意は「自分の力を常に磨くこと」に尽きるのではないだろうか。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、2016年に還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。

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