最近いろいろな報道で“経済安全保障”という言葉を目にすることが多くなった。

突然襲ってきた世界的なコロナ禍とその後表面化した半導体供給問題は、確かに直接的な因果関係が多少あるにしても、すでに世界構造に存在していたいろいろな問題が有機的に関連しながら増殖し、近年になって一気に表面化したような印象を持つ。

日本政府は安全保障上重要な産業や技術への監督を強化するため、「経済安全保障一括法」の制定に向け調整に入った。この動きは米国のバイデン政権が強力に進めている国家安全保障と経済をリンクさせた世界政策と大いに関係がある。トランプ前大統領はこの分野において、ファーウェイに対する禁輸措置、中国系ファンドの米半導体企業の買収計画阻止などいくつかの重要な措置をとったが、その際は常に“国家安全保障上の問題”という説明であった。その後のバイデン政権では“経済安全保障上の問題”と、その核心部分をより明確に打ち出した形である。これが対象とするのは、軍事転用可能な高度技術、5Gに代表される高速通信網技術、新型コロナワクチンなどを含む国家存続に重要な要素のサプライチェーン、デジタル通貨などの先端金融などの分野で、そのどれもが半導体と密接に関連するものである。

私としては、たまたま飛び込んだ半導体業界であったが、データ資本を基盤とする現代社会に生きる我々にとって、半導体がこれほど重要な分野となるだろうとはまるで想像もできなかった。今や半導体は安全保障上の最重要要件となっている。

困難が予想される国際的な大型買収、NVIDIAはArmを取り込めるか?

最近興味深い記事を読んだ。報道によれば、「NVIDIAのArm買収について英国政府が安全保障上のリスクを理由に阻止を検討している」という内容だ。

この大型買収については当初から各国当局の承認取得についていろいろなチャレンジが予想されたが、私は主に中国政府を意識していたが、英国政府当局の反応がこうして報道されたことにはいささか驚いた。技術覇権で角突き合わせる米中関連では、Qualcomm/NXPやLattice/Canyon Bridge Capitalなどの例にもある通り、この数年で買収計画が頓挫したケースが相次いだが、これらはすべて米中関連である。記事によれば、英国規制当局によって売却が阻止された場合、ソフトバンクグループはIPO(新規株式公開)を目指す公算が大きいらしい。Armが再び独立起業となる方向性につては、かつてArm創業に携わった幹部が政府に働きかけをしているという記事もあって、十分考えられるシナリオだ。NVIDIAはすでにArmコアのサーバー用CPU「GRACE」の開発を発表しており、CEOのJensen Huangはさぞかし調整に忙しいであろうと推測する。

大型買収と言えば、AMD/Xilinxの案件やIntelのIDM2.0関連の拡張にかかわる買収案件なども考えられ、今後の動きは目が離せない。

  • 経済安保

    経済安保の対象には軍事転用可能な半導体技術も含まれる(写真はイメージ)

ますます結束を高めるEUが半導体技術アライアンスを結成

EUから正式脱退した英国のArm買収阻止についての動きは意外であったが、EUの動きに関する興味深い報道もあった。

EUの動きは米国経済圏にある日本ではあまり報道される機会がないが、先進18か国が共通の利益に基づいて進めるEUの姿勢は、経済安全保障という分野では非常に有効であると考えられる。

今回の発表によれば、中心をプロセッサー技術と産業用クラウドのAI化に置いている。EUの本部が置かれるベルギーに本拠を構える国際研究機関imecは従来よりリソグラフィー、太陽電池、有機エレクトロニクスなどの先進分野で加盟各国の優秀なエンジニアが結集し非常に効率の良い研究開発を行っている。

私も北欧のかなり小規模な半導体ウェハメーカーで勤務した経験があって、EU各国の大小の企業が優秀なエンジニアを送りだし、ある研究テーマに向かって効率よく開発を進めるimecの実際/成果を目の当たりにしたことが何度もある。このスタンスは日本政府が経産省を中心に短期的に発動する政府主導のコンソーシアムとは本質的に違い、あくまでもアプリケーションレベルの実を獲ろうという実にビジネスに即した研究機関である。すべてのプロジェクトで研究目的が非常に明確で、それに見合うコストと期待される研究成果があらかじめ提示されるやり方をとっている。今回のEU発表のプロジェクトは下記のような2段構えである。

  • 2030年までに世界の半導体製造における欧州比率を10%から20%に引き上げることを目指す。その中心にあるのがプロセッサーの製造技術で、現状の16-10nmから5-2nmを可能とする製造技術を打ち立てる。imecはすでに2nmプロセス研究における成果も発表していて、このプロジェクトが単なる開発レベルから経済効果を意識したレベルに向かっていることが伺い知れる。
  • さらなるAI化を進めるために産業用クラウド/エッジの両方でその能力を高めるための国/企業を超えたアライアンスを打ち出した。そのアプリケーションは軍事/公共部門での高度なセキュリティーを高いパフォーマンスで実現するという。

最先端プロセッサーや大規模メモリーなどの分野ではかつての半導体メジャーブランドが姿を消したEUであるが、パワーやアナログなどの特色のある昔ながらの技術が脈々と継承され発展している。EUの半導体企業が持っている先進技術は今後の世界の半導体サプライチェーンの中で引き続き重要な役割を持っていくことは確実である。しかもTSMC、Samsung、Intelといったメジャー企業の工場誘致には多額の資金援助が予想される。今回のEUの発表には米国/中国の2大覇権に対峙するためのEUの強かさが感じられる

  • 経済安保

    EUは独自の強かな動きを見せる(写真はイメージ)

日本政府の経済安保対応は大丈夫か?

さて現在の日本の状況に目を向けてみると、経済安全保障云々よりも足元の優先度が高い問題が山積みである。

日本政府はコロナ禍や自然災害への対応で中長期的な問題にかまっている時間はないような状況ではあるが、経済戦略の要素として半導体は今まで以上にその戦略上の重要度は増している。

かつて1980年代に米国が技術覇権の脅威として認識したのは日本であるが、そのポジションは現在は中国が握っている。しかし米国の安全保障圏にある日本は極東地域での最重要地域であることは間違いない。報道では経産省がTSMCの工場誘致にかなり熱心であるらしい。断片的な情報に限られるので全体像は皆目わからないが、日本への工場誘致にはかなり思い切った資金提供をする覚悟が必要なことは明らかだ。1960年代、TI(テキサス・インスツルメンツ)が日本に工場を建設しようとした際に日本政府は「第2の黒船来襲」と認識し、その承認にいろいろな条件をつけて精力的な交渉を行った。それから半世紀以上を経た現在、多額の国家資金が発生する誘致には国益を充分に考えた思考法が必要なことには変わりはない。