幹部レベルの人材が入れ替わるAMDとIntel

AMDは次世代サーバーCPU「AMD Epyc7002 シリーズ」を発表して以降、データセンターの大手顧客を盛んに取り込もうとしている。

最大64コア/128スレッドという圧倒的な集積度のこのCPUは以前のZenアーキテクチャーにさらに改良を加えた「Romeコア」を使用し、TSMCの最先端7nmプロセスで製造される。いくつかのベンチマーク記事も出されているが、それを見る限りはスペック通りの圧倒的な性能であることがうかがえる。

[この新製品で勢いに乗るAMDが最近発表した幹部人事は大変に興味深い(]https://www.amd.com/en/press-releases/2020-01-16-amd-strengthens-senior-leadership-team)。この発表によるとAMDはこのサーバー用CPU新製品のデータセンター市場での成功を確固としたものにするために競合IntelからDaniel MacNamara氏を引き抜きAMDの高性能サーバー拡販を担当する上席副社長として据えた。

MacNamara氏の経歴を見ると、もともとはFPGAベンダのAlteraにいたが、IntelによるAltera買収によってIntelに移籍し、Intelではネットワークおよびカスタムロジック・グループの上席副社長の職に就いていたらしい。半導体では通算27年のキャリアということで、申し分のない職歴のエグゼクティブが競合関係にあるIntelからAMDに移ったというのはかなりインパクトがある発表である。FPGAのデータセンター・AI市場への進出はいよいよ盛んになっていて、MacNamara氏の豊富な経験とAMDの最先端サーバーCPUの組み合わせは牙城であるデータセンター市場を守るIntelにとってはかなり厄介なものであると想像する。

競合関係にあるAMDとIntelの間ではこの2-3年で幹部レベルの人材が移動している。その最たる例が2017年の暮れにAMDからIntelに転身したRaja Koduri氏である。Rajaの経歴はグラフィックプロセッサー開発そのものと言っていいだろう。S3社からATI社に移り、その後AMDのATI買収とともにAMDに移籍し、AMDのGPUビジネスの顔となった重要人物だ。そのRajaは「IntelでディスクリートGPUのビジネスを立ち上げるという使命を帯びてIntel移籍を決めた」と後のプレスとのインタビューで語っている

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    2006年、AMDはカナダのGPUメーカーであったATI社を買収した (著者所蔵イメージ)

この翌年、AMDにとってのもう1人の伝説的人物がIntelに移籍した。Jim Keller氏である。Kellerは1990年代にDEC(Digital Equipment Corp.)でフル64ビットCPUのAlphaシリーズの開発に関わっていた。その後AMDに移籍しAMDのサーバー市場への進出のきっかけを作った記念碑的な製品AMD Opteronの設計チームリーダーとしてIntelとの過酷な開発合戦を繰り広げた伝説的人物である。

KellerはAMDを辞した後、何社かを経てAppleに移籍しiPhone用のApple自社開発CPUの開発にも関わっている。その後AMDに一時復帰し、Zenアーキテクチャの開発にかかわったのちTeslaへ移っていたが、2018年4月にIntelに移籍した。

この2人のIntelへの移籍はAMDにとってはかなりの痛手だったのではないかと思われるが、今のところAMDの新製品とIntelの対抗製品の発表を見る限りでは、そのインパクトは顕著には表れていない。これからの動向が気になるところである。

組織に刺激を与える人事

シリコンバレーでの会社間での人の往来は日常茶飯事である。これらのダイナミックな人の交流がシリコンバレー全体の活力を生んでいる。私も24年間のAMDでの勤務中に大きな人の出入りを何度か経験した。

最初は創業者のジェリー・サンダースがCEO職を退いて、ヘクター・ルイズに権限委譲した時である。ヘクターがCEOになるとサンダース時代のキーパーソン達が次々とAMDを去って行った。代わって入ってきたのがヘクターの出身母体であるMotorolaの人々であった。幹部連中が一気にMotorola出身者で占められる様子を揶揄して当時シリコンバレーでは「AMD=Another Motorola Division」などと言われたものだ。サンダース時代からのAMD社員の間では「我々は絶滅危惧種だな」などと言い合った(私もその中にいたが、その後も何とか生き延びた)。

次の組織の大きな変革期はAMDがサーバー用のCPUであるOpteronを発表した時である。

OpteronはK8コアの64ビットCPUでありながら、32ビットで書かれた既存のソフトウェアも高速に処理することができるという特徴を持っていた。それまでx86サーバーCPUの市場を支配していたIntelが32ビットのIA-32と64ビットのIA-64でもってCPUの方式を分断するという強引な戦略に出たところに、32ビット・64ビット両方をサポートするハードウェアでAMDが真っ向勝負するという展開になった。

Linux陣営は早々とAMDのサポートを表明し、Intelと一心同体であったMicrosoftもAMD方式のAMD64のサポートを表明するに至って、市場は実績はないが理にかなっているAMD方式の支持へと急速に移って行った。

ここでAMDの人事が大きな舵を切った。サーバー用CPUのグループを中心に、それまで伝統的な半導体ビジネスの経験者で占められていた営業・マーケティングチームの構造改革を開始した。いきなりIBM、HP、Dellなどから引き抜かれた人材がどかどかと入ってきて要職に就いた。サーバー用のCPUを売るためにはサーバーのハードウェアだけではなく、ソフトウェアを含むIT部門全体の要件がわかる人材が必要だということだ。

それまで企業系ソフトウェアは自社のIT部門の人間に任せておけばよかった。ところが、お客への売り込み用プレゼンには基幹ソフトからアプリケーションに至るまで聞きなれないIT用語がやたらとちりばめられるようになり私はかなり難儀した。今までユーザーとしての理解でしかなかったIT分野が営業・マーケティングの中心的な話題となった。

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    AMD OpteronはAMDがサーバー市場に本格参入するきっかけを作った (著者所蔵イメージ)

ITの世界から半導体ビジネスに入ってきたこれらの人々はかなり経験豊富な優秀な人材で、それまで伝統的な半導体屋の集まりであったAMDに新たなアイディアをもたらし、AMDがOpteronで企業のIT分野に進出する際の大きな力となった。私にとっても非常に新鮮な経験で、かなり勉強させてもらった。しかし、彼らの多くは半導体の基本的な知識をほとんど持ち合わせていなかったことも事実である。

ある時、需要が急増してセラミック・パッケージの封止材が不足するといった事態が発生したことがあった。ある営業会議でお客がオーダーした製品がなかなか入ってこない事態に業を煮やしたある営業系の幹部が「なんでパッケージのようなものが不足するんだ?」と憤慨した声をあげたので私が説明しようとしたがどうも話がかみ合わない。よくよく話してみて分かったのは彼が"パッケージ"として理解していたのは製品梱包用の段ボールのパッケージのことだと思っていたらしい。これには私も驚きその後「半導体製造についての基本講座」なるものを何度かやった覚えがある。

結局この時の経験は私にとっては大変に有益なものとなった。均一的で硬直してしまった組織に新しい風を入れることは組織の活性化には必要不可欠なものであると思う。シリコンバレーでは今も忙しく人々が交流し、新たなアイディアを交換し合っている。こうしたダイナミックな人の交流がシリコンバレー企業の活力を生んでいることは間違いない。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、2016年に還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。

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