写真集は写真の並べ方ひとつで見え方が大きく変わってくる。そのため写真集には、装丁やレイアウトを担当するデザイナーや、写真をまとめ上げる編集者の存在は必要だろう。テーマ「写真集」の第3回は、これらスタッフの重要さと、カラー写真の登場について併せて解説いただいた。

写真集におけるグラフィック・デザイナーの役割

佐内正史のデビュー写真集『生きている』。デザイナーは町口覚

良い写真集を作るには、写真家のほかに良い編集者と良いデザイナーという存在が必要なんだ。写真集を作るのは共同作業であって、写真家1人だけで作り上げるのは難しいと思う。確かに1人でやってしまう人もいるけど、良い編集者とデザイナーの存在が写真集に力を与えることは間違いない。とくに装丁やレイアウトを担当するグラフィック・デザイナーが果たす役割は重要だよ。写真がそろっていても、それらをどのように配置していくかで、写真集の出来栄えは大きく変わってくるからね。見開きに何枚の写真を配置するか? 写真は裁ち落としにするか? 余白はどういれるか? タイトルやキャプションのフォントや入れ方や表紙の写真の選択、装丁や版形など、決めなくてはいけないことは、山ほどある。それらは写真家とデザイ ナーが話し合いながら、最善だと思われるやり方を決めるんだけど、デザイナーの技術とセンス次第で出来上がりに大きな差が生まれてしまう。

写真家は、自分が撮った写真には強い思い入れがあるので、大きく扱って欲しい写真や、並べ方のこだわりもあるだろう。しかしデザイナーからすれば、受けにくい要求だってあると思うんだ。デザイナーは写真家が撮った作品の最初の客観的な批評者だともいえる。そのため2人の意見がまとまらず、写真集を作る作業が進まないということもよくある話だ。基本的に僕は、写真集のデザインは写真がよく見えるように、デザインが出しゃばらないほうが良いと思っている。個性的すぎるデザインは写真の良さが見えにくくなってしまうからね。だからデザイナーは裏方に徹したほうがいいと思うけど、写真家とグラフィック・デザイナーがお互いの主張の火花を散らしながら歩み寄って作ったものは、思いも寄らないような面白いものができることもあるんだよ。写真集を見るとき、奥付や表紙の裏のデザイナーの名前を確認してみるのも面白い。自分が良いと思った写真集が、じつは同じデザイナーだったということもよくあることだよ。

写真集の制作において、グラフィック・デザイナーが関わったことで成功した例としては、杉浦康平のデザインがその代表だと思うんだよね。杉浦庚平は、川田喜久治の『地図』や、ロバート・フランクの『私の手の詩』、高梨豊の『都市へ』のデザインを手がけているんだけど、あそこまでデザインを過剰にやり切ってしまうとかえって気持ちがいい。逆に中途半端にやってしまうと、見にくかったり写真の世界に入り込めなかったりする。

グラフィック・デザイナーにとって大切なことは、写真家とパートナーシップを成立できることだね。写真家と激しく言い合えるぐらい信頼関係を築き、バランスが取れていると、すごく生産的な関係になれるよ。写真家の力とデザイナーの力は、足し算でなくてかけ算なんだ。

10年以上前の話だけど、1997年に佐内正史と町口覚とで作った『生きている』(青幻舎)は、写真家とデザイナーの信頼関係によってできあがった名作だと思う。僕は当時、佐内と町口によく会っていた時期だったから知っているんだけど、写真集を作っていく過程を見ていてすごい面白かった。2人ともすごく楽しそうにやっていて、まるで暗号のような2人だけしか通じない感覚でやり合っていたんだ。聞いていてよく意味がわからなかったけど、「角度」なんていう言葉を使っていたのを覚えている。鋭角的な写真と、そうじゃない写真があるのかな。2人は真剣に写真について話しているんだよ。言葉を超えて通じてしまう世界が写真家とデザイナーにはあるんじゃないのかな。『生きている』はいま見てもおもしろい写真集で、あれはもちろん佐内の写真集だけど、同時に町口の写真集でもあるんだ。

ストーリー型の典型『セーヌ左岸の恋』より。ストーリー型は、物語の流れにあわせ、写真の大きさが伸び縮みし、テキストを組み合わせることもある

図鑑型の典型『ONE』より。写真を等価に扱い、同じ大きさ、レイアウトで並べていく

群写真型の典型『ニューヨーク』より。前後の写真に関連性はなく、写真の大きさや余白もバラバラで、並べ方の予想がつかない。写真集がひとつの塊として見えてくる

ストレートな現実を写し出すカラー写真の登場

今では、カラー写真が当たり前だけども、昔の写真作品はモノクロ写真で作ることが普通だった。少しカラー写真の登場についても触れておこう。

カラー写真は戦前からあったんだけども、技術が不安定で褪色などの問題から作品を作るには適さないとされていた。しかし70年代に入ると、作品でも使用できるくらい技術が安定する。色という新しい武器が加わることで、カラー写真の感情を刺激していくような力というか、物質の空気感をリアルに写し出すカラーの力をどう使うのかといった模索が始まる。そしてカラー写真を積極的に作品に取り入れていくニューカラーの人たちが現れはじめるんだ。

1976年に刊行されたウィリアム・エグルストンの『ウィリアム・エグルストンズ・ガイド』(William Eggleston's Guide)は、カラー写真を作品に使った写真集として注目するべきだね。『ウィリアム・エグルストン・ガイド』は、カラー写真による展示として、ニューヨーク近代美術館で最初に開催された展覧会のカタログでもある。エグルストンはネガ・カラーフィルムによるプリントを使用した最初の写真家の1人なんだ。色味を強調することなく、現実をストレートに描写しようとした。彼のスタイルは多くの写真家に共感を呼び、この展覧会をきっかけにカラー写真を発表する作家が増えていった。

エグルストン自身がメンフィス出身なんだけど、『ウィリアム・エグルストンズ・ガイド』はアメリカ南部の風土に対する彼自身のメンタリティーというか、私写真的なものだといえる。写真の配置は、淡々と並んでいて1枚1枚の関わり合いはないね。ただよく見ると、微妙な流れがある。これは『アメリカン・フォトグラフス』に繋がる系譜だよ。『アメリカン・フォトグラフス』が1930年代のアメリカで、ロバート・フランクの『アメリカ人』が1950年代のアメリカで、ウィリアム・エグルストンが1960年代から70年代ぐらいまでのアメリカを表している。アメリカの写真家達は自分たちの国や風土を写真を使って見直していくんだ。それが時代によって、個性的な違ったアプローチになっていくんだ。

80年代くらいから、印刷原稿がポジ原稿からネガを使ったプリント原稿になる。それにより写真の見え方は違ってくるんだ。前はくっきり見えていればいいだけだったんだけど、プリントで取り込むと印刷技術の関係もあって、どこかノイズを取り込むような感じの仕上がりになることが多かった。シャープネス一点張りでない写真のあり方がこのころから出てきて、その影響が現代まで続いているような気がするね。

ウィリアム・エグルストン 『ウィリアム・エグルストンズ・ガイド』。カラー写真による展示として、ニューヨーク近代美術館で最初に開催された展覧会のカタログ。カラー写真で作品を作るきっかけを作った

サリー・オークレア(編) 『ザ・ニューカラー・フォトグラフィー』。キュレーターのサリー・オークレアが、カラー写真を使う写真家に焦点をあてた同名の展覧会を1981年に開催。この展覧会は「ニューカラー」と呼ばれる写真表現の起点になった

飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)

写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程 修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『都市の視線 増補』(平凡社)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)など著書多数。「キヤノン写真新世紀」などの公募展の審査員や、学校講師、写真展の企画など多方面で活躍している。

まとめ:加藤真貴子 (WINDY Co.)