今回から、いわゆるxR技術の、軍事分野における活用を取り上げてみる。さすがに、生死がかかった実戦の場にいきなり持ち込むようなチャレンジャーな話はなくて、もっぱら訓練などの分野で使われている点は示唆に富んでいるかもしれない。1回目のお題は、仮想現実(VR : Virtual Reality)。

パラシュート降下訓練にVR

もうずいぶん昔の話だが、いわゆる「体験取材」で陸上自衛隊の朝霞駐屯地にお邪魔したことがある。その取材メニューの中に、いわゆるリペリング降下の体験というのがあった。

これはヘリコプターからロープを使って地上に降りるものだが、まさかいきなり本物のヘリコプターを使うわけにも行かないので、地上に設置した訓練用の鉄塔を使う。高さは11メートルぐらいだったか、「人間が最も恐怖を感じる高さ」だと聞いた記憶がある。

もちろん、訓練用の鉄塔でもやり方を間違えれば怪我をする。勢いよく飛び出すと、反動で振られて身体が鉄塔に衝突してしまうので、後ろ向きに、踵から滑り降りるようにするのだと教えられた。

  • ヘリからロープを伝って降りるのは簡単ではないので、最初は地上の鉄塔で訓練する 撮影:井上孝司

    ヘリからロープを伝って降りるのは簡単ではないので、最初は地上の鉄塔で訓練する

リペリングやファストロープはロープを使うが、もっと難しいものでパラシュート降下がある。習志野の陸上自衛隊・第1空挺団が表芸にしている、あれだ。これもやはり、本物の飛行機から飛び降りられるようになるまでには、十分な事前の訓練を必要とする。習志野にはそのための鉄塔があって、先日に河野防衛相がそこから飛び降りていた。

そこにVRを持ち込んだのがイギリス陸軍で、もう10年ぐらい前の話になる。ブライズ・ノートン空軍基地にあるパラシュート降下訓練施設に設置するもので、ペナント・トレーニング・システムズ(Pennant Training Systems Ltd.)という会社に8セットを30万ポンドで発注したのが2010年3月のこと。

訓練生は金属フレームからハーネスで吊るされた状態で、VRゴーグルをつけて、仮想空間上で “ジャンプ” する。その際に教官が、さまざまな気象条件や昼夜の違いなどを設定する仕組み。仮想環境だから、昼間でも夜間でも、晴天でも雨天でも設定できる理屈。

それだけでなく、間違った降下をシミュレートしたり、訓練生の能力をモニターしたり、デジタル・ビデオ記録によってフィードバックをしたり、といったこともできる。仮想環境のメリットで、失敗しても怪我はしない。教官に絞られて訓練をやり直す程度の話で済む。いや、場合によっては課程に落第するかもしれないけれど。

操艦指揮の訓練にVR

あまりポピュラーな言い方ではないが、シミュレータのことを「合成訓練装置」と呼ぶことがある。昨今ではモーション装置やビジュアル装置を駆使して忠実度の高いシミュレーション環境を構築しているが、そこにVRを持ち込めば、よりリアルになるのではないか。ということを考える人が出るのは当然の流れ。

それを実際にやったのが、オーストラリア海軍。ニューサウスウェールズ州のシドニー近隣にあるワトソン基地(HMAS Watson)で、下級士官を対象として訓練を施す新施設を2011年3月に開設した。そこで投入したのは、1,000万豪ドルの費用を投じた艦橋シミュレータ。

艦艇の場合、士官は速力や操舵の指示を出すだけで、実際に舵や速力通信機を操るのは担当の下士官兵という図式になっている。だから、この新施設は操艦を訓練するためのシミュレータではなく、厳密にいえば操艦指揮を訓練するためのシミュレータである。

このシミュレータにはVR技術を持ち込んでおり、240度の範囲について艦橋からの視界を再現して、操艦指揮の訓練を行えるようになっている。フル装備のFMS(Full-Mission Simulator)が2基と、一部の機能を切り出して訓練できるようにしたPTS(Part-Task Simulator)が4基という布陣で、同時に6チーム、あるいは6種類のシナリオで訓練を行えるとされる。

一言で艦艇の操艦といっても、その内容は単純ではない。まず、商船と違って複数の艦が陣形を組んで走るのが常だから、陣形を維持したり、命令一下、陣形をサッと変換したり、といった技量が求められる(その一端を部外者が垣間見られる数少ない機会が、海上自衛隊の観艦式である)。

  • 2009年の観艦式にて。2列の縦陣を組んで航行してきた艦が、それぞれ180度回頭して針路を変換している最中の撮影。前を行く艦の航跡に乗せて同じように回頭するのは簡単ではない 撮影:井上孝司

    2009年の観艦式にて。2列の縦陣を組んで航行してきた艦が、それぞれ180度回頭して針路を変換している最中の撮影。前を行く艦の航跡に乗せて同じように回頭するのは簡単ではない

また、フネによっては海岸沿いの浅瀬に乗り上げたり、そこから引き払ったりといった操艦も必要になる。訓練の対象になっているかどうかは知らないが、わざと自艦を敵艦にぶつけたり、逆にギリギリまで寄せるけれどもぶつけずに済ませたり、といった実例もある。

閑話休題。その多種多様な操艦を行うには、自艦と他の艦船の位置関係や針路・速力を正しく把握するとともに、適切な指示を出さなければならない。それを訓練するには、できるだけリアルな訓練環境が欲しいから、VRを活用してみました、ということだろう。

著者プロフィール

井上孝司


鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。