つい最近Switch 2の発売が発表されたかと思えば、もう6月に発売らしい。
これは老特有の時間感覚の雑さから起こる錯覚ではなく、実際に展開が早いと思う。
さすが世界の任天堂。「制作中」のまま10年が経過しある日公式サイトが消える企画とはワケが違うし、無駄なもったいつけと数量絞りで転売をのさばらせたりもしない。
欲しい人間全員にいきわたる準備は出来ているので、焦らず正規ルートによる適正価格で購入してくれという頼もしさを感じるが、その定価が「¥49,800」であり、私が小学生時代にSwitch 2を手に入れようとしたら、誕生日クリスマスお年玉を全ツッパした上での3年計画になるのだが、スペックからすると相当企業努力しているようで、高いと言っている人はあまり見ない。
だが、それからほどなくして起こった別国の大統領のナニカにより日本株は皆殺しになったため、恐慌とはSwitch 2を繰り出してきた任天堂すらお構いなしであると、言葉ではなく魂で経済を知ることができた。
しかし、それはわざわざ持ってない任天堂株に教えてもらわなくても、コロナごろからコツコツやってきた私の証券口座資産の下がり方を見ればわかる。もはや文字が読めなくても図と色を見ただけでわかる。
そんなわけで今の私はどんな声をかけても「何をやっても今回の損失は取り返せないからどうでもいい」しか言わない世界一ウザいbotなので、見かけたら逃げるか、余裕のある人は100円玉を額に投げつけてから逃げて欲しい。
ちなみに、影響を受けているのは日本だけではなく、10万円で購入したトルコリラは3万8千円になっている。
これに対し「悲報! トルコリラ完全死亡!」などというトピックも出たようだが、人様の国を勝手に殺すべきではないし、日本だって外から見れば相当死んでいるだろう。
それにこの反応は完全にトルコリラにわかのものだ。あたかもトルコリラが突然死んだかのように言っているが、トルコリラは前々から死に続けており、日経平均の暴落に比べれば驚くほどの下がり方はしていないのである。
そもそも私がトルコリラの話をよくするのも、笑い話として人に話せる範囲だからだ。その下には笑えない話や、逆に人を心から笑顔にする額の損失あるのだ。
ネットに出回っているような損した話は全然上澄みと思った方がよい。結局ネットしか情報源がない人間は本物の蜜は吸えないのである。
つまり、人の不幸でしか笑えない人間が増えている中で、ゲームという誰も傷つけない方法で多くの人間を笑顔にしようとしている任天堂他、ゲームメーカーは偉いということだ。
しかし、幼少期より笑顔を人一倍SDGsしてきたタイプの唯一の拠り所であったゲームすら、ある時期を境に笑えない要素が増えてきた。
Switch 2の新機能も次々と公開され、全世界を興奮させているが、特に目玉となったボイスチャット機能の「ゲームチャット」など、「友人」という架空生物の存在ありきになりすぎてないか、という指摘もある。
もちろん、友人がいなければクリアできないという非人道的すぎてソフ倫を通らないゲームはないだろうが、最近は、友人がいないと遊べないコンテンツや、複数プレイじゃないと真価を発揮できないようなゲームが増えてきたように思える。
そもそも、友人がいない我々の数少ない楽しみであったゲームを友人なしでは楽しめないようにしてどうするとも思うが、「俺たち陰キャのものだったゲームに陽キャが侵入してきた」と、すぐにコンテンツを私有化しようとするのが、友人がいない原因の一つだということもわかってきた。
しかし、友人とプレイをしなければSwitch 2の機能が持ち腐れになるというなら、¥49,800が割高に感じられるという問題はある。
よってSwitch 3では「友人」が同梱されるのではないか、という意見もある。
確かに今までユーザーの声にこたえ続けて来た任天堂だ。ない話ではない。
しかし体育教師向けの雑誌内で「体育が苦手な子でも体育を楽しめるようにしたい」という体育教師に対し、「その発想自体が体育を楽しめない子はかわいそうという傲慢の表れだ」とガチギレたヒャダインさんの雄姿を忘れないで欲しい。
確かに友人がいない人間は複数プレイ前提のゲームを楽しむことはできず、そのようなゲームを苦々しく思っていたりはするが、必ずしもその仲間に入れてもらいたと思っているわけではないし、そもそも友達が欲しいと思っているわけでもなかったりする。
そういうタイプはパーティーゲームに唾を吐きつつも自分は自分で、一人で永遠に石を積んだり崩したりできる賽の河原ゲームに興じて満足していたりもする。
そんな人間に対し、パーティーゲームを楽しめないのはかわいそうなのでこっちで友人を用意しましたというのは余計なお世話でしかない可能性がある。
体育ができない子に対しては「構わない」が最善であるように、一緒にゲームをする相手がいない人間もほっとけば一人でできるゲームを勝手にやるので気を使う必要はない。
逆に、こっちもやる気もなければ興味もない複数プレイに対しいちいち文句を言うのをやめなければいけないとも思っている。