オーストラリアが世界初、SNSは青少年の心を蝕むとして、16歳未満のSNS使用を禁じる法案を可決したという。
禁止されたのは「スナップチャットやティックトック、フェイスブック、インスタグラム、レディット、X」などである。
かなりの強硬策であり、我が国香川のゲーム禁止条例に通じるディストピアを感じなくもない。
しかしXをやっていて「誰かおすすめ欄を永遠にスクロールする俺の指を折ってくれないかな?」と思うことはある。
歯で言えばすでに神経を抜いている中年の心ですらSNSを見ていると蝕まれるのだ。まだエナメル質が美しい青少年の心を、こんな胃酸みたいな場所に長時間浸けるべきではないというのもうなずける。
そもそも子どものSNSって管理できるものなのか?
SNS使用ルールは各ご家庭で定めるべきであり、お国が口をだすことではないように思うが、親が子どものSNS使用をコントロールするのはゲームよりも難しいだろう。
スマホは確かにありとあらゆる害悪と接触できる上に時間が無限に溶けていく地獄のプラットホームだ。しかし連絡手段としてこれ以上の物はないし、社会システムがスマホありきになりつつある今、16歳までスマホを持たせないというのは難しく、持ってしまったからにはSNSもやってしまうだろう。
ゲーム機のように、所定時間だけスマホを与えるという手もあるが、携帯してこその携帯電話である。
携帯を携帯しないため、緊急連絡を取ろうとしてもテーブルに置かれた携帯が一生鳴り続けるだけというのは70歳以上の老親がやることだ。没収すると肝心な時に困る場合もある。
フィルターソフトなどでSNS使用を制限することもできるのかもしれないが、デジタルツールに関しては親より子どもが先んじる場合も多く、何とか使ってしまいそうな気もする。というか実際に使ってしまって事件になったりもしている。
保護者が子どものSNS使用をコントロールできないなら、法律で禁止しても無意味であり、本気で守らせようとしたら「傷害」や「監禁」など別の法律違反の可能性が出てくるし、そもそも保護者の負担が大きすぎるように見える。
しかし今回話題のこの禁止法は子どもや保護者に対してではなく、SNSサービスを提供する会社に対してのものだ。
企業は16歳未満の者がSNSを使用できないように「合理的措置」を講じ、それを怠った場合5000万オーストラリアドルの罰金が科せられるという。
5000万オーストラリアドルは日本円で約「50億円」だそうだ。
このような数字を真顔で出されるほどSNSの利用者は多く、それを提供する会社は儲かっているということだ。
詐欺を取り締まらないメルカリの炎上やデマ口コミを放置するグーグルへの訴訟など、サービスの悪用者だけではなく、サービスを提供する側にも責任を問う流れが増えているように感じる。
使ったとしても罰せられるのはSNS側で、子どもやその保護者は無罪とすると、ますます子どもは使ってしまいそうな気がするし、それだと企業側が困る。
よって今後SNSの使用規約に「年齢を偽って使用した場合損害賠償を求める」などが追加され、結局親が大変なことになりそうだが、それに対し「子どもが年齢を偽り使用できたのは企業が合理的措置を怠ったため」という訴えが起こるかもしれない。これは応仁の乱以来の長い戦いになりそうだ。
ファミコン禁止だった氷河期世代の末路みたいにならないといいね
もちろんSNS規制に対しては、言論や表現の自由を理由に反対意見も多い。
選挙掲示板にエロ写真を貼ったN党も表現の自由と言っていたので、表現の自由を理由にすると逆に分が悪くなりつつあるが、それはそれとして「コミュニケーションの妨げになる」という意見も多い。
「日本の中高生が一番使っているSNSは何か」という問いに「若者はtiktokでしょ、知ってる」と自信満々で言い、「LINE」という答えに「それをSNSに入れるのは反則だろ」と本気で中学生に食って掛かるまでが正しい日本中年のムーブである。
我々日本中年にとってネットやSNSは、顔も名前も知らないけれど性癖だけは知っている人と交流するツールであり、むしろリアルの人間に知られたら垢消し逃亡がデフォルトだが、デジタルネイティブな中高生にとってSNSというのはリア友との交流ツールであり、それがなくなるのは困る、ということなのかもしれない。
しかし、LINEは規制対象ではないし、リア友も全員そのSNSを使えないなら同じことかもしれない。
むしろSNSのグループに入れてもらえない側としては全員使えない方が気が楽であり、実際SNSを使った仲間外れやいじめを防止するのもこの法律の目的だ。
そもそも、とても中高生に使わせられないR15ツールになるまで放置したのが問題であり、禁止される前に治安維持対策をしなかった企業側の怠慢のせいという声もある。
しかし、SNSやネットが青少年に害を与える可能性があることは否定できないが、それが急に取り上げられることでとどめを刺されてしまう子どもがいるのではという心配もある。
学校にも行かず、ひきこもり状態で、ネットとゲームだけが外部や他人とのつながりという子どももいる。
ネットとゲームがあるからひきこもっているのではとも言われるが、それを取り上げたり目の前で破壊することにより、「わかった、学校に行ってサッカー部に入る」とはならない気がするし、余計心を閉ざすような気もする。
薬には副作用があり、飲まずに済むならそれに越したことはないが、それを飲まなきゃ死ぬ場合もある。
ネットとリアル、区別するものじゃなくなっているのかも
ネットやSNSは有害成分を含んでいる、しかしそれが拠り所になっている者から強制的に奪うことが正しいとは言い切れないところがある。
Xにも「趣味は死体を使ってのサッカー」というネクロフットボーラーが多数在籍しているのは事実であり、弱っている人に対して見ず知らずの人間がさらに辛辣なことを言ってくる場合もある。
しかし、何故そんな死体遊技場に果敢に弱音や愚痴を書きこむ人がいるかというと、リアルではそれを聞いてくれる人がいないし、寄り添ってくれる人もいないからだったりする。
そんな無縁仏にそっと毛布をかけてくれる見ず知らずの人がいるのもSNSなのだ。