テレビはオワコン、これからはネット、と言われて30年ぐらい経った。

私もテレビではなくネットばかり見ている人間だが、正直テレビの影響力はまだまだネット以上だと思っていた。

実際、ネット上でだけ話題になっているようなニュースは一歩外に出ると誰も知らなかったりするし、Xのおすすめ欄では連日知らない人同士がケンカしているが、現世で知らない人同士が殴り合いをはじめ、それに知らない人が次々参戦していくスマブラは見たことがない。

逆に言えば、みんなここまで不平不満、暴力性を持っているのに外ではそれを出さず、人を殴らず暮らしているのだからすごい。

ちいかわぐらいになってやっと話が通じるレベルであり、それすらあの小さくてかわいい生き物の集合体を「ちいかわ」だと認識しているため「ワレさんがさ…」と固有名を出した途端「何言ってんだコイツ」という顔をされたりするのだが、それはハチワレをそんな呼び方する方も悪いのだ。

よってネット内だけではなく、テレビでも報道されているのが真の全国ニュースであり、影響力、そして信憑性もテレビの方がまだ高いと思われている、と思っていたが、それ自体が古い考えになりつつあるようだ。

誰かが切り取った情報 vs 嘘も真もあらゆる情報

情報元としてのテレビの時代は終わったと、改めて言われるようになったきっかけは斎藤兵庫県知事の再当選である。

  • 誰が言ったか知らないが、言われてみればオールドメディア

    「オールド・ルーキー」は高校教師が35歳からメジャーリーガーを目指す姿に超感動しましたし、サントリーの「オールド」はおいしいし、オールドだからって悪いことばかりじゃないですよね

斎藤県知事のパワハラ問題からの辞任、そして出直し選挙はテレビでもネットでも話題のニュースだったが、テレビとネットの報道の仕方は随分違ったようである。

私は兵庫県民ではないので、積極的に斎藤問題情報を仕入れようとは思っていなかったが、たまたま夕飯時のテレビニュースで、斎藤知事がパワハラに関して喚問を受けている様を長尺で見る機会があった。

ニュースの中では、斎藤知事の常軌を逸したパワハラの数々が紹介され、それに対して斎藤知事が「こちらとしては撫でただけのつもりだったが、相手の頭が爆散していた」という旨の言い訳をする様が繰り返されていた。

今思えば、何故こんな映像を見ながら飯を食おうと思ったのか、米や野菜を作ってくれた生産者や肉を提供してくれたお動物の方々に申し訳が立たない。

おそらくこのニュースを見たほとんどの人間は、このような悪気があってもなくても怖い人を知事にしてはいけないと感じただろう。

私もそう思い、辞めた時はそれはそうだろうと思ったし、出直し選挙に出馬すると知った時には「いよいよ怖い」と感じていたので、再選したと聞いた時には驚いた側である。

だが確かに、SNSなどのネット上ではパワハラはでっち上げであり、斎藤知事はハメられただけという言説が飛び交い、斎藤知事を応援する声も多かった。

むしろ、半世紀近くテレビ以前に現実を見ず、ネットばかり見ていた私がネット情報を信じず、たまたま見たテレビニュースの方が正しいと思っていたことの方が「誰も信じず誰からも愛されない人間」という感じがして恐ろしい、青い鳥は意外と近くにいるし、本当のモンスターは自分なのだ。

つまり、斎藤県知事の再戦は県民がテレビなどの「オールドメディア」を盲信せず、ネット情報を重要視するようになった、という証拠ということらしい。

ちなみに現在のネットは、斎藤知事が選挙にPR会社を使っており、それが選挙法に違反するという話題で盛り上がっている。

これが斎藤知事の進退に関わってくるとしたら、斎藤知事は知事としてはともかく、自らの身を持って現代のネット情報の位置づけを実験した研究者としては評価されていいと思う。

正しさは自ら判断する、冨岡義勇も似たようなことを言ってた気がする

ただ「県民はオールドメディアではなくネットの情報で判断した」という情報も、テレビやネットで得たものであり、本当にそんな安易な理由なのかは不明である。

もしかしたら「斎藤県知事が戻ってきたら県職員たちどんな顔をするだろう?」という、オカムライズムとサディズムの融合で投票した奴が8割という可能性もある。

真実を知ろうと思ったら、現地に赴き、斎藤知事に投票した人全員に投票理由を聞いて回るしかないのだが、おそらく往来でそれをやると8人目あたりで国家権力からストップがかかるだろう。

本当のことを知るためには「自分の目で見る」のが一番だが、全てを自分で確かめるのは不可能である。

よって、ニュースなど、他人が発信する情報を信じるしかないのだが、その情報量が膨大かつ多岐に渡るようになったため、我々は情報を見極める能力を問われるようになった。

情報が大本営発表しかなく、それが大体嘘という時代に比べれば、情報を自分で取捨選択できるだけましなのかもしれない。

しかし、少なくとも情報機関は正しい情報を発信する義務があろうに、何故かいつの間にかこちらが試される側になり、嘘を見抜けない側が悪いみたいになっているのも腑に落ちない。

問われるべきなのは、こちらの情報リテラシーではなく、まずはメディア側のリテラシーだろう。

だが、ネットや拡散力が強いSNSの登場により、もはやメディアだけではなく、一般個人ですら情報の発信元になれる時代である。

大手メディアより、誰だかわからない個人が発信する情報を信用するなんてどうかしているようにも思えるが、何せ大本営を発表していた時代もあったのだ。NHKが言っていることよりも、フォロー二桁のアカウントがいう陰謀論が正しい可能性もゼロではない。

正直何を信じていいのかわからない世の中だが、そうやって思考停止になるのが一番ダメなのだろう。

そして嘘か本当か見極める前に、そもそもそれが時間と思考を使うべき情報なのか見極める必要があるのかもしれない。

確かに県知事選は重要な問題かもしれないが、私は兵庫県民ではないのだ。他にも考えるべきことはたくさんあるような気がする。