日本は努力を尊ぶ国である。

それは良いが、尊ぶあまり、努力を超えて「苦労」果ては「痛み」まで有益なものだとしている感がある。

個人が自らに痛みを与えて悦を得るのは「プレイ」の一言で済む話なのだが、「無痛分娩をすることにした」というつぶやきに、全く知らない人から「果たしてそれで子供に対して愛情が湧くのでしょうか」とリプがついてしまうなど、強要や、結果よりも過程で苦労や苦痛を受けているか否かを重要視してしまっていることもある。

苦労が好きということは、逆に「楽が許されない」ということでもある。

「若いころの苦労は買ってでもしろ」という言葉が真顔で提唱されている時点でかなり不穏なのだが、若い時の苦労した分、大人になってからは楽をして良いかというと、普通に楽をすると怒られるので、あえて若いころにしなくても良い苦労をする必要はない気がする。

むしろ若いころ努力という意味での苦労をしない方が、大人になってから苦労をタダでいただけるので得である。

だが楽よりもさらに許されないのが「不真面目」「ズル」「サボり」である。

確かにこれらは悪いことだが、蟻ですら一定数サボる個体が混じるというのだから、昆虫よりも遥かに邪悪な人間の中にそれを発生させないのは不可能といっていいだろう。

しかし、皆が真面目にやっている中、サボり倒し、あたかも真面目にやっているフリをして評価や給料を得ている輩は害悪でしかない。即刻発見し是正、場合によっては処罰も辞さない姿勢でいくべきだ。

そんな気持ちが強すぎたのか、コロナが蔓延しリモートワークが普及しはじめたころ、リモートワークシステムと同時に「社員の離席時間管理」や「マウスが一定期間動いてないと通知する機能」など「リモートワークに乗じてサボる奴絶許システム」が次々に開発され「管理社会」「ディストピア」と、国内外をドン引きさせてしまっていた。

だが、この度もっと直接的な管理システムが「学校」に導入され、大きな物議を起こした。

そのシステムとは、「脈拍」を測るリストバンド型の端末であり、それを生徒に装着させ、脈拍数から授業への「集中度」を見ることができるという。

脈を取られ監視管理さらに記録されるというのは、もはや何らかの基本的人権の尊重に抵触してしまっているのではとさえ思うが、一応保護者にも個人情報には重々配慮する旨など説明し、了承を得た上で行っているそうだ。

この報道に対しては「怖い」という率直な感想、それより教室や体育館の冷暖房完備など、もっと先に費用を使うべきところがあるのではないか、など批判的な意見が大半を占めたそうだ。

ただ、脈を取り、単純に「集中度」が低い生徒に「集中しろ」と注意するというわけでもないようである。

集中度に関しては、発達障害など、本人のやる気ではどうにもならない特性により低くなってしまう生徒もいる。そのような生徒が授業のたびに注意されてしまっては、最悪学校に来なくなってしまうだろう。

それよりも、全体の集中度を見て、生徒が興味を持った点はどこか分析したり、集中力が下がっている生徒の様子を見て、手持無沙汰になっているようなら追加で課題を出したり、逆に成績が良い生徒は普通の授業に物足りなさを感じて集中力がなくなっているので対応を考えるなどに役立てるらしい。

「集中度」は嘘をつかないけど、取り扱いはかなり難しそう

  • 「集中度」という「自力でコントロールできない数値」を見られることがストレスになる人もいるかも

初出で「『聞いてるふり』は通じない?集中しない生徒をリアルタイムで把握」など刺激的な見出しをつけられた記事が多かったため、「聞いているフリをしている生徒をあぶり出し、その場で断罪するためのシステム」というイメージになってしまったが、どちらかというと生徒の管理ではなく、教師が生徒たちにとって集中できる授業を行うために役立てる方針のようだ。

だがそのためには教師が生徒の集中度を分析しなければならず、生徒よりただでさえ忙しい教師の負担増になるという懸念もあるようだ。

ただし、脈と取られ、自分の無意識部分まで見られること自体を「怖い」と感じている生徒もいるようなので、やはり「やりすぎ感」は否めないだろう。

また、脈は自分でコントロールできないため「嘘をつかない」としても、集中度の数値だけで全てを判断するのも危険である。

集中度だけで判断すると、教師の注意は主に集中度が低い生徒の方に向いてしまい、高い生徒は「優等生」としてノーマークになってしまいがちになるだろう。

しかし中には、授業への集中度は極めて高いのに、成績が地獄のように低い生徒もいるだろうし、そちらも何らか対策をしなければ「俺は本気出してもダメ」という無力感を植え付けることになってしまう。

また生徒の集中度によって教師を判断するのも危ない。生徒の集中度が一番高まったのは雑談として「ポケモンの話をしていた時」という結果が出ているようなので、単純に集中度をあげるだけならずっと猥談をしていれば良いという話になってしまう。

学校側もこの集中度を個人評価には使わないと言っているので、判断ではなく「参考」レベルに留めておいた方がよいだろう。

ちなみに「子供ではなくまず国会に使え」という意見も出たようだ。確かに「聞いているふり」どころか豪快に「居眠り」をしている姿が散見されるのが国会だ。この装置をつければ少なくとも脈を取られているという緊張感から居眠りは減るはずだ。

だが、そんな機器をつけなければ寝てしまう、というのがそもそも問題である。

また、集中力が低い生徒を注意するのではなく、授業のやり方を変えるべきというように、仮に国会で使われても「寝てしまうようなクソ質問をする野党が悪い」という話になってしまうのかもしれない。