宛名書きの仕事

1995年(平成7)8月25日に写研を退職した橋本和夫さんは、その前年の春に手術を受けていたこともあり、自宅で過ごしていた。自宅でおこなっていた書道教室は、体調を崩した際に閉めていた。

そんな橋本さんのところに、当時、写研書道部の部長をしていた中村氏から「手伝ってほしい」と舞い込んだのが、筆による封筒の宛名書きの仕事だった。いわゆる「筆耕」である。

「ぼくは写研時代にも、毛筆書きの賞状や封筒の宛名書きをよくやっていたんですね。管理職で、課長や部長といった肩書がついていても、仕事内容は職人のようなものでしたから、俗に言うような『俺は部長だから』と考えるわけでもなく、依頼されれば何でもやります、と思っていました。毛筆書きの仕事は、単純なようでいて、熟達した経験や慣れの必要な仕事です。それがないと、とてもではありませんが、数をこなすことなんてできません」

東京・新富町に、店舗があった。橋本さんはそこから依頼を受けて宛名を書いた。

「一度に100枚依頼されるとしたら、納期は1日とか1日半後。依頼主はぼくの書いた封筒に、手紙など必要なものを封入して投函まで済ませなくてはならないわけです。たいていは急ぎの仕事で、向こうがやらなくてはならない作業もあるため、宛名書き自体はできるだけはやく終わらせてもらわないと困る、という感じでした。書き上げた封筒を郵送するのでは納期限にまにあわないので、よく直接納品しに行ったものでした」

「封筒100枚を納めるとしたら、もらえる封筒予備はほんの2、3枚程度。ほとんど失敗は許されない仕事でした。しかも、筆書きの封筒を受け取るような人たちは、会社の重要な役職の方々が多い。会社名も正式に○○株式会社と書きますし、部署名から肩書からいっぱいで、すごく長いんです。さらに、住所、会社名、部署名、肩書、名前といった要素を全部同じ大きさに書いてはダメで、格好がつくように書くにはレイアウトを考えなくてはいけない。『できる?』と聞かれて『わからないけれど、やってみるよ』と引き受けて、アルバイトで半年ぐらいやりましたね」

はじめのうちは新鮮な気持ちで取り組んでいたが、納期や文字品質の厳しさもあり、次第に続けるのがむずかしくなっていった。

六朝楷書風筆文字系書体のデザイン

そんな橋本さんに次に声をかけたのが、写研を退職し1989年(平成元)に字游工房を設立していた鈴木勉氏だった。

「鈴木くんは写研退社後も、写研の同期の仲良しと一緒に、毎年のように正月にたずねてきてくれていました。そんなおつきあいが続いているなか、ぼくがボーッとして過ごしているので、心配してくれたのかもしれません。高田馬場の字游工房に呼ばれて、『この漢字に合わせた仮名制作をお願いできませんか?』と頼まれた。ぼくは写研で、かなを書くことが多かったので、橋本といえば、かなができると鈴木くんもよく知っていたんですね」

見本漢字に合う仮名を描いてほしいというのが、字游工房から橋本さんへの依頼だった。

「その漢字は、六朝楷書(*1)風の書体でした。もとは石碑に彫られた文字で、起筆や終筆に独特のアクセントがついている。書道でこういう文字も習いましたので、漢字を見て特徴はよくわかりました。依頼されたのは両仮名だけだったので、1カ月ぐらいで仕上げましたね。1996年ごろのことだと思います」(橋本さん)

橋本さんにとってこれが、写研退職後に初めて手がけた書体デザインだった。

やがてこの書体は、「ダイナフォント(DF)魏碑体」として1996年、ダイナコムウェアより発売された。デジタルフォントである。

つまり「DF魏碑体」の両仮名をデザインしたころから、自身の原字制作方法は変わらないものの、橋本さんの手がける書体は写植からデジタルフォントへと変わっていたのである。

  • 橋本和夫さんが描いた仮名原字をもとに制作された魏碑体。のちにダイナコムウェアから「DF魏碑体」として発売された(1996年)
    ※画像提供:ダイナコムウェア

【DF魏碑体】

橋本さんが字游工房から依頼されて原字を描いた魏碑体は、書体メーカー・ダイナコムウェア(*2)が開発中のものだった。

「文字のカテゴリーごとに、ある程度の専門的な技術や、おさえておくべき事柄を把握していなければならないので、書体を開発する際には、部門ごとに作業を分担しています。フォントのスタイルに一体感が出るように、場合によっては外部の専門家の協力をあおぎながら開発を行っています」(ダイナコムウェア グローバル・マーケティング部)
との経緯から、ひらがな・カタカナの制作を字游工房に依頼した。橋本さんは、字游工房の外部デザイナーとして、この両仮名の制作を依頼されたのである。

「『魏碑体』の漢字、かな、欧文のデザインは、力強い筆づかいが特徴的な書体です。北魏時代の書体がもつ雄渾な雰囲気をそのまま引き継ぐことで、文字全体に力強さと古風な雰囲気をもたらしています」(ダイナコムウェア グローバル・マーケティング部)

(つづく)

*1: 六朝楷書とは、中国の南北朝時代に北朝で発達した楷書体の総称で、現代中国では「北魏楷」「魏楷」ともよばれる

*2:ダイナコムウェアは、1987年に台湾で設立されたダイナラブ(現ダイナコムウェア)の日本法人で、1993年、前身となるダイナラブジャパンが設立された。

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。次回は12月3日AM10時に掲載予定です。