寄席文字教室の経験
写研を退職し、フリーランスとなった橋本和夫さんが次に制作した書体は、勘亭流だった。このころ、写植からMacを用いたDTPへの移行が急速に進んでいた。しかしデジタルフォントの開発はまだそこまで進んでおらず、印刷で使える書体のラインナップが極端に少なくなってしまっていた時期だった。
そうした状況もふまえ、まだデジタルフォントでは勘亭流のような書体が少ないからと、橋本さんは字游工房の鈴木勉氏に制作を提案した。
「1984年(昭和59)ごろだったでしょうか。写研在職中に池袋のカルチャーセンターで、橘右近先生に寄席文字の書き方を習ったことがありました。寄席文字は、太い筆をできる限り横に寝かせて、極端に太い線で、隙間を埋めるように文字をつくっていきます。その筆の動かし方に興味があったんです。ぼくは書道をやっていましたが、寄席文字はまったく異なる筆の動かし方をします。いったいどんな筆使いをするのかに興味がありました。道具の使い方を知ることによって、書体を生み出せるのではないか。書体の成り立ち、どんな風にできているのかを習いたかったんですね。1年半ほど通い、筆の扱い方や画線の描き方、字体などについて学びました。このときに橘右近先生にお名前を揮毫していただいた『寄席文字字典』は、いまでもぼくの貴重な蔵書です」
勘亭流の制作
寄席文字で筆使いを学んだことで、写研退職後のあるとき、橋本さんはそれを応用して勘亭流をつくってみようと考えた。
「寄席文字は比較的、筆運びが太く、隙間のない文字を構成していますが、勘亭流は右上がりをしながら動感があり、品位をも表現しています。単純なのですが、勘亭流には極端な右上がりと右下がりがあり、寄席文字よりもつくりが複雑なんです。それで、勘亭流をぜひつくりたい、と字游工房の鈴木勉くんに提案して、試作をもっていきました」
「試作には、そのままこの書体のキャッチコピーに使えるような文章を考えて組みました。試作のとき、適当な単語や文字を組み合わせることが多いのですが、本当は、それでは組見本を見てもピンとこないんです。きちんと読める文章で組んだほうがいいし、漢字とかなの両方を見られるようにしたほうが、よく見える。漢字は漢字、かなはかなで分けてしまうと、書体の特徴がよく伝わらないのです」
たしかに橋本さんの試作見本は、漢字とひらがな、カタカナが混ざった文章で、躍動感のある組見本となっている。
「この組見本を見せたところ、鈴木くんが『これでいきましょう』と言ってくれて、原字制作を始めました」
初回の原字納品が1996年12月。最終的に1998年1月9日までかけて、橋本さんはJIS第一水準漢字とひらがな、カタカナの約3000字を描き上げた。
筆書きをもとにアウトラインをとる
橋本さんは、勘亭流の原字を80mm角で描いた。写研では基本の原字は48mm角で描いていたので、1.5倍以上の大きさで制作したことになる。
「こういう込み入ったデザインの書体の場合は、写研でも80mmで原字を描いていました。そうしないと、微妙な画線の流れや、隙間が取れないんです」
描き方としては、レタリングのように、アウトラインで描いていったのだろうか。
「いいえ。まず一度、太い筆で勘亭流の文字を書いて、それを下に敷いて手描きでアウトラインをとるという手順で制作しました。ぼくはとにかく、楷書でも明朝体でも、まず一度筆で書いてしまうんです。そのほうが雰囲気が出るし、形もとりやすい。これがぼくにとってのスケッチの代わりなんですね。そして、筆で描いたものをきれいにメイキャップしてアウトラインをとり、版下筆で墨入れをして仕上げる。そうすると、あまり時間がかからないんです」
「勘亭流の特徴は横画です。明朝体や楷書体だと横画が細くて縦画が太いので、縦画に力を入れる。しかし勘亭流を含む江戸文字は、筆を寝かせて書くので、縦画が細くて横画が太いんです」
使用する筆は、もともとは穂先の尖った筆だが、根本からたっぷりと墨をふくませて書けるよう、開いた状態にしてある。
橋本さんは、伝統的な筆法をふまえながらも、読みやすい勘亭流を目指した。
「勘亭流は、太くうねるような筆法で、筆脈で線がつながった、隙間を埋めるような構成が特徴なのですが、いまの人たちには筆脈が多いとだと読みづらい。そのために、筆脈を整理して、読みやすい勘亭流の形を目指しました。筆脈は太めで、ぼてっとして黒々とした雰囲気のデザインに仕上げました」
そのデザインは、とても楽しい作業だったそうだ。
「勘亭流のような書体では、明朝体に比べて考えるところがたくさんあります。一字一字、どうやって形をつくっていくのかを考えなくてはならない。飽きがこないんですね。だからデザインしていて楽しいのです」
1998年(平成10)1月9日、橋本さんは漢字、ひらがな、カタカナを合わせて約3000字を1人で描き上げ、字游工房に納品した。
橋本さんのつくった勘亭流書体が、第一水準の漢字、両仮名、約物、英数字をあわせて3900字を収容した「游勘亭流」として字游工房から発売されたのは2004年のことだった。
「当時はまだヒラギノファミリーの開発中で、これらベーシック書体の開発を最優先に考えていたため、勘亭流の商品化は游明朝体の後になりました」(字游工房 鳥海修氏)
こうして橋本さんは、1995年に写研を退職してから約3年ほど、フリーランスとして字游工房などのデジタルフォントの書体デザインにたずさわった。橋本さんが次のステージに進むのは、1998年(平成10)のことになる。
(つづく)
話し手 プロフィール
橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。
著者 プロフィール
雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。
■記事準備のため、今週から連載をしばらくお休みします。再開は2020年2月頃を予定しています。