写研退職へ

前回(第39回)の最後でも触れたように、顧客にむけて新製品・新書体などを発表する場だった写研フェアで、最多の31書体が発表されたのは1985年(昭和60)だった。

写研は1950年代なかばから、毎年1つは新しい書体を発表するようになった。1970年代になると多書体化が加速し、書体発表数が多くなる。そして発表数のピークを迎えたのが1985年。1986年の新書体はなし。1987年にはまたナーカン、ルリール、イクールなど16書体が発表されるも、その後、発表される新書体数は減っていった。(*1)

1992年(平成4)のこと。写研で長く原字制作の責任者をつとめてきた橋本和夫さんは、定年退職前の57歳で取締役に就任した。しかしその後、橋本さんは体調を崩し、1994年春に狭心症の手術を経て、1995年(平成7)8月25日、60歳で写研を退職した。1959年(昭和34)6月6日に入社してから、36年の歳月が過ぎていた。(*2)

ふりかえると、写真植字機の共同発明者にして写研の創業者である石井茂吉氏の存命中に写研に入社してからずっと、その書体制作にたずさわり続けてきた橋本和夫さんは、日本の写植の黎明期から全盛期の書体づくりを経験し、支えてきた人だと改めていえる。

これまでの連載で何度もふれてきたように、橋本さんは石井茂吉氏が亡くなった1963年(昭和38)以降、原字制作部門の責任者として、退職するまでに発表された写研書体のほぼすべての監修をつとめてきた。

「ぼくにとって写研在職中は、激動の時代でした。『質の高い書体を出す会社』と評価の上がっていく写研で、ぼくが『OK』といえばその書体が世に出ていく。ぼく自身は、専門教育を受けてこの世界に入ったわけではありません。極端なことを言えば一般人です。だからこそ、その責任の重さは『戦中』と呼ぶにふさわしいものでした。けれど、デジタルフォント時代となったいまでも『写研の書体はすばらしい』と言っていただけることは、制作にたずさわってきた人間として誇らしく思いますね」(橋本和夫さん)

橋本さんは、文字だけでなく、数式や化学式、音楽といった専門記号や多言語などの企画開発にもたずさわっていた。

「和文の漢字・かな書体の開発を急務にしていた1974年(昭和49)から昭和50年代にかけては、和文組版のほかに、特殊文字盤に分類された数式・化学式・音楽の専門記号や、多言語書体などの企画・開発に参画しました。その分野の専門家の意見を聞きながら記号などのデザインを進めたことによって、専門知識をまったく持たなかった分野においても自ら専門知識を得ることになりました。写研での書体制作にたずさわり、広範囲の文字の意義を得た体験は、消えることのない貴重なものです」

  • 原字制作や監修について、手書きを交えながら解説してくれる橋本和夫さん

    原字制作や監修について、手書きを交えながら解説してくれる橋本和夫さん

製品化の過程が書体品質の鍵

写研が「すぐれた書体をたくさん発表した会社」としてこれほどまでに名を残している理由のひとつは、1970年代から外部のデザイナーと一緒に書体制作を始めたことだ。

「しかし、外部の方が描いた原字をそのまま文字盤にしていたら、これほどまでに『写研の文字はいい』とは言っていただけなかったと思います。外部デザイナーと書体制作をする場合、依頼するのも原字を受け入れるのも、ぼくたち文字部の仕事でした。デザイナーがもともと手がけていたレタリングや印鑑の文字と、書体としての文字に求められることは違います。書体として製品化することの過程にどれだけのことがあり、書体が評価されるに至ったのかということの本当の意味合いは、あまり伝わっていないように感じます。なぜ、どうやってこんなにたくさんの良い書体ができたのか。いいデザイナーが原字を描いたからいい、ということはみなさんわかっていらっしゃると思いますが、原字がそのまま製品になっていると思っている方がいるとしたら、それは『書体』という製品を理解しきれていないのではない。そして、『原字』を『書体』という製品にすることが、写研の文字部の仕事でした」(橋本和夫さん)

製品化の過程にこそ、よい書体の鍵があった。

次回、写研編の最後に、橋本さんの監修の仕事について、もう一度まとめてみたい。

(つづく)

*1: 『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』(「文字に生きる」編纂委員会 編集/写研 発行/1975年)、『文字に生きる〈51~60〉』(「文字に生きる」編纂委員会 編集/写研 発行/1986年)、『技術者たちの挑戦 写真植字機技術史』(布施茂 編/創英社・三省堂書店 発行・発売/2016年) 年表参照

*2:なお、すでに1989年(平成元)には鈴木勉氏、片田啓一氏、鳥海修氏が写研を退社して字游工房を設立、小林章氏(現モノタイプ)は渡英していた。また、藤田重信氏(現フォントワークス)は1998年(平成10)に写研を退社した。

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。次回は11月5日AM10時に掲載予定です。