国産各社の第2世代スーパーコンピュータ

これらの国産各社の第1世代スーパーコンピュータ(スパコン)は、各社とも初めてのベクタマシンであり、性能も10~30MFlops程度とCray-1と比べると見劣りするものであった。しかし、第1世代で勉強した国産メーカーの第2世代スパコンは、Crayなどのマシンと対抗できる性能のスパコンになってきた。

富士通のVP-100シリーズ

FACOM 230-75 APUに続いて、富士通は1982年7月にVP-100とVP-200というスパコンを出す。上位のVP-200は500MFlops(その後、クロックアップで571MFlopsまで向上)とCray X-MPと同レベルの性能を持っていた。

少し、話が逸れるが、IBMはStretchの100倍の高性能のコンピュータを開発するProjectを1961年に開始した。このプロジェクトは、当初は東海岸のWatson研究所で進められていたが、独立した開発チームを作ったSeymour Crayの成功に刺激され、本社から切り離して西海岸のカリフォルニア州のStanford大の近くにAdvanced Computer Systems(ACS)という開発部隊を設立する。そして、東部から、数百人のエンジニアをACSに転勤させた。この部隊を率いたのはSystem 360のチーフアーキテクトのGene Amdahl氏である。

しかし、このプロジェクトは1969年にキャンセルされ、ACSのエンジニアには帰任の命令が出た。しかし、カリフォルニアの風土が気に入り、東部に帰りたがらないエンジニアが多く存在した。

Amdahl博士もIBMを辞め、富士通の支援を受けてシリコンバレーにAmdahl Corporationを設立してSystem 360互換のいわゆるIBM互換機の開発を行った。Amdahl社は東部に帰りたくない元ACSのエンジニアを吸収して開発部隊を作った。Out-of-Order処理のリネーム機構の発明で有名なR.Tomasulo氏やテクノロジ開発のリーダのF.Buelow氏などが東部に戻らず、シリコンバレーのAmdahl社に参加した。

Amdahl社はACSで開発したECL LSI技術を下敷きにして100ゲートのECL LSIでSystem 370互換機のAmdahl 470を開発した。富士通はAmdahl社にエンジニアを送り込んでこの開発に参加して、日本でのマシンの製造も受託した。

そして、Amdahl 470のマイナーチェンジで、富士通はM-190メインフレームを開発する。このM-190の後継機がM-380である。

ここで、話はVP-100/200に戻るが、VP-100/200は、コンセプトとしてはFACOM230-75 APUに近いマシンで、汎用機のFACOM230-75の部分がM-380メインフレームに置き換わり、それにベクタ演算を行うユニットを付けたマシンである。F230-75APUシステムはF230-75命令と36bitの語長のマシンであったが、VP100/200はIBM互換のM380をベースとしているのでIBM 370命令と32bitの語長のマシンとなった。

そして、VP-100/200のベクタユニットはM380と同じ400ゲートと1300ゲートのECL LSIテクノロジで作られている。このECL LSI技術の採用により、ベクタ演算ユニットのクロックサイクルを7.5ns(その後、7nsに改善)に引き上げている。これはF230-75 APUと比べると12倍の高速化である。

また、256MBのメインメモリは、汎用機の2次キャッシュ用に開発した4kbitのECLのSRAMメモリモジュールを使って、アクセスレーテンシを短縮し、128/256バンク化によりメモリバンド幅を大幅に引き上げている。この結果、2本のロードストアパイプを持つVP200では合計で4.6GB/sのメモリバンド幅を持ち、8Byte/Flopsのメモリアクセス能力を持っていた。これはMemory-Memoryの演算の場合に必要となるメモリバンド幅の2/3にあたる。

しかし、この1/3のメモリバンド幅の不足のため、フルの演算性能を出すためには中間結果をベクタレジスタ経由で受け渡すプログラムとする必要があり、富士通のコンパイラ屋さんは苦労したという話が伝わっている。

メモリはアクセス時間55nsの64Kbitスタティックメモリ素子で作られ、最大256MBの容量で、256バンクという構成になっていた。なお、これはVP200の仕様で、VP100のメモリは容量、バンク数ともに半分となっている。

  • VP-100/200のブロック図

    図2.9 VP-100/200のブロック図。VP-100はVector Unitが1個に対して、VP-200は2個で2倍の演算性能を持っていた (出典:Yoshio Oyanagi、"Development of supercomputers in Japan: Hardware and software"、Parallel Computing 25

(次回は5月10日の掲載予定です)