Cray-3開発後のCray

1993年にCray Computer Corporationは1台のCray-3を作り上げた。Computer History Museumの展示では、ピーク性能は15GFlops、消費電力は90kWと書かれている。

しかし、開発の遅延から、1991年には1号機の顧客となるはずのLawrence Livermore国立研究所は発注をキャンセルし、1993年に完成した1号機は行き先を失ってしまった。このため、比較的近所にあった気象関係の研究所であるNCAR(National Center for Atmospheric Research)に貸し出されることになった。クロックは2.08nsとなっており、1バックグランドプロセサのピーク性能は961.5GFlopsと計算される。

仕様上は、最大16プロセサであるので、最大性能は15.38GFlopsということになるが、NCARのマシンは4プロセサであるので、3.85GFlopsである。それも1プロセサは不調で使えなかったという話もあり、3GFlops弱のマシンであった。

GaAsのLSIは製造ばらつきが大きく、目標とする性能のチップを得ることが難しかった。また、Pogo-Pinやベリリウム銅のツイストピンによるプリント板間の3次元接続は、ストロークが短く、接触圧がばらつきやすい。また、摺動でなく突き当ての接触なので、金めっきといえども接触が不安定になりやすいという問題がある。

このため、Cray-3の製造は難しく、Cray Computer Corporationは量産に漕ぎ着けることは出来ず、1995年に倒産してしまった。なお、Seymour Crayは、1993年のCray-3の完成後、改良型のCray-4の開発に取り組んでいたが、このマシンは完成していない。

さらに、1995年のCray Computer Corporationの倒産後、Seymour CrayはSRC(フルネームのSeymour Roger Crayの頭文字を取った)Computersという会社を起こし高並列スパコンの開発を始めたが、1996年9月23日にInterstate 25(国道25号)でCrayのJeep Cherokeeを追い抜こうとしたChevrolet Camaroがもう1台の車を巻き込んで衝突し、Crayは脳の損傷と首の骨を折る重傷を負った。そして、治療の甲斐なく、10月5日に亡くなってしまった。享年71歳であった。

1997年にIEEEは、Seymour Crayの精神を受け継ぐ、高性能コンピューティングに大きな貢献のあった人を顕彰するSeymour Cray Computer Engineering Awardを作った。受賞者は毎年1名で、クリスタル製の記念品と賞金1万ドルが贈られる。

なお、日本人では、これまでに、NECのベクトルスパコンの開発を率いて地球シミュレータなどを作り、さらに京コンピュータの開発プロジェクトリーダを務めた渡辺貞 博士(2006年)とイリノイ大学でIlliac IVの開発に参加し、その後、富士通のスパコン部門の開発をけん引した三浦謙一 博士(2009年)が受賞している。

(次回は10月12日の掲載予定です)