さすがに、大きくかつ重くなった当節のジェット機を人力で移動させるのは無理がある。しかし、軽飛行機ぐらいなら人力で移動させることもできそうだ。ところが、これもいろいろと考えなければならない話がある。

人力で押すときはバックで

ヘリコプターや、固定翼機でも一部の例外はあるものの、飛行機は基本的に自力でのバックはしないものである。機体構造も各部のメカニズムも、前進することを前提として設計されている。そして、前進飛行している時は、空気の流れは前方から機体に当たって、後方に向けて流れて行く。

だから、ことに主翼の構造は前方から負荷がかかる前提になっている。そのため、地上で人力によって機体を押して移動させる時は、主翼を後方から押して前進させるのではなく、前縁を押して後方に向けて押すほうが望ましい。後方から押すということは、飛行中とは逆方向の荷重を主翼の構造に対してかけることになるからだ。

押して移動させるのに、どこを押してもよいというわけではない。構造上、強固にできている部分もあれば、そうでない部分もある。強固にできていない部分を手で押して機体を移動させたら、凹んだり壊れたりしてしまう。

例えば、翼の前縁に手をかけて押すのであれば、これは大丈夫。機体が大きくなると、主翼の位置が高くなって前縁に手をかけるのは難しくなるが、零戦の写真で主脚を押しているものも見かけた。降着装置は当然のことながら、機体構造にガッチリ取り付けてあるから、主脚を押して移動することもできる理屈になる。

主翼の前縁を押すにしても、主脚を押すにしても、降着装置がすべて車輪になっていれば、ブレーキを解除すれば転がせる。クルマと違って、車輪にパワートレインが付いているわけではないからだ。これは三車輪式でも尾輪式でも違いはない。

尾輪ではなく尾橇だと……

ところが、昔は話が違った。尾輪ではなく尾橇の機体がけっこうあったからだ。第1次世界大戦の頃の複葉機なんていうと、大抵はこれである。そして、尾橇は機体が前進することを前提にした構造だから、逆方向には進めない。

車輪だったら、前進方向にでも後進方向にでも自由に回転できるが、尾橇では話が違う。無理矢理、後進させようとしても、尾橇の先端が地面に当たって、つっかえてしまう。尾橇が付いた飛行機を飛ばす場所は舗装されていない草地だから、尾橇の先端が地面にめり込んでしまうのがオチである。

ではどうするかというと、水平尾翼や後部胴体のところに人が入って、尾部を人力で持ち上げる。もしも1人で足りなければ、複数名で持ち上げる。その状態で、別の誰かが主翼の前縁部を押して、皆で歩調をそろえて歩く。これで、機体を人力で押してバックさせられる。

ここまでは真っ直ぐ移動する話だったが、方向転換はどうするか。両方の主翼を同時に押せば真っ直ぐバックするが、片方の主翼だけを押せば方向が変わる。

ただし尾橇式の機体では、尾部を持ち上げる担当の人が、片方の主翼だけを押す動作に合わせて、機体を進ませる方向に沿って動かないといけない。例えば、左主翼だけを押すと、(機体を機首側から見たときに)左側に向けて曲がる。だから尾部を持ち上げる担当は、左に向けて移動しないといけない。

こういうややこしい動きが発生するので、実際に機体を動かす人とは別に、状況を見ながら号令をかける人を配置することもあったという。

NO STEP

機体のハンドリングの話からは外れるものの、「強固にできてない部分もある」という話のつながりで。

飛行機のプラモデル、とりわけ第2次世界大戦中の日本の軍用機のプラモデルを作ると、塗装やデカール貼りの場面で「フムナ」という標記に遭遇することがある。カタカナで書かれると何のことかと思うが、「踏むな」である。今の旅客機でも、主翼上面のところどころに「NO STEP」という注意書きが書かれていることがあるが、意味は同じ。

つまり「この部分は構造が強固にできていないから、上に乗ったり踏んだりしてはいけない」という注意が書かれているのだ。フラップやスポイラーや補助翼といった操縦翼面なら話はわかるが、それ以外のところでも、この手の注意書きが付いていることがある。

  • ボーイング777の主翼に記された「NO STEP」標記。主翼のトーションボックス部は大丈夫だが、その前後に乗ってはいけない

つまり、外から見て内部構造がわからなくても、この手の標記の有無によって、「強固に作られている部分」と「それほどでもない部分」の区別をつけられることはあるのだ。

この手の標記は、旅客機だったら、ターミナルビルの展望デッキ、あるいは主翼付近の窓側席から見ることができる。

一方、戦闘機を上から見下ろせる機会はあまりないけれども、フラップを下ろした状態で地上展示されていれば、フラップに書かれた「NO STEP」を見られるかもしれない。

著者プロフィール

井上孝司


鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。