中央大学は6月24日、生後半年以下の乳児では、物体の知覚を阻害する「逆向マスキング」という知覚現象が生じず、その結果、大人や高月齢の乳児が見ることができない物体を低月齢の乳児が知覚できることを明らかにしたと発表した。

同成果は、中央大研究開発機構の中島悠介研究員(同機構助教/日本学術振興会特別研究員PD)、中央大 文学部 心理学専攻の山口真美教授、日本女子大学 日本女子大学人間社会学部 心理学科の金沢創教授らの共同研究チームによるもの。詳細は、米科学雑誌「米科学アカデミー紀要(PNAS)」に掲載された。

ヒトは、一瞬だけ物体が提示されたとしても、それが何なのか認識することが可能だ。しかし、物体が提示された直後、同じ位置に他のものが提示されると、最初に提示された物体が見えなくなり、その存在に気付くことができなくなってしまう。これは「逆向マスキング」と呼ばれる知覚現象で、実験心理学の分野で用いられている。

この現象は、後に提示される物体が最初の物体に覆いかぶさっていない状態、例えば枠や四隅の点だけであっても生じることが知られている。なぜこのような現象が起こるのかについてはいくつかの説があるが、そのうちの1つが「フィードバック処理の妨害」仮説と言われている。

  • 逆向マスキング

    逆向マスキング現象。たとえ一瞬だけ提示される物体であっても、大抵はそれが何なのかを認識できる。しかし、直後にほかの物体が提示されると、最初の物体が知覚できなくなるのが逆向マスキング現象だ。この現象は、後に提示される物体が、最初の物体を囲む枠や四隅の点だけであっても生じる。ヒトの脳における視知覚機構は、網膜に飛び込んできた光子をそのままストレートに認識しているわけではないことがわかる(出所:中央大プレスリリースPDF)

ヒトが物体を見たとき、眼から脳の視覚領域に送られた信号は、より複雑な処理を行う高次の脳領域へ向けて順序立てて、ボトムアップに処理されていく。その一方で、高次から低次方向の「フィードバック処理」と呼ばれるトップダウンの処理経路も存在し、物体認識はこれらボトムアップとトップダウン処理の相互作用によって成立している。逆向マスキング現象は、このフィードバック処理が妨害されることにより生じているのではないかと考えられている。

近年の研究により、視知覚において、このフィードバック処理こそが重要な役割を果たしていることが明らかになってきている。しかし、その発達過程についてはほとんどわかっていない。そこで研究チームは今回、フィードバック処理の発達過程を調べるために、生後1歳未満の乳児を対象に逆向マスキング現象の検討を実施することにしたという。

実験では、生後3か月から8か月の乳児を対象に、「選好注視法」を用いて、短時間提示される顔に対して逆向マスキングが生じるかどうかが調べられた。具体的には、2種類の画像を提示することで、どちらをより長く注視するかを測定することによって、その違いを認識できているかどうかを確認するというものとなる。

実験は、乳児に対し、マスキングあり・なしの2種類の顔画像を用いた短時間提示が繰り返し行われ、その度に乳児が画面を注視した時間が測定された。マスキング条件は、顔と一緒に周囲に4つの点が提示され、顔が消えた後に4つの点が残るというものとなっている。

  • 逆向マスキング

    実験方法と結果。(上)7~8か月児は非マスキング条件の方が注視時間が長くなり、4つの点が残るマスキング条件で顔が知覚できなくなっていることが判明した。(下)6か月以下の乳児では、顔が提示されない条件よりもマスキング条件の方が注視時間が長くなり、マスキング条件であっても顔を知覚できていることが確認された (出所:中央大プレスリリースPDF)

実験の結果、生後7~8か月児では、4点が残った場合の方が注視時間が短くなり、逆向マスキングで顔が見えなくなっていることが確認されたという。一方、生後3~6か月児では、どちらの条件でも注視時間に差がなく、逆向マスキングが生じていない可能性が示されたという。

この結果を踏まえ、6か月以下の乳児において逆向マスキングが生じていないことをより厳密に確かめるために、顔を提示しないで4点だけを提示する条件と、顔の後に4点を残す条件(マスキング条件)で比較を実施。その結果、7~8か月児では両条件で注視時間に差がなかったが、3~6か月児ではマスキング条件の方が注視時間が長くなることが確認されたという。

これらの結果は、6か月以下の低月齢児では逆向マスキングが生じておらず、7か月以上の高月齢児が知覚できない物体を低月齢児が知覚できていることを示すものだと研究チームでは説明する。

  • 逆向マスキング

    実験結果のまとめ。生後7か月以上の乳児では、大人と同様、逆向マスキングが生じる。それに対して6か月以下の乳児では同現象が生じず、高月齢児が知覚できない物体を知覚できることが明らかとなった (出所:中央大プレスリリースPDF)

今回の結果は、生後半年ころを境に、ボトムアップのみの処理からフィードバックを組み込んだ処理へと、視知覚のメカニズムが変化することを示すもので、こうしたフィードバック処理の発達によって、ほかの重要な視覚機能が獲得されていることが考えられると研究チームでは説明している。

  • 逆向マスキング

    今回の研究で得られた知見。生後半年頃を境に、ボトムアップの処理からフィードバックを組み込んだ処理へと、視覚処理のメカニズムが大きく変化する (出所:中央大プレスリリースPDF)

なお、研究チームでは、今回の研究成果に対し、ヒトが外界を安定的に知覚できるようになるための背景メカニズムの解明につながることが期待されるとしている。