東京大学 国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構(Kavli IPMU)は6月24日、強い力を伝える「パイ中間子」が極端に軽い仕組みを理論的に証明したと発表した。

  • パイ中間子

    左列が中間子の質量分布、右列が陽子や中性子を含むバリオンの質量の分布。パイ中間子だけ、ほかの中間子やバリオンと比較して極端に軽い質量を持つことがわかる (c) Kavli IPMU (出所:Kavli IPMU Webサイト)

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    (左)パイ中間子が重い場合には、陽子の間でパイ中間子が強い力を媒介することができずに、陽子同士は離れていってしまう。(右)一方、現実のパイ中間子では、質量が軽いため陽子の間を飛んで強い力を媒介することが可能だ。そのため、陽子同士を結びつけることができるのである。つまり、パイ中間子が軽くなければ、陽子や中性子が結びついて原子核を作ることができず、すべての原子は陽子1つを原子核に持つ水素のみとなってしまう (c) Kavli IPMU (出所:Kavli IPMU Webサイト)

同成果は、Kavli IPMUの初代機構長でもある村山斉主任研究者(米・カリフォルニア大学バークレー校/米・ローレンス・バークレー国立研究所兼務)らの研究チームによるもの。詳細は、米国物理学専門誌「Physical Review Letters」にオンライン掲載された。

自然界には「電磁気力」、「強い相互作用」、「弱い相互作用」、「重力」の4つの力が存在しており、科学者たちがこの4つの力を統一しようと研究を続けている。そして、今のところ、電磁気力と弱い相互作用を結びつけた「電弱理論」までが完成している。そして現在、未完成ながら研究が進んでいるのが、電弱理論に強い相互作用を加える「大統一理論」である。

強い相互作用は、粒子「グルーオン」の媒介によってクォークを結びつけて陽子や中性子を形成したり、「パイ中間子」の媒介によって陽子や中性子を結びつけて原子核を形成する力とされる。クォークの間や核子の間など、狭い範囲でしか働かないが、その反対に4つの力のうちで突出して強い点が特徴である。

2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎博士は、強い相互作用を扱う理論である「量子色力学」(QCD)について、2つの予言を行った。1つは、「カイラル対称性」と呼ばれるクォークの対称性が自発的に破れることで、3個のクォークで構成される陽子や中性子や、クォークと反クォークの対で構成される中間子は、それぞれクォークを足し合わせた質量よりもずっと重い質量を持つということ。これは実際にその通りで、たとえば陽子や中性子の場合、3個のクォークの質量の合計は陽子や中性子の2%ほどしかない(残りはグルーオンによる)。

そしてもう1つがパイ中間子に関するもので、カイラル対称性の自発的破れが起きて生まれる質量ゼロの粒子がパイ中間子に相当し、それが極端に軽い理由であるというものである(実際には、クォーク本来の質量の効果によって質量はゼロではない)。

クォークに関する研究が難しいのが、クォークは単独では存在し得ないという点だ。陽子や中性子、中間子などのクォークから構成されるハドロン(複合粒子)は、パーツが組み合わさっているわけではないため、簡単にクォークを3個に分割するといったことはできない。

そのため、CERNのLHC(大型ハドロン衝突型加速器)に代表されるような加速器を使って、陽子同士などを光速に近い超高速度で正面衝突させて破壊し、飛んでいった破片(粒子)の“痕跡”から間接的に陽子などの内部の研究を行っているのである。

そして、現在ではスーパーコンピューターによるシミュレーションも活用されている。南部博士のパイ中間子の軽さに関する予言に関しても、先行研究としてシミュレーションが実施されており、その正しさを示唆する結果は得られていたという。しかし、理論的な証明はこれまでのところ行われていなかった。

そこで研究チームは今回、QCDを「超対称性理論」へと拡張した「超対称QCD」理論を用いてまず計算を実施。超対称性理論とは、標準模型で記述されるすべての粒子に対して、対応する超対称性粒子が存在するという理論だ。標準模型で解決できない問題を解決できることから、標準模型を超える新しい物理理論の有力候補の1つとされている。

しかし超対称性理論の大きな課題は、超対称性粒子が現実世界で見つからないという点だ。そこで村山主任研究者は、その見つからない理由を説明する仕組みとして、自らが1998年に共同研究者と提唱した「アノマリー媒介機構」を超対称QCD理論に適用することで、標準模型におけるQCDの枠内の計算へとつなげたという。

  • パイ中間子

    今回の研究内容を説明する概念図。左端の列が、1994年にネイサン・ザイバーグ氏とエドワード・ウィッテン氏によって考案されたQCDを超対称性に拡張したモデルの世界。右端の列が、1961年に南部陽一郎博士の考えた標準模型のQCDの世界で、現実の我々の世界における強い力の振る舞いが書き表されている。そして中央列が、村山主任研究者の今回の研究成果を示す内容 (c) Kavli IPMU (出所:Kavli IPMU Webサイト)

今回、アノマリー媒介機構という仕組みを、強い力の超対称性の世界に適用することで、その厳密解を保った状態で超対称性を壊し、南部博士の考えた現実世界での強い力の振る舞いの計算につなげることに成功したという。その結果、パイ中間子の質量が軽くなる要因は、QCDにおいて「カイラル対称性の自発的破れ」が起きるためという南部博士の予言について、理論的に証明することができたとしている。

今回の研究成果について村山主任研究者は、「私は常に、強い力の働きについて理解したいと思っていました。特に、湯川秀樹博士が提唱したパイ中間子は私たちの体を形作る上で不可欠であり、私の興味の中心でした。実はパイ中間子が軽くないと陽子や中性子が結びついて原子核を作ることができないので、水素以外の原子が生まれず、私も存在できません。QCD理論から南部先生の理論を導くことは難しい問題として六十年も残されてきましたが、今回成功して大変興奮しています! この強い力を理解しようとする営みは、『なぜ我々が存在するのか?』という問い対する答えを明らかにしたいという、私が長年追い求めてきた課題の一部です。物理学が、この何千年にもわたる問いに答える日はそう遠くないかもしれません」とコメントしている。

なお、今回の研究はスーパーコンピューターを用いておらず、手計算によって実現されたことから、QCDの研究の困難さの解消の一助となることが今後期待されるという。