北海道大学(北大)、岡山理科大学、兵庫県立人と自然の博物館の3者は4月27日、2004年に兵庫県淡路島南部の洲本市の白亜紀最末期(約7200万年前)の地層から発見されていた恐竜化石の研究を実施し、かつてランベオサウルス亜科と同定されたが、それは誤りで基盤的な(原始的な)ハドロサウルス科であることを明らかにし、新属新種として「ヤマトサウルス・イザナギイ」と命名したことを共同で発表した。
同成果は、北大 総合博物館の小林快次教授、岡山理科大の高崎竜司研究員、人と自然の博物館の久保田克博研究員、米・サザンメソジスト大学のアントニー・フィオリロ博士らの国際共同研究チームによるもの。詳細は、英オンライン総合学術誌「Scientific Reports」に掲載された。
ハドロサウルス科の恐竜は、長く平たいカモのようなクチバシ(吻部、ふんぶ)を持つ白亜紀の植物食恐竜だ。白亜紀後期の後半のカンパニアン期(約8350~7060万年前)以降、ハドロサウルス科は急激に多様化。その分布域は、オーストラリアとインドを除いたほかのすべての大陸にまで広げた。この高い多様性は、独特な顎や歯の構造の進化によって確立された効率の良い口内消化に起因していると考えられている。
日本においても白亜紀後期のハドロサウルス類の化石が、北海道小平町、福島県いわき市・広野町、香川県さぬき町、長崎県長崎市・西海市、熊本県御船町、鹿児島県薩摩川内市から部分的な化石が発見されている。そして2019年には、北海道むかわ町から「カムイサウルス・ジャポニクス」が、ハドロサウルス科の新属新種として記載報告されたことは記憶に新しい。
これらの資料に加えて、兵庫古生物研究会の岸本眞五代表が、2004年5月に兵庫県洲本市に分布する白亜紀末(約7194~7169万年前)の海成堆積物である和泉層群北阿万層から発見したのが、恐竜の下顎の一部と思われるもの含む数点の化石だ。同月には、人と自然の博物館の研究者らによって追加調査が実施され、さらに資料が採取された。
これらの資料は、当時、札幌医科大学と人と自然の博物館の研究員による共同研究により、ハドロサウルス科の中でも派生したランベオサウルス亜科であると同定され、2005年に国内外の学会で発表された。
しかし今回さらなる研究が行われ、ほかのあらゆる白亜紀後期のハドロサウルス類には見られない固有な特徴を2つ持つことが判明。その固有な特徴は、以下の通りだ。
- 下顎中央部における歯列の機能歯が1本しかないことがある
- 歯の咬合面に分岐稜線(Branched ridge)と呼ばれる構造が存在しない
加えて、以下の固有な特徴の組み合わせも確認された。
- 後方に向かって緩やかに広がる歯骨の結合面と歯骨の側面
- 大きく腹側に面した上角骨
これらの固有な特徴と特徴の組み合わせから、新属新種の恐竜類であることが判明し、「伊弉諾(いざなぎ)の倭竜(やまとりゅう)」という意味を持つ学名としてヤマトサウルス・イザナギイ(Yamatosaurus izanagii)と命名されたのである。
今回の研究では、ヤマトサウルスがほかの恐竜とどのような関係にあるのかを検証するため、354個の特徴を70種のほかのハドロサウルス類と比較する系統解析が行われた。解析の結果、ヤマトサウルスは基盤的(原始的)なハドロサウルス科であることが判明したのである。
急激に多様化した、カムイサウルスや「ニッポノサウルス」など、白亜紀後期の後半以降の派生的なハドロサウルス科との最大の違いは烏口骨(肩の骨の一部)の上腕二頭筋結節が未発達である点だという。
肩と前肢の進化速度が分析されたところ、基盤的なハドロサウルス科において肩と前肢の進化速度が加速する傾向が見られたという。この傾向は、ハドロサウルス科における二足歩行から四足歩行への進化を表している可能性が考えられるとした。
白亜紀後期の後半にハドロサウルス科が大繁栄した理由として、これまでは、食に関する特徴(歯や顎の構造)が注目されてきたという。しかし今回の研究により、体の動きに関わる肩や前肢の進化も、大繁栄の鍵を握っているかもしれないということが提唱されることとなった。
さらに、ハドロサウルス類の生息域が変遷していく過程の統計的な推定も実施された。すると、ハドロサウルス科は誕生当初、北米東部(アパラチア大陸)とアジア大陸に広く分布していたことが判明。しかし、アメリカ東部のハドロサウルス科は一度絶滅し、ハドロサウルス科の最初の大繁栄はアジアで生じた可能性が今回の研究によって示唆されたのである。
さらに今回の研究成果として、ヤマトサウルスは生息していた時期よりも約2000万年も前の時代からの生き残りである可能性も提唱された。ヤマトサウルスは白亜紀の最末期(約7200万年前)の地層から発見されたが、実は最初期(約9500万年前)に大繁栄したハドロサウルス科の生き残りであったことが突き止められたのである。
同様に、基盤的なハドロサウルス類が白亜紀末期まで生き延びた例として、中国のタニウスやモンゴルのプレシオハドロスなどもおり、ヤマトサウルスだけではないこともわかっている。当時の東アジアは、原始的なハドロサウルス類にとって約2000~3000万年間のレフュジア(昔のままの種が残存している地域)となる、特異的な環境であった可能性が考えられるという。
ヤマトサウルスは、北海道むかわ町から発見されたカムイサウルスと同じ年代の地層から発見された。白亜紀末の地層から、ヤマトサウルスなどの基盤的なハドロサウルス科と、カムイサウルスのような派生的なハドロサウルス科の両方が見つかることは、アジアでは初めての記録だという。
これまで、基盤的なハドロサウルス類は、派生的なハドロサウルス科の進出に伴い生息地を追われ、絶滅するものと考えられてきた。唯一の例外が、当時諸島を形成していたヨーロッパで、海によって隔てられた島々に基盤的、派生的なハドロサウルス類が分かれて生息していたと考えられている。ヤマトサウルスとカムイサウルスの関係も同じように、東アジア沿岸域の北部と南部で棲み分けることで、ヤマトサウルスのような基盤的なハドロサウルス類は白亜紀末期まで生き延びた可能性が考えられるとしている。
カムイサウルスに続き、今回ヤマトサウルスが発見されたことで、東アジア沿岸域のハドロサウルス類の多様性がこれまで考えられてきたものよりも、より大きいことが明らかになった。
また、これらのハドロサウルス科の化石はどちらも海の地層から見つかっており、世界的にも貴重な情報源となっているという。海辺という環境が恐竜類の進化に与えた影響を解明するために、日本の恐竜類の重要性が再確認されたとしている。今後もさらなる発掘・研究によって、日本独自の視点から恐竜類の進化を解き明かしていけると期待しているとしている。
また、今回のヤマトサウルスの研究はアマチュア化石コレクターの岸本氏の協力があって初めて実現したとする。今後も、地域の化石愛好家の方々とより深い協力体制を築くことで、さらに研究が大きく進むと期待できるとしている。