北海道大学(北大)は11月18日、メスコオロギがオスの呼び歌に近づいていく「音源定位」と呼ばれる行動を詳細に観察し、メスがどのようにしてオスに近づいていくのかを明らかにしたと発表した。

同成果は、北大大学院生命科学院の本丸尚人大学院生、北大大学院理学研究院の設樂久志研究員、前橋工科大学工学部の安藤規泰准教授、北大大学院理学研究院の小川宏人教授らの共同研究チームによるもの。詳細は、比較動物生理学の専門誌「Journal of Experimental Biology」に掲載された。

繁殖するために交配相手を探し出してそれに接近していくことは、あらゆる動物にとって重要な生命活動のひとつだ。異性を呼び寄せる接近の手がかりを与えるため、動物たち(多くの場合はオス)はにおいや音、そして視覚的に目立つ色や装飾などを示す。

コオロギの場合は、オスが前翅をこすり合わせて音を出す。それが一定の音の周波数と発生パターンを持つ「誘引歌」としてメスに認識され、メスはこの誘引歌に引き寄せられ、オスに近づいていくのである。このメスの行動は音源定位と呼ばれ、古くから神経行動学のモデルとして長く研究が続けられてきた。

メスコオロギは前肢にある一対の鼓膜器官で誘引歌を聞き取る。これまでは、「より大きな音の方へターンする」という単純な反射行動の繰り返しによってオスに近づいていくと考えられてきた。しかし、それはコオロギにトレッドミルの上を歩かせて調べた結果、推測されたものである。実際には、動物が移動することで音源への方向や音の大きさは刻々と変化していくことがわかっている。また、メスがどのように音源定位を始め、どのような行動を経て音源のオスへ近づいていくのかはわかっていなかった。

そこで研究チームは今回、遮音した実験室内に設置された直径1mの円形アリーナを使って音源定位の様子を詳細に観察。メスコオロギがどのような経路をたどり、どのような運動をして音源にたどり着くのかが調べられた。

アリーナの中心からメスコオロギをスタートさせ、同時にアリーナの内壁に設置したスピーカーから人工的な誘引歌が流された。そして、実験室の天井から吊り下げたビデオカメラでアリーナ全体を収め、スタートからメスコオロギが壁にたどり着くまでが撮影された。撮影された映像からメスの位置と頭が向いている方向が自動的に割り出され、その移動軌跡と時々刻々の移動速度や頭が向いている方向などが計測された。

まず、スピーカーからの誘引歌の大きさを、60dB、70dB、80dBの3段階で変えて比較が行われた。その結果、音が大きくなるほど、より多くのメスコオロギがスピーカーの近くにたどり着いたとした。

続いてスピーカーの近くにたどり着いた、つまり音源定位に成功したメスの軌跡だけに注目し、音源までの距離の時間変化が調べられた。すると、メスはスタート後しばらくはスタート位置の周囲をさまよう(彷徨フェイズ)が、ある時点から急に音源へ向かって近づいていく(接近フェイズ)ことが確認された。

  • コオロギ

    (左)実験アリーナ。(中央)70dBの誘引歌の音源に定位した(点線で挟まれた範囲に達した)メスの移動軌跡。メスは円(アリーナ)の中央からスタートし、上側のスピーカーへ向かう。円の外側のカラーの点は到着場所を示したもの。×印は接近フェイズの開始点。(右)定位したコオロギにおける壁に達した時刻を0としたときの音源までの距離の時間変化。×印は接近フェイズの開始点 (出所:北大プレスリリースPDF)

その近づき始める点はまちまちで、スピーカーに近い点もあればスタート位置よりも音源まで遠い点もあったという。つまり、その場で聞いている誘引歌の大きさが接近の開始を決めているのではないことが判明した。

次に、「接近フェイズ」を開始させたきっかけが誘引歌を聞き続けたことなのかどうかを調べるための実験が行われた。スタート位置にメスをとどめたまま、しばらく天井に設置したスピーカーから誘引歌を流し、誘引歌を聴いている状態でスタートするメスの行動が観察された。

もし、メスが接近フェイズを開始させるためにある程度誘引歌を聞き続ける必要があるのなら、あらかじめ聞いていた場合の方が早く接近フェイズを始めることが予想された。しかし、予想とは反対に先に聞かせた場合の方がさまよい歩く時間が長くなり、接近フェイズに入る時間が遅れることが観察されたのである。これは、天井からの指向性を持たない誘引歌を聞くことによって、メスが音源位置を認識するのに時間がかかってしまったものと考えられるという。

このような実験結果から、メスの音源定位には彷徨フェイズと接近フェイズのふたつの行動フェイズがあり、後半の接近フェイズへの移行は外部からの刺激に対する単純な反応ではなく、メスコオロギ内部の状態が変化して起こることが考えられると結論づけられた。

次に、メスは接近フェイズに移行するとまっすぐ音源へと近づいていくが、それは音源の方位を記憶しているからなのかどうかが確かめられた。接近フェイズ中に誘引歌をホワイトノイズに切り替えると、どのような行動をメスが取るのかが観察された。

すると、途中で雑音に切り替えた場合は、音源にたどり着ける割合が減り、終始雑音を聞かせたものよりも、壁にたどり着くのに時間がかかることが明らかとなった。しかも、より頻繁に動き出しては止まるのを繰り返す小刻みな歩行を示したという。

  • コオロギ

    (左)終始誘引歌を壁のスピーカーから流した場合(左:CSw-CSw)と、スタートから30cm離れた地点で誘引歌から白色雑音に切り替えた場合(右:CSw-WNw)の移動軌跡。(右)スタートから30cm離れた地点で音刺激もしくは音源定位を変化させた場合の全移動時間に対する歩行時間の割合。左から終始誘引歌を壁のスピーカーから流した場合(CSw-CSw)、壁から流す音を誘引歌から白色雑音に切り替えた場合(CSw-WNw)、誘引歌を流すスピーカーを壁から天井に切り替えた場合(CSw-CSc)、終始白色雑音を流した場合(WNw-WNw)。誘引歌から白色雑音に切り替えた場合だけ、歩行時間が短くなった (出所:北大プレスリリースPDF)

このことから、メスは音源位置を記憶しているわけではないことが判明。誘引歌を途中で失った場合は、彷徨フェイズとも接近フェイズとも異なる、音源を積極的に探している「探索フェイズ」に入ってしまうことが確かめられたのである。

メスコオロギの移動の様子は、自発的な歩行か音源定位かに関わらず、歩いたり止まったりを繰り返すことが特徴だ。そこで動画からメスの運動を検出し、歩行している間だけもしくは止まっている間だけ誘引歌を流す実験が行われた。その結果、歩行中のみでも停止中のみでも定位率はやや落ちるものの、音源にたどり着くことができたという。これは、メスは歩行している間も止まっている間も誘引歌の音源方位を認識し続けていることを意味するとした。

さらに、歩行中と停止中に誘引歌を壁もしくは天井に設置したスピーカー間で切り替えて流したところ、歩行中に壁から流した場合の定位率は、壁からずっと流し続けた場合と同程度向上したが、停止中の倍は変化がなかったとした。つまり、歩行中に聞いた誘引歌の方が音源定位には重要であることが明らかとなったのである。

今回の研究成果により、メスコオロギが誘引歌を頼りにオスに近づいていく行動は、単純な音に対する反射の繰り返しではないことが明らかとなった。複数の行動フェイズから構成される複雑な過程を踏むものであり、その行動フェイズ間の移行は、外部からの刺激だけではなく、コオロギの内部状態にも依存することが判明した。より効率的にオスに出会うためには、環境に合わせていくつもの戦略を使い分けることが有効だが、まず何よりもメスが「その気になる」ことが重要なのかも知れないとしている。

また共同研究チームでは、今回の音源定位のほかに、捕食者に襲われたときの逃避行動など、動物の生得的な行動をモデルとして、状況に依存した行動切り替えやそのための複数の感覚統合の神経メカニズムに関する研究も進められている。今後は、神経解剖学や神経生理学的な知見を積み重ねることによって、「状況を把握して、それに応じて適切な行動を切り替えるための神経メカニズム」の解明につながることが期待されるとしている。