キリンビールの工場見学に、VRコンテンツが導入された。事実だけを挙げると、先進技術をツアーの目玉として取り入れたように見えるかもしれないが、実はこのVRは常時稼働のアトラクションではなく、ある「課題」を克服するための手段として用いられている。

今回は、このVRコンテンツの企画立ち上げからプロジェクトに参加しているキリン コーポレートコミュニケーション部 川端史織氏に、VR導入の経緯や現状みられる効果などについてお話を伺った。

  • キリン コーポレートコミュニケーション部 川端史織氏

    キリン コーポレートコミュニケーション部 川端史織氏

  • 工場見学にVRコンテンツを導入した。

    工場見学にVRコンテンツを導入した。

――最初に、工場見学にVRを導入した狙いをお聞かせください。

キリンでは、全国12工場(うちキリンビールの工場は9カ所)にて、工場見学ツアーを展開しています。実はツアーを催行する中で「長年の課題」がありまして、その解決のためにVRの導入を検討したのがきっかけです。

――「長年の課題」とは何ですか?

ツアー内でパッケージング製造ラインをご紹介する場面で、「ラインが動いておらずガッカリした」という声が多く寄せられており、その対応策に苦慮していたことです。

工場見学ツアーの参加者数は、やはり週末が多くなります。ですが、土日にラインが稼働していない場合も多く、結果として多くの方に非稼働時のラインをお見せすることになってしまいます。見学時のガッカリ感をなくし、よりいっそう楽しんでいただくための手立てとして、VRを活用できればということになりました。

そのため、常時VRをご覧いただくのではなく、原則としてラインが停止している際に、VRコンテンツを用いて、稼働時の様子を仮想体験いただくような利用をしています。

  • VR導入以前に、横浜工場は2016年に大幅リニューアル。プロジェクションマッピングを利用してビールの釜内を図解するコンテンツを導入するなどして、参加者の満足度を高める施策を行っている

    VR導入以前に、横浜工場は2016年に大幅リニューアル。プロジェクションマッピングを利用してビールの釜内を図解するコンテンツを導入するなどして、参加者の満足度を高める施策を行っている

――導入は横浜工場が最初ですか?

2017年2月よりキリンビール岡山工場にてテスト導入を行い、そこで見つかった課題を解決した上で、2017年12月から横浜工場で導入するに至りました。その後、2018年2月に他のキリンビールの工場(仙台、取手、名古屋、福岡)に展開いたしました。2015年1月に案が出てから横浜工場での導入を本格公開と考えると、開発期間は約3年です。

  • 映像内では、自身が缶になった視点でラインを流れる様子を見られる。

    映像内では、自身が缶になった視点でラインを流れる様子を見られる。

――見学ルートではなく缶ビールの目線にカメラを設置した理由は?

キリンビバレッジの工場で展開している「午後の紅茶ツアー」で、2014年よりペットボトルに小型カメラをつけて撮影した映像をツアー内に組み込んだところご好評の声をいただき、その進化版というような思いで制作いたしました。缶の目線でラインを流れていく場面で、「ジェットコースターに乗っているみたい! 」という感想をいただくことが多いですね。

――VR導入後、どういった効果がありましたか?

まず、参加者の方々のパッケージング製造ライン非稼働時の満足度が、48%から89%へと大きく向上しました(数値は岡山工場でのテスト時のヒアリングより)。目的はまさに満足度の向上でしたので、達成でき大変嬉しく思っています。

その他、アンケートには「一番搾り」という弊社製品について、「より好きになった」「身近に感じられるようになった」という回答もあり、ブランドコミュニケーションに良い影響を与えられているとも考えております。

  • 一番搾りの6缶パックを模したVRゴーグル。既存製品のカスタムではなく、今回のために一から制作した。

    一番搾りの6缶パックを模したVRゴーグル。既存製品のカスタムではなく、今回のために一から制作した。

――VR体験に使うゴーグルが、一番搾りの6缶パックのパッケージになっていますね。これは特注品ですか?

はい、そうです。実際のパッケージと同様の見栄えになるよう、上面の取っ手の切り込みやリサイクルマークなど、こだわって作っています。

――スマートフォン+ゴーグルで閲覧するタイプのVRコンテンツですが、企画段階でPCに接続するタイプのヘッドマウントディスプレイは検討されましたか?

いいえ、当初からこのかたちで考えていました。というのも、スペースに制約のある見学コース上で、コードに繋がれた機器の運用を行うのは難しいためです。何より、準備に手間取り、参加者の気持ちを見学から逸らしてしまっては本末転倒なので、現状のかたちが最適と思っています。

――VRコンテンツの制作はどのように進められたのでしょうか?

先ほどお話ししたスコープを含め、横浜工場のVRコンテンツのオーガナイズは、制作会社のブルーに依頼しました。映像撮影は凸版印刷、アプリ開発はNTTドコモにお願いいたしました。映像の撮影にはGoPro、RICOH THETAを用いました。

――ツアー中に周囲の参加者の反応を見たところ、20人前後いた参加者が全員同時のタイミングで映像を見ていたように見受けられました。どのように制御したのでしょうか?

PCからの操作で、ガイドが全員のスコープ上の映像再生を一斉に行えるようにシステムを組んでいます。こちらもNTTドコモでご対応いただきました。

スコープ内には専用アプリをインストールしたAndroidスマートフォンが入っておりまして、「端末再生」と「パソコン再生」を選べるようになっています。工場外での疑似工場見学を行う際など、単体で再生したい時のために「端末再生」モードを搭載しています。

  • 約2分間の映像では、360度映像のシーンと、方向が定められたシーンの2種類が、切り替えを明示して展開される。これは、検品時に缶として捕まれる演出(画像)など、視点が定まっていないと理解できないシーンを見逃さないようにするため。

    約2分間の映像では、360度映像のシーンと、方向が定められたシーンの2種類が、切り替えを明示して展開される。これは、検品時に缶として捕まれる演出(画像)など、視点が定まっていないと理解できないシーンを見逃さないようにするため。

岡山でテストを行った際に、参加者の方ひとりひとりに機器を操作していただくと、大人数のツアーのご案内が難しいことが分かったため、このようなシステムになりました。工場見学ツアーは1日あたり20回程実施している工場もあるためタイムスケジュールが厳密で、ガイドが機器の不調などに対応していると、その分ツアー時間が押してしまいます。そのため、いかにスムーズにご体験いただくかに留意しています。

――そのほか、テスト時から変更した点はありますか?

展示台にスコープを置いたら充電できるよう、スマートフォンの裏に無接点充電のパッドを貼り付けています。これも、岡山工場でのテストで端末の充電が終日保持できず、ガイドの手間が増えてしまうという問題が浮かび上がり、改善したものです。

現在は、開場時にガイドがスマートフォンを立ち上げ、それ以降はスリープさせず起動させ続けています。充電台を整備し常時充電可能にしたことはもちろん、スコープを既存製品のカスタムではなく、専用で制作していただいたことが大きいです。スコープからスマホを外さず電源ボタンにアクセスでき、起動し続けるスマートフォンの熱を逃がすよう、穴を空ける位置を定めました。

  • 機器の取り回しをよくするため、電源ボタンの位置に穴を空け、体験者向けの注意書きも印刷している。

    機器の取り回しをよくするため、電源ボタンの位置に穴を空け、体験者向けの注意書きも印刷している。

――VR導入時に留意したことはありますか?

まずは対象年齢です。若年者の眼に対するVRの影響を鑑み、7歳未満の未就学児の参加者には使用をご遠慮いただいています。

次に、工場見学を楽しんでいただくことはもちろん大前提ではありますが、エンタメ性が高まった一方で、学びの場面が弱くなってしまわないように、つまり「VRを見た」という印象だけが先行しないよう気をつけました。ツアーでは、あらかじめ映像でラインの仕組みをご説明したうえでVRを体験いただき、今何が行われているのかが把握しやすいような流れでご紹介しています。

――今後、他の工場への展開は検討されていますか?

いえ、しておりません。というのも、導入していないキリンビールの3つの工場(神戸・滋賀・千歳)は、スペースなどの都合上導入が難しく断念したためです。この3工場でも、ツアーではなく、イベントや営業活動の際にはVRを活用しております。

キリンビバレッジの工場でも「ライン非稼働時のガッカリ感の改善」は共通の課題ではありつつも、ビール工場よりは土日のラインの稼働率が高く、平日の社会科見学でのご体験が主となっているため、現状は導入の方向には向かっていません。

――最後に、VRコンテンツの提供予定期間と、今後の展望などあればお教えください。

提供期間について、少なくとも2~3年は継続してご提供したいと考えています。その頃にはVRが一般的になり、状況が変化しているとは思いますが、非稼働時の対策として有効であることは変わらないのではないかと予想しています。

立ち上げ直後から携わっていたプロジェクトが完了した達成感はあるのですが、やはりVRを体験された方々の楽しそうな反応を拝見するのが最も嬉しいことですね。工場外での活用例も多く、これからも長く活用していければと考えています。

――ありがとうございました。