QV-10以降のデジタルカメラと、カシオが考えるデジタルカメラ像
座談会の後半では、麻倉氏と中山氏が中心となって、QV-10以降のデジタルカメラと、カシオが考える「あるべきデジタルカメラ像」へと話題が移る。
1990年代後半からデジタルカメラ市場が急速に立ち上がり、多数の企業が参入し、画素数競争と価格競争へ突入していく。「デジタルならではのコミュニケーション」を貫いたカシオは、意に反して競争に巻き込まれ、デジタルカメラの製品戦略で後手を踏む。「世のデジタルカメラが『メガピクセル』(編注:100万画素)へ流れていく中で、35万画素でも色々できると訴え続けましたが、大失敗。事業的にかなり厳しくなり、追い込まれました」(中山氏)という。
窮地を救った起死回生の一手が「EXILIM」だ。ここからの話は、中山氏にうかがったインタビュー記事『時代をリードし続ける「EXILIM」 - 10年の歩みを振り返る』で詳しく触れているので、ぜひご一読いただきたい。
また、カシオが考える「あるべきデジタルカメラ像」について、ハードウェアや嗜好品としてのデジタルカメラではないことを知っておくと面白いだろう。そこには、「デジタルカメラ自体を持つことの満足」や、「自分の手でシャッターを切って写真を撮ることの満足」は、ほとんどない。
極端な言い方だが、すべて自動でさまざまな視点(画角)を勝手に撮影し、ベストショットをもカメラ側が自動で選んでくれる……という世界を思い描く。根底にあるのはコミュニケーションであり、QV-10の時代から一貫している。実際の製品としては、カメラ部とコントローラー(液晶)が分離合体する「EXILIM EX-FR10」において「かなりの部分を実現できた」(中山氏)という。こちらも中山氏へのインタビュー記事『セパレート型デジタルカメラ「EXILIM EX-FR10」に込めた真意と魅力 - カシオ計算機 QV事業部長に聞く』を参照いただきたい。