多くの失敗と執念で生まれたQV-10

末高氏「しかし、VS-101の失敗という大きな壁が立ちふさがりました。失敗したプロダクトをまたやるのか、しかも同じ人間がやるんじゃダメだろうと厳しい状況でして、中山さんにご登場いただくわけです」

麻倉氏「中山さん、ここでQV-10の原型を考えたかと思いますが、どのような発想から始まったんでしょうか」

中山氏「当時、研究開発で新しいテーマの企画という仕事のほか、映像事業のポケット液晶テレビに携わっていました。ポケット液晶テレビの『次』を考える中で、せっかくカラーできれいな液晶があるのだから、例えばカメラ機能を付けて写真を見られたら楽しいかもと、液晶テレビ側からアプローチしてみました。

末高さんのお話にもあったように、また電子カメラをやるのかというネガティブな雰囲気が社内にあったのも事実です。だったら『カメラ付きテレビ』としてやってみようと」

麻倉氏「ストレートな発想だと、カメラとしての機能や性能を追いかけそうですが、カシオさんは違うんですよね。そしてQV-10が発売されたわけですが、税別で65,000円というのは高くなかったですか?」

末高氏「どうしても『これは面白い!』という発想からスタートしてしまうんですよね(笑)」

【左】中山氏が1993年に作った手書きの企画書。この段階で、イメージはQV-10にかなり近い。【右】カメラ付きテレビの基本コンセプト。「ビジュアルメモ」「ビジュアルコミュニケーション」「ビジュアルデータバンク」という3つが大きな要素であり、これは現在のスマートフォンで当たり前のようにやっていることでもある。20年以上も前から、こうした点に着目していたことに驚く

中山氏「せっかくだから『画像』を活用した新しいコミュニケーションや文化を創れたらいいなと思っていました。

QV-10は結果的にテレビチューナーを省いて、パソコンの周辺機器として発売することになりました。パソコンに画像を入力するという価値感からすると、決して高くはなかったと思います。液晶が付いてコンパクトで、パソコンに画像を入力できる機器として見ると、当時のそのジャンルではむしろ安いと。パソコンとの連携に半ば特化したからこそ、QV-10の価値感が高まりました」

麻倉氏「QV-10は、年間20万台も売れて大ヒット」

中山氏「まず月産3,000台くらいから始まったんですが、あれよあれよという間に月産10,000台を越えて、いい結果を出すことができました」

麻倉氏「潜在ニーズもあったんでしょうね。QV-10が発売された1995年は、パソコンの世界ではちょうどWindows 95が登場して、大フィーバーになった年です。インターネットの普及も加速して、パソコンで画像を見たり貯めたりという使い方が注目されはじめました。手ごろな『画像入力機器』として、QV-10はぴったりハマッたんでしょうね」

QV-10のもとになった企画書には、ビジュアルコミュニケーションのユースケースも。繰り返しになるが、現在はスマートフォンで当然のようにやっていること、できることが多く書かれている

中山氏「使い方を『100』考えろとなって、他愛もないことをたくさん考えましたね。振り返ると、よく100も思いついたものです。ただ『自撮り』という発想は、当時なかったですね」

麻倉氏「ヒットする製品というのは、スペックの中でとどまっているのではなくて、ユーザーを触発して新しい使い方が生まれてくるんですよね。カシオさんが考えたのは100の使い方ですが、世の中ではもっともっと多くの使われ方をしたんだと思います」

カメラ機能付きポケットテレビ

QV-10のモック

QV-10用のフロッピーディスクドライブ

当時の開発資料(クリックで拡大)

さて、この辺りでQV-10の開発話は一段落。麻倉氏がまとめたスライド(下の写真)にあった、開発者の執念、(カメラメーカーとしては)アウトサイダーならではのユニークな発想というのが印象的だった。「末高氏にとってQV-10とは?」とうかがったところ、「QV-10は自分が作ったと同時に、自分を育ててくれた製品。QV-10が足がかりとなってカメラと一緒に生きてきた。エンジニアとして大きな足跡を残せた製品であり、財産でもある」(末高氏)と語ってくれた。